自転車に乗るようなもの 「哲学をするとは自転車を漕ぐようなもの」というのが、学部の頃に指導教員から言われた言葉だ。彼の専門は西洋哲学。哲学的な思考方法は一度身体にしみついてしまえば、いつでも思い出すことができる、という趣旨で言ったのだろう。哲学的な思考と言うと難しそうに聞こえるが、内実は問題を適切な大きさに分割し、それぞれについて、本当にそうなのかということを考え続けることを通して「普遍的なもの」を見出そうとするだけである。そしてそのための切っ掛けとなるものを、あらゆる機会に見つけ出そうとする姿勢を伴うものだ。 確かに、僕は哲学的な思考と言われるものができるようになったのだが、同時にそれを自分の意志でやめることができなくなった。 はっきり言って、この状態は日常生活に支障をきたす。日常の知と哲学的な知というものが相互にかなり異なり、不適合を起こすからである。 そんなわけで友人には愚痴を言って