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暮らしと名古屋に関するwuzukiのブックマーク (2)

  • 紙コップと賑やかなリビング - これからも君と話をしよう

    2013年春──── 「お邪魔しま〜す」 なにか新しいことが始まりそうな、春特有の高揚感。さわやかな夕風とともに、友人たちが私の部屋に上がって来た。 神楽坂の小さな1LDKに6人が入ると、部屋はもうぎゅうぎゅうだ。でも、その距離感もどこか心地良かった。友人たちはスーパーで買ったお惣菜やお酒をレジ袋から取り出し、テーブルや床に並べ始める。私も紙コップと紙皿、割り箸をみんなに配る。 「ようこそ!」 ※この記事は、「シェアハウスのアレコレ Advent Calendar 2019」の17日目の記事として書かれています。 就職を機に、神楽坂のマンスリーマンションで暮らし始めた私は24歳になったばかり。 東京で暮らすのはいつぶりだっけ。代々木から引っ越したのが小4の終わり、1999年の3月だから、えーっと、14年ぶりの東京暮らしか。時が経つのは早いなぁ……。 とはいえ、今、神楽坂の部屋に集まっている

    紙コップと賑やかなリビング - これからも君と話をしよう
    wuzuki
    wuzuki 2019/12/20
    今年は「シェアハウスのアレコレ」アドベントカレンダーに寄稿したよ。大人になってからの人間関係の隣には、いつもシェアハウスがありました。
  • “何もない”のは誰のせい? 子育てに苦しむ私を救った「三重」での小さな出会いたち - SUUMOタウン

    著: えこ 埼玉県で生まれ育った私が、三重県鈴鹿市に住むことになったのは14年前のことだ。きっかけはありがちで夫の仕事の都合。当時の私は特に深く考えもせず、息子と家族3人で三重への引越しを決めた。 しかし、実際に三重での生活を始めてみると、右も左も分からない地での子育ては、想像以上に苦しかった。 保育園や仕事を探すのは大変だし、近くに育児のちょっとした悩みを話せる友達が誰一人いないことに気づいたときには、まるで箱の中に閉じ込められたような怖さと息苦しさを感じた。しかも当時の私には、気軽に足を運べる屋さんや喫茶店もなく、次第にここには何もない、と思うようになった。 運良く見つけた保育園では、方言で話すお母さん方に囲まれる中、私の標準語はだいぶ浮いており、何気なく発せられた「この辺りの人ではないね」の一言がいちいち突き刺さってしかたなかった。その後、下の子が産まれるころには、さらに育児に追わ

    “何もない”のは誰のせい? 子育てに苦しむ私を救った「三重」での小さな出会いたち - SUUMOタウン
    wuzuki
    wuzuki 2019/10/19
    名古屋に住んでいた頃を思い出して胸がキュッとなる。四日市も一度行ったけど、知らないものばかりだ。/ 私、名古屋時代はアート・建築・演劇界隈の人たちと仲良くしてたけど、三重も演劇に力を入れているのね。
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