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街と人生に関するwuzukiのブックマーク (4)

  • なぜ人は名古屋転勤になると絶望するのか 科学的根拠を解説 | Nessuu's blog

    会社の後輩が真っ青な顔で震えていた 早いもので、名古屋に転勤になってから6年が経過したネッスーと申します。 昨日、会社の東京社に出張し、楽しく教育を受けていたところ、真っ青で死にそうな顔をした後輩に出会いました。人間がこんなに絶望してしまうなんて、どんな理由があったんだろうかと心配になったわたくし。すぐに理由を聞いてみました。 すると、後輩は絶望している理由を教えてくれました。後輩が絶望して真っ青な顔をしていた理由。それは独身で名古屋に転勤することになったことが理由でした。 うんうん。わかるよ。名古屋転勤って絶望しかないよね。こればっかりは味わった人にしかわからない、ずっと東京で生きてきた人にとって、名古屋への辞令はこの世の地獄です。特にずっと東京で生きてきた人にとって、名古屋転勤は人生の終わりくらいのインパクトがあります。 つまらない街って言われるけど、当につまらないよ 名古屋は

    なぜ人は名古屋転勤になると絶望するのか 科学的根拠を解説 | Nessuu's blog
    wuzuki
    wuzuki 2021/04/18
    名古屋生活寂しかったけど、動画なんて観てても余計寂しくなるだけだよ。旅行のアフィリエイトでも貼ってるほうがまだマシ。私は名古屋時代も定期的に関西や東京に行ってた。/ 名古屋、食事だけは割と好みだった。
  • 僕らの人生は個性的か?東京を「ずっと忘れて生きていた」、岸政彦が描くもの

    僕らの人生は個性的か?東京を「ずっと忘れて生きていた」、岸政彦が描くもの今年、「東京の生活史」プロジェクトを始動する社会学者・岸政彦さん。「よくあるイメージ」を壊して、「普通の大阪」や「普通の沖縄」を描くような仕事をしてきた彼が描く東京とは。 「東京の存在を、ずっと忘れて生きていたんですよね」 50歳近くなって、その社会学者は、東京という街と「出会い直した」と言う。 大学進学を機に、大阪へ移り住んだ。大学院で調査のフィールドに選んだのは沖縄だ。観光で沖縄を訪れ、ハマっていった。20年以上経った今も、沖縄の階層格差や沖縄戦の記憶に、人々の語りを通じて向き合う。 社会学者・岸政彦さんは今年、「東京の生活史」プロジェクトを始動する。耳を傾けるのは、今、東京に暮らす人々の語りだ。100人程度の語りを収録することを目指している。 東京に生きる「普通の人」の語りが聞きたい。岸さんは、こう口にする。「普

    僕らの人生は個性的か?東京を「ずっと忘れて生きていた」、岸政彦が描くもの
    wuzuki
    wuzuki 2020/07/27
    あぁ、岸さんのこの問題意識の持ち方も、ひとや街との向き合い方もすごく好きだ。私が憧れるものの局地かもしれない。転勤族だった私も、その地に縁あってしばらく暮らすことになる偶然性にはたびたび思いを馳せる。
  • 地方に就職する 追記あり

    東京から地方に就職するので今の状態の備忘録。 転勤族の子で、各地を転々とし、両親は最終的に東京に家を買った。親は、人達は認めないが平均より裕福で、たくさんのことをさせてくれた。大学に通わせてくれたし、海外経験もさせてくれた。 私は地方都市に就職する。鉄道使うより飛行機の方が東京に早く着く街だ。就職する街には東京と直通便がある空港がある。 なぜ地方に就職するかというと、混雑が向いてないし、東京という街を活用できてないからだ。繁華街に行くとどうも体調が悪いなと思ったら、軽いが感覚過敏であることが分かった。特に音と光。ノイズキャンセリングイヤホンをしないと疲労がすごい。IMAXで映画を観ると耳が遠くなる。薬を飲む前はあらゆる待機ランプに目張りをしていた。冬でも日差しの強い日はサングラスをかけている。あと色。教材の色がうるさくて集中できないという理由で進研ゼミからz会に変えたことがある。香水もだ

    地方に就職する 追記あり
    wuzuki
    wuzuki 2020/01/16
    私の上位互換な方だ。/ 子どもの頃の転勤族と、独身の大人の地方暮らしの大きな違いは、友達の作りにくさと孤独感の質の違い。私も文章の同人誌作って即売会に出したりもしたけど、なかなか友達ができなかった。
  • そうして僕は笹塚に助けられた - SUUMOタウン

    執筆: chocoxina 荷物はほとんど実家に置いてきた。 いちばん大きなリュック一つと、古物屋で買った1000円のトランク。その中にありったけの着替えと生活必需品を詰め込んだら、趣味のものが入る余地はほとんど残っていなかった。 不動産屋にもらった鍵で古びたドアを開け、風呂なしの6畳間にひととおりの荷物を放り投げる。ふう、とついたため息が部屋の寒さで白いかたまりになり、ほどなく隙間風にかき消された。 2月のある静かな夜、僕は笹塚に逃げてきた。 身一つの自分に、ディスカウントストアが優しい この場所に特別なこだわりがあるわけではなかった。 即入居可で、極力安い部屋があるところ。なるべく当時の仕事場から近く、交通費のかからないところ。実家の継母が年の離れた妹を口汚く怒鳴り散らす声や、僕の部屋の前を通るたびに発する悪態が聞こえないところ。家の不和をどうにもできない父が、僕に当たり散らしてこられ

    そうして僕は笹塚に助けられた - SUUMOタウン
    wuzuki
    wuzuki 2018/12/20
    小学生時代、代々木に住んでたときに笹塚図書館に行った思い出。/  Googleマップの「35.676578,139.663991」のところに、誰が登録したのか「境界点_中野渋谷杉並」っていうのが以前あったんだけど、今はもうなくなってるな。
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