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食と読書に関するwuzukiのブックマーク (2)

  • 「食べちゃいたいくらい可愛い」性と食と暴力をめぐる欲望の根源にあるもの【読書日記32冊目】 | ダ・ヴィンチWeb

    2020年11月某日 好きな人を殺してべたい。 そんな欲望を胸に秘めて生きてきた。 どうしてそう思うのかと聞かれても、わからない。 怖がられたり気味悪がられたりすることは承知している。 しかし、芥川龍之介とて、後にとなる女性にあてて、「ボクは文ちゃんがお菓子なら頭からべてしまひたい位可愛い気がします」と書いていたではないか。あるいは、折口信夫の唯一の女弟子である穂積生萩が、折口の死後に骨をべたエピソードも『執深くあれ』(小学館)に記されている。 殺して、という響きがグロテスクさを帯びたとしても、好きな人をべる(すなわち殺すことにもなる)という行為自体にはどこか甘美さが漂っている気がしてやまない。 * 恋の予感も、いつも「おいしそう」から始まってきた。 べたい、触れたい、交わりたい。 欲を言うなら、境界を溶かしてひとつになりたい。 そんな話をすると、きまって「好きな人をべたらい

    「食べちゃいたいくらい可愛い」性と食と暴力をめぐる欲望の根源にあるもの【読書日記32冊目】 | ダ・ヴィンチWeb
    wuzuki
    wuzuki 2020/11/24
    子どもの頃に読んだ本を思い出す。幽霊の少年に恋をする少女の物語で、最終巻では「二人は二度と会えないけれど、二度と離れることはない」という展開になる。「一体になること」という意味で食と性は近いのかも。
  • 「唐揚げ手抜き論」はどこから来たのか。人類学の視点から読み解く家庭料理【読書日記26冊目】 | ダ・ヴィンチWeb

    2020年8月某日 Twitterをぼんやり眺めていたら「唐揚げ」「手抜き」の文言が流れてきた。元ツイートを遡るほどの気力もないが、「ポテサラ論争」のときみたいに女性を罵るような文脈なのだろうなと思ってうんざりする。ネットの“議論”はうんざりだ。 また、それに対して怒る人にはもっともだとも思いつつ、そんなつまらない輩に構う時間がもったいないのではないかと思ってしまう。でも、そう思える私は、そういう輩から随分と遠いところまで逃げてこられただけなのかもしれない。旦那や上司が「唐揚げポテサラおじさん」だという人や、家事や育児に追われている渦中の人にとっては、ゼロ距離で迫ってくる許せざる敵になっていても不思議ではない。 それにしても、どうして料理が「手抜き」だと責められたり、「このくらいはできて当然」という基準が女性に対して求められたりするのだろう。あるいは、いつから、そんな風潮が出てきたのだろう

    「唐揚げ手抜き論」はどこから来たのか。人類学の視点から読み解く家庭料理【読書日記26冊目】 | ダ・ヴィンチWeb
    wuzuki
    wuzuki 2020/08/24
    すごく興味深い……! 家庭料理をめぐる言説って、その当時の時勢をそんなふうに反映していて、家族観の変化とそんな関わりがあったとは。広告批評にも通じるものを感じる。「贈与論」との結びつきも面白い。
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