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ブックマーク / cmasak.hatenablog.jp (6)

  • ドラァグ・クィーンにとっての2つの脅威とミソジニー - Gimme A Queer Eye

    Leland Bobbé という写真家の『プロジェクト “ハーフ・ドラァグ”』(顔面の半分がドラァグ・クィーン、もう片方が「来の(男性としての)姿」という写真の作品群)が、ロケットニュースの『まるで別人! 男性の顔の半分に女性メイクをしたらこうなった』という記事で紹介されている。個人的に、とても絶望的な気分になった。とりあえず、そこまでするほど、男性性の喪失を恐れているの?!という驚きがある。(「ハーフ」ではなく)フルのドラァグですら相当「そのメイクの裏にある男性性」を見いだしてもらえてるのに(=それゆえにミソジニーから免れやすいというのに)、それすら怖くなって、「半分は男の顔」にしないと安心できないほどなのかと。ドラァグ・クィーンの表象は、もちろん、「女性性を演じることによって、女性性を表現する」というものだけれども、同時に、「女性性を『演じる』ことによって、(『演じている』)男性性を

    Imamu
    Imamu 2012/08/09
    「(女を「演じる」ことが許されている者)は男であり、女は女を「演じる」ことができない、という社会にいる限り、ドラァグ・クィーンは常にそこに「男性性」を~表現してしまう」
  • 【改訂版】24時間テレビにおける性的少数者の表象の問題 - Gimme A Queer Eye If You Have Two

    クィア24時間テレビについて、意見を寄せた - Gimme A Queer Eye If You Have Two の改訂版です8月28日から29日にかけて『24時間テレビ33 愛は地球を救う』が放送されましたが、今回ははるな愛さんがマラソンをやるということで、その様子をチラっと見ようかなと思ってテレビを付けて中継を待っていたら、夜中の2時を過ぎたころにとても頭に来る映像が流れました。それだけだったらこの24時間テレビが(少なくとも恐らく他の、インターネットを含むほとんどのメディアと同等に)トランス嫌悪的であり、同性愛嫌悪的であるということが改めて明らかになっただけなのだけれど、正直な話私は「マラソンにはるな愛を起用する」という判断を下したことについて「あぁ、ある程度はメディアも(少なくとも女性アイデンティティを持つトランスに関しては)寛容になって来たのかな」とポジティブにとらえていたから

    Imamu
    Imamu 2010/09/01
    『「賢示と呼ばれて男声に切り替える」などのネタはそもそも、現在トランスセクシュアル女性やゲイ男性と呼ばれるような人々が歴史上作り上げて』「そもそもなぜ「それで食って」行かなきゃならない状況があるのか」
  • 「動機は『誰でもよかった』」 - C plus M −a homosexual asian male bitch writes and fights−

    ニュースの報道とかで無差別殺人なり通り魔なりの事件が出るたびに不思議なのが、加害者の動機として「誰でもよかった」って紹介すること。「誰でもよかった」というのは起きた出来事についての追加情報であって、動機ではないじゃん。当に動機が知りたいのなら、なんで「誰でもよかった」から殺したい/攻撃したいと思ったのか、を知らなきゃだめなはずなのに。結局「動機はなんだろう」と言いながら、当に知りたいのは「なぜこの被害者は暴力を受けたのか」であって、「なぜこの加害者は暴力を働いたのか」ではないということだよね。究極的にはそれを知ることで「どのように自分が被害者にならないで済むように動けるか、あるいは動けないか」を知りたいだけ。視聴者が自分のことをいつか何かのきっかけで加害者になるかもしれないとはちっとも思っていない、ということ前提の報道に、怖さを感じる。

    Imamu
    Imamu 2009/07/09
    『結局「動機はなんだろう」と言いながら、本当に知りたいのは「なぜこの被害者は暴力を受けたのか」であって、「なぜこの加害者は暴力を働いたのか」ではないということだよね』
  • カルタイ終わった - C plus M −a homosexual asian male bitch writes and fights−

    Imamu
    Imamu 2009/07/07
    行きたかったorz「視覚的に認識可能な身体(人種化、ジェンダー化、障害化された)が常に現前するため、音楽表現は常に表現者の身体的物質性との関係において解釈される」
  • カルチュラル・タイフーン2009で発表する件 - C plus M

    Imamu
    Imamu 2009/05/15
    「昭和40年代における歌謡曲と女性 音楽的実践/抵抗としてのカラオケ」「彼女たちはしばしば、他者と同一化するようなそぶりを見せ、他者の役割を演じて~役割というのが男性視聴者の主体との同一化を保証」
  • 児童ポルノとフェミニズム(CGSニューズレター) - C plus M

    クィア, フェミニズムボクの行ってる大学のジェンダー研究センターが年に2回ニューズレターを出しているのだけれど、ボクの記事が載ったので紹介します。他の記事を見るにはCGS Online: CGSニューズレター011号が完成しました!へどうぞ。NWECで一緒だった井芹さんも書いてるよー! わーい!以下がボクの記事。(原文はここをクリック)第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する世界会議(2008年11月24日)は、アニメ・マンガ・3DCG等を含めた児童ポルノの単純所持を全ての参加国が違法化するという方針を採択した。多くの国は既に、成人と児童の権力差から考えて「同意の上」ではあり得ないため、性的搾取や暴力から児童を守るために児童ポルノの生産及び販売を禁止している。しかし今回の方針は監視を強め、実写でない児童ポルノの単純所持をも違法化するものだ。背景には、実際に児童の関与がなくても児童ポルノは人

    Imamu
    Imamu 2009/05/10
    (マッキノン、ドウォーキン/バトラー)『現在世界規模で共有されている<反児童ポルノ>の精神は、当時の<反ポルノ>フェミニズムと同じく問題含みなのではないか』
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