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ブックマーク / kimihikohiraoka.hatenablog.com (4)

  • まだまだある誤訳――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について2 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

    「どの翻訳を選ぶか――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について」がずいぶんと好評だったので、調子に乗ってもう少し続きを書くことにしよう。幸か不幸か、ボードレールの『悪の華』の誤訳についてはまったくネタに不自由することがない。すでに『悪の華』を読まれた方も、これから読んでみようとお考えの方も、少しでも参考にしていただければ幸いである。 Les fleurs du mal 作者:Baudelaire, CharlesGallimardAmazon とはいえ、前回の記事も今回の記事も、じつは2007年に以前のブログ『平岡公彦のボードレール翻訳日記』をはじめたばかりのときに書いた記事をただまとめなおしただけなので、そちらにもほぼ同じ内容のことが書いてある。だが、そっちは読んでほしくない。ほんとうに読んでほしくない(笑)。この記事を書くために読み返してみて、自分の書いた文章のあまりのバカさ加減に、

    Imamu
    Imamu 2013/07/16
    「余談だが、押見修造の『惡の華』(講談社コミックス)が~作中にこのハルピュイアのモチーフがまったく登場しないのは、押見が堀口訳を読んだせいではないかと思われる」
  • 音楽のない思春期――押見修造『惡の華』を読む - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

    前回のボードレールの『悪の華』の堀口大學訳をはじめとする既存の邦訳の誤訳を解説した記事に予想外の反響をいただき、驚いている。押見修造の『惡の華』(講談社コミックス)の影響力は私が思っていた以上にすさまじかったようだ。 惡の華 (8) (講談社コミックス) 作者:押見 修造講談社Amazon 正直に言うと、私は押見が『惡の華』で描いているような思春期は、私たちの世代までで終わっていて、いまの若い人たち(と書くとじじいのようだが)はもうこんなことで悩んだりはしていないのではないかと思っていた。だが、それはまちがいだったようだ。考えてみれば、ボードレールやスタンダールやドストエフスキーがこうした思春期に苛まれる人間を描いてからもう150年になる。私たちがジュリアンやラスコーリニコフに自分自身を重ねたように、現代のティーンエイジャーは春日や仲村に共感しているのだろう。小説の文学が終わってからもうず

    音楽のない思春期――押見修造『惡の華』を読む - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート
    Imamu
    Imamu 2013/07/01
    「merrygoroundの楽曲に出会ったときは、ほんとうに心が洗われるようだった」「春日の生活に音楽が存在しないことはいまの時代を象徴しているように思える」
  • どの翻訳を選ぶか――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

    今年アニメ化された押見修造の『惡の華』(講談社コミックス)のおかげで、ボードレールの『悪の華』にふたたび注目が集まっているようだ。訳者の一人として、喜ばしく思う。 惡の華(1) (少年マガジンKC) 作者:押見 修造講談社Amazon 押見の『惡の華』は読んでいたが、私自身、しばらくボードレールから遠ざかっていたし、そもそも読んだことを公言することがはばかられるようなマンガだということもあり(笑)、なかなかそのことを書く機会がなかった。これだけ大きくボードレールを看板に掲げた作品なのだから、おそらく私以外のボードレールの訳者や研究者も一巻くらいは読んでいるのではないか。 いい機会なのでこのマンガの感想を書いておこう。ボードレールの『惡の華』を愛読する主人公の春日高男は、ある日、想いを寄せていたクラスメイトの佐伯奈々子の体操着を盗む。春日はそれを見ていたクラスの嫌われ者の仲村佐和に脅迫され、

    どの翻訳を選ぶか――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート
    Imamu
    Imamu 2013/06/17
    「翻訳者として全文を原文と照らしあわせた経験から言えば、既存の『悪の華』の邦訳には、1冊あたり20~30箇所くらいは誤訳」「ちくま文庫の阿部良雄訳~内容の理解に役立つという点では、阿部訳の右に出るものは」
  • 消費をどう見るか――宇野常寛/國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」を読む2 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

    『すばる』2012年2月号に掲載された批評家の宇野常寛と哲学者の國分功一郎の対談「個人と世界をつなぐもの」における議論のなかでいちばん目を引くのは、やはり消費社会をめぐる両者の見解の対立である。 すばる 2012年 02月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 集英社発売日: 2012/01/06メディア: 雑誌購入: 2人 クリック: 19回この商品を含むブログ (4件) を見る 「消費社会にいかに対抗するか」という問題は、國分の『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)の一つの大きな柱となっている。それに対する國分の処方箋が適切であるかどうかを判断するには、まずはその診断が正しいかどうかを確かめてみる必要があるだろう。 國分功一郎の消費社会論の問題点 最初に、國分が『暇倫』においてフランスの社会学者ジャン・ボードリヤールに依拠しつつ提示した消費と浪費の区別を確認しておこう。 國分の言う浪費とは、物を

    消費をどう見るか――宇野常寛/國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」を読む2 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート
    Imamu
    Imamu 2012/02/13
    宇野ハッキング論(1)応答性(2)生産性「『アンチ・オイディプス――資本主義と分裂症』(1972年)において展開して見せた欲望的生産の理論とそっくり」「宇野の権力観~ミシェル・フーコーの権力論の焼き直し」
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