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bookと演劇に関するImamuのブックマーク (4)

  • 新刊『都市の舞台俳優たち―アーバニズムの下位文化理論の検証に向かって―』が検証、東京は小劇場の観劇人口が多いのではなく、チケットノルマを抱えた俳優15,000名が互いに観合っているだけ | fringe blog

    この記事は2015年6月に掲載されたものです。 状況が変わったり、リンク先が変わっている可能性があります。

  • 現代演劇の最新事情――新世代の登場と、演劇の遺伝子/徳永京子×藤原ちから - SYNODOS

    長い間、演劇はカルチャーの鬼っ子だった。かつては映画音楽やアートと同じ感覚で観たり論じたりすることができたのに、その輪からはずれてしまった……昨秋刊行された『演劇最強論』(飛鳥新社)は、そんな嘆き節から始まる。しかし、そのはぐれ者が「最強」とはどういうことだろう。著者は、演劇ジャーナリストの徳永京子さん、批評家の藤原ちからさん。二人のトークイベント、「『演劇最強論』の最新論〜ところで今、演劇って、どうなってる?」から、現代演劇の最新事情をお届けする。(構成/長瀬千雅) 藤原 「演劇って今、どうなってる?」というテーマでお話ししていきたいと思いますが、まずこのをなぜ出版することになったかということからはじめましょうか。 徳永 出版したのは2013年ですが、その時点での日の演劇シーンを総ざらえするというではなく、現在の演劇事情を、ある角度をもって、私と藤原さんで切り取ったです。卑近な

    現代演劇の最新事情――新世代の登場と、演劇の遺伝子/徳永京子×藤原ちから - SYNODOS
    Imamu
    Imamu 2014/05/23
    『演劇最強論』「「特権的肉体」から「ダラダラした身振り」へ」
  • 『六〇年代演劇再考』岡室美奈子+梅山いつき編著(水声社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「<劇評家の作業日誌>(61)」 「現代演劇」はいったいいつから始まったのか。果たして「現代」を規定する時代区分はどこにあるのか。 そこで1960年代に始まった「アングラ演劇」あるいは「小劇場演劇」を「現代演劇」の出発点とすることはほぼ定説となっている。とりわけ象徴的な年は1967年だ。この年、唐十郎の状況劇場は紅テントを新宿・花園神社に立て、唐のライバルだった寺山修司は「演劇実験室・天井桟敷」を創設した。 ではその終点はどこにあるのか。わたしはオイルショックのあった1973年辺りを「運動」の終結点だと考えている。この年、蜷川幸雄と清水邦夫の櫻社は『泣かないのか、泣かないのか1973年のために?』という象徴的なタイトルの芝居で彼らの活動に終止符を打った。つまり書のタイトルとなる「60年代演劇」とは、70年代初頭まで含んだ演劇の革命期に相当すると考えていい。 書は、

    『六〇年代演劇再考』岡室美奈子+梅山いつき編著(水声社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2012/07/06
    「他のアングラ・イメージは払拭~なぜ演劇だけ「アングラ」が残った~商売にならなかった~アングラが家父長的」「平田オリザ~「アンチ・アングラ」でしか」
  • 『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』 (ソフトバンク新書) - WEBスナイパー

    『新世紀エヴァンゲリオン』以後のオタク評論が扱ってきた自意識の問題を軸にして、アニメ、ゲームライトノベル、批評などなど日のサブカルチャーを中心に大きな影響を与えたキーワード「セカイ系」を読み解き、ポスト『エヴァ』の時代=ゼロ年代のオタク史を論じる一冊。 『セカイ系とは何か』はタイトルが示すように「セカイ系」とは何かを説明しているだが、同時に「セカイ系」を一つの基準として、1995年以降のオタク史を概観するである。1995〜1999年、2000〜2003年、2004〜2006年、2007〜2009年の四つに区切り、エヴァンゲリオンの登場と影響、その後に現われた作品傾向、セカイ系という言葉の拡散、現状と諸問題を、それぞれ整理して流れを解説する。 「セカイ系」というのはフィクションの傾向の一つと考えて問題ない。時代によって意味も受容のされ方も異なるが、原義(2002年)は「エヴァンゲリ

    Imamu
    Imamu 2010/02/21
    ばるぼら氏『「中間領域のない作品」設定についての系譜』「『ニュータイプ』1998年10月号に掲載された庵野秀明と幾原邦彦の対談」『演劇に接近していた両監督がある種の物語傾向に違和感を持っていたことの意味』
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