正直なところ、「○○元年」というフレーズは色々な人が色々なタイミングで発するので、明確に「ココ」というのはかなり後から、むしろそのトレンドが終演しつつあるあたりで整理することができるものだと思いますが、「メタバース元年」は2022年あたりになりそうだ、といわれています。
ドメイン差し押さえが報じられている2ちゃんねるであるが、2ちゃんねらーが様々な騒動を起こすとき、そこには「正義に基づく暴走」がみられるように思う。 彼らは、正義の旗の下に「悪人」を糾弾し、正義の旗の下に「善意」を喧伝する。今なお続くmixi乗っ取り犯による自己正当化の発言を見ている限り、彼らはあくまでも自分たちの行動が正しく、それに反するものをすべて敵と見なす。 自分たちは正義である――だから何をやっても正しい、逆らう奴が悪い。そんな意識が2ちゃんねらーには見え隠れしている、と私は感じている。 (ここで言う「2ちゃんねらー」の定義は後述する) ■悪意と善意 【磨】毎日新聞「ネット君臨」考-ITニュース:イザ! 毎日新聞の記事「ネット君臨」に対する反論として、産経新聞のコラムはこう書いている。 記事では「ネットでは住人たちが一つの話題に群がり、ときに『悪意』が燃えさかる。彼らはそれを『祭り』
友人に招待されて、ORKUTとmixiとgreeという3つのコミュニティサイトを使ってみる。これらは、正式には「ソーシャルネットワーク」というらしい。当初「出会い系」とも紹介されたりしたが、そういう雰囲気は(いまのところ)あまりない。とくにグーグルが運営する英語ベースのORKUTには、西洋の社交文化の雰囲気すら感じる。 具体的には、自分のプロフィールに顔写真(じゃなくてもいいんだけど)を提示しつつ、「私の友達はこの人たちです」とどんどん友達を増やしていく。メッセージを送ったり、独自のコミュニティスペースを作ったりすることが主な機能だが(mixiとgreeにはコミュニティサービスはない)、チャット機能はない。前述したように、ORKUTは英語で、mixiとgreeは日本語ベース。 これらは、知り合いからのインヴィテーションメールがないと会員になることはできなく、毎回パスワードを入力して入る。ゆ
未来を占うには、過去を眺めるに限る。大概のことは何度か繰り返されており、先人の智恵や失敗に学べたりすることもあるのだ。 株式上場後の幻滅の広がりで、どうもハイプ曲線の最初のピークを越えていったん転げ落ちはじめていそうに見えるmixi(ミクシィ)を見ていて、私はそんなことを思い出した。先進事例であるパソコン通信としてのNIFTY-Serveと照らし合わせれば何かの方向が見えるだろう。その一つの考察として、切込隊長BLOGの「Mixiのような大手SNSはアカウントごとに課金すべきだ」というエントリーは参考になった。会員制の質の高いコミュニティを目指すのなら、不良会員を追放するための仕組みとしての課金は、NIFTYのモデルに倣う方策としてありえそうだ。ここでのポイントは課金ではなく、本人確認というポイントだ。クレジットカード支払いとか、携帯電話支払いとかの本人確認性の高いしくみと紐づくことで、荒
「はてブ」に見るソーシャルブックマークの限界 連載の前回で、「外界からの影響や、本人の内なる精神的志向などをパラメーター化し、情報収集の精度を上げる方法はないのだろうか?」と書いた。 この「外界からの影響」というのは、つまりはWeb2.0の用語で言えば「ソーシャル」にほかならない。「はてなブックマーク」や「digg」などのソーシャルブックマークが、その代表的な存在だ。その人が属しているコミュニティーや人間関係などを考慮していくことによって、集合知の精度を高めていこうという考え方である。 だがこのソーシャルをパーソナライズ情報収集に応用しようと考えた場合、ひとつの問題が生じる。つまりソーシャル――社会とは、いったいどのような社会を指しているのかということである。あるひとりの個人が参加しているコミュニティーを考えてみよう。最小の単位はおそらく家族で、そこから友人、近所の人、会社の同僚、趣味を同
2006年09月19日14:20 カテゴリValue 2.0Logos SNSはWeb2.0ではないのか? 技術者としての私はこれに同意しそうになるのだが、開放系としての私は、この発言を技術バカだと思う。 void GraphicWizardsLair( void ); // ミクシィがCGM(ユーザーがコンテンツを作るメディア)だから「ウェブ2.0」というのであれば、2chも「ウェブ2.0」になるよね だからCGMの要素が有るというだけで「ミクシィはウェブ2.0」「2chはCGMだけど古いからウェブ1.0」と言ってしまうのは、「私はバズワードに乗せられた馬鹿です」と大きな声で宣言しているようなもんだと。 そこには、「中生代」を「恐竜の時代」と言い切ってしまうような、「脊椎動物史観」ならぬ「技術者史観」を感じざるを得ないのだ。 「中生代」が、年代しか表していないのと同様、Web 2.0とい
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