れも🍋 @lemo_oon369 虚無らない人生を歩むには、ガチるか、子供を産むか、ってことか… 子供は可愛いと思うけど育てる責任を全う出来る自信がなかった… そうこうも言ってられなくなってきたので後者も選択肢に入れなくては… x.com/hikarin22/stat… 2024-04-06 21:08:07
タイトルのとおりなんだけどいま30後半で、今後の人生のことを考えるとむなしくなるわ。 結婚しているやつはいいわな。パートナーと楽しく生きろよ。 子供いるやつもいいわな。子育ての醍醐味を味わって生きろよ。 仕事で自己実現できているやつもいいわな。その調子でスキルアップしなさいな。 で、この三つがどれもできていないおっさんはどうやって生きていけばいいわけ? 生まれてからずーっと、人に言われたことだけやって、我慢料として安い給料を渡されてさ。 誰かを稼がせるためにロボットのように働いて、動けなくなったらポイでしょ。 七時ごろに仕事が終わって、飯食って、酒飲んで、寝る。誰かを稼がせるためにそれを繰り返す。 自己実現できていない会社員って置き換え可能なbotでしかないわなぁ。むなしくなる。 無私な毎日だわな、ほんと。宇宙人が見たら、あまりの規則性に驚くと思う。人間がアリの習性に驚くように。 はいはい
タレント・中川翔子が11日に自身のYouTubeチャンネルを更新し、本名を改名することを発表した。 「超重大なお知らせです。」というタイトルで投稿された動画。そこで中川は「改名しました!」といい、本名「しようこ」から、現在の芸名と同じである「翔子(しょうこ)」に変更すると発表した。 そもそも、なぜ“しようこ”になったのか。21年5月に投稿されたYouTube動画によると、薔薇の「薔」の字を用いた「薔子」を“しょうこ”と読ませる予定だったという。ところが、届けを出しにいったところ、人名に使えない漢字だったことが判明。その際、母方の叔母が担当者と揉めたといい「ひらがなでいいわ!」と殴り書きにして提出したところ「よが大きくて“しようこ”で登録されてしまったそうです…」と明かしていた。 中川は「本当は(しようこが)イヤだったんですよ。しとよが合体して“はうこ”って書かれたりとか。説明にも困って」と
昨日の話の捕捉みたいな文章です。 mgkkk.hatenablog.com 昨日の話は、漫画家志望の人に対して、よってたかって「一作描けなければ才能がない」みたいな話がされているのを目にして、そんなこと言われたって別に描けるようになんかならないだろと思って、漫画家志望者の人も言われた先って何かあるわけじゃないなと思って不毛に思ったというか、どうせなら描けるようになるために少しでも近づく話が出来た方がいいだろうなと思って書きました。 漫画家志望者が漫画家になるまでのステップを以下のようなものじゃないかと思います。 ①漫画を描きたいと思う ②漫画が1作描けた ③漫画を何作も描けた ④漫画を上手く描けて他の人に褒められた ⑤プロの漫画家になれた 昨日の文章は①から②になかなか移行できない人に対して、できてないことを他人に色々言われるかもしれないけど、人の能力は適切な訓練をすれば伸びるものなので、
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大学卒業後就職に失敗。アルバイトから物流会社に勤務するも辛すぎて数ヶ月で退職しそこから10年以上引きこもり。 母が職場で倒れたことをきっかけに介護施設に就職し、数年経って介護福祉士となった。それからしばらくして転職し現在も勤務する私立病院の事務職に就いた。この時41歳。 そこで知り合ったのが妻。 同い年でバツイチの看護師。自分も向こうも職場で同僚との人付き合いが殆どなかったが、何故か挨拶する様になって会話するようになって付き合い始めた。女性と交際したことは40年以上生きてて一度もなかったが、その歳だったからか初デートでも初セックスでも一切緊張しなかった。 約2年交際してから結婚。お互い歳で向こうは既に子宮を全摘してるってこともあり子なし夫婦。最初は母と3人で住んでいたが間もなく亡くなったため以後は二人きりの生活になった。ご飯食べて、仕事行って、ご飯食べて、各々本読んだりテレビ観たりして、2
姉から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分の意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟だからなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。 ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院に入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。 医者からは一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。 「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」 とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に
https://anond.hatelabo.jp/20230204162851 その節は、ありがとうございました。 たくさんのレス、またブックマークでもたくさんのアドバイスをいただいて、ありがとうございました。 それで、皆さんのアドバイスで一番多かったとおり、ひとつめの大企業のオファーを受けることにします。 卑下するんじゃねえよ!とか、年齢のことを考えろ!とか叱咤激励まじありがたい。この歳になるとなかなか叱ってくれる人いなくなってくるから…。現職だとお山の大将ポジだからよけいに。なんかやっぱり変に夢を見ていたこともざっくり指摘してもらって。確かに俺がコンサルとか営業とかそら無理よりの無理(笑)2番目の会社には、きちんと手紙を書いてお詫びと辞退をします。中途半端なスキルで冒険ができるような年齢じゃないし、それでコケたら迷惑をかけるし。将来しっかり自信がついたらまた考えることにする。相手もプ
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