岡根谷 実里 / 世界の台所探検家 @m_okaneya フランス料理は知っていても、フランス人が日々何をいつ食べているかって案外知らない。 少なくとも私は、クロックムッシュが昼ごはんだとも、バングラデシュで冷水に浸したご飯を朝ごはんに食べることも、知らなかった。家庭料理って、生活の文脈を知ってこそ活き活きしてくるものだなあと思う。→ pic.twitter.com/0rT0aTHZKJ 2023-08-26 15:06:47
羊といえば、なにを思い浮かべるだろうか。私の場合は、チェスターコートやメリノウールのセーターなど、ふだん愛用している衣類だ。浅はかながら、それ以外に思いつくことがなかった。本書では、羊と人間との思いもよらぬ関係が語りつくされている。文化、貿易、軍事など多くの面で、羊は人類の歴史に影響を与えてきたのである。 例えば、撥水性のある羊毛はモンゴルの遊牧民の移動式住居、ゲルに用いられ、肉は食料となった。世界帝国を築いたモンゴル人の機動力というと馬に目が向くが、羊もそれを支えていたのだ。 そもそも、羊と人類の関係はいつ、どこで始まったのだろうか。1000万年から2000万年前、最古の羊は氷に覆われた中央アジアで進化を遂げ、その後、世界中に移動していったという。現在、家畜として飼育されている羊は、このとき西方のヨーロッパへ移動したもので、「アジア・ムフロン」という種が元になっている。この羊は黒い上毛(
「雨ニモマケズ・・・」で有名な宮沢賢治(1896-1933)には、実はベジタリアンとしての一面もある。賢治の死後に出版された『ビジテリアン大祭』という短編小説には、世界中から集まった「菜食信者」の祭典に、畜産組合、神学博士などが乗り込んできて菜食主義を批判し、大討論が繰り広げられる様子がコミカルに描かれている。 賢治の時代にはまだ「ビーガン」という言葉はまだなかったが、小説の中では「ビジテリアン」(「ベジタリアン」のこと)の精神を「同情派」と「予防派」の二つに分けている。「同情派」というのは、食べられる動物に対する「かあいそう」という気持ちがその根底にあり、現代でいうならば「アニマルライツ派」に当たるだろう。一方、「予防派」は、動物性食品がリウマチやガンのリスクを高めるとの考えに基づいており、こちらは現代でいうなら「健康派」といったところか。
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動物・人間・暴虐史: “飼い貶し”の大罪、世界紛争と資本主義 作者: デビッド・A.ナイバート,David A. Nibert,井上太一出版社/メーカー: 新評論発売日: 2016/07/29メディア: 単行本この商品を含むブログを見る疑問点もいくつか湧くが、指摘/主張としては興味深い一冊だ。 『動物・人間・暴虐史』という書名から、最初『暴力の人類史』的な本を想像していたが、その方向性を"動物と人類"の関係に絞った内容といえる。たとえば人類が牛、羊、豚、馬、山羊といった動物に対して、時代ごとにどんな暴力をふるってきたのかを語る"加害者"としての歴史と、動物たちを飼い貶すことによって人類が自身らに対していかに暴力を生み出してきたのかあたりが主な論点となる。 牛、羊、ぶた、馬、山羊、およびその他の社会性の大型動物を、人間が利用するために捕獲、抑圧する行ないは、シェーラーのいうごとく「人間が発展
ニワトリ無くして、人類無し! もし世界からニワトリが消えたなら? きっと各地でパニックが起きるに違いない。鶏肉は牛肉・豚肉などと比べて国際的な生産・消費量が急増しており、とりわけ新興国・途上国での需要がぐんと伸びている。安価で栄養価の高い肉や卵は、多くの庶民の健康を陰で支えてきた。 その膨大な加工食品も含めて、人類にとってますます不可欠な食材となり、成長する巨大都市のエネルギー源にもなっている。 もし私たちが他の惑星へ移住する時がきたならば、最も重要なタンパク源としてニワトリをまず同行させるだろう。実際、NASAはニワトリが惑星間旅行に耐えられるかどうかの実験をしており、可能と結論づけている。 食材だけではない。インフルエンザの世界的流行を食い止めるのにも、ニワトリは重要な役割を担っている。インフルエンザワクチンを作る入れ物として、卵が使われているのだ。 「宇宙船よりも複雑な構造」を持つ卵
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