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ブックマーク / kkbt2.hatenadiary.org (7)

  • 何かをやめさせる時の考え方 - β2

    仕事では、なにかをしてもらおうとして作戦を練ることがある。じゃあ、なにかをやめさせるというプランはどうだろうか。世の中には、いじめ対策みたいに「なにかを防止したい」というような場合が多くある。こういうとき、どうすると効果があがるのか。 何かをしている人をやめさせたいときに、まずいアプローチというのはすぐに思い浮かぶ。「意志の力で殲滅する」。がんばって、あるいはがんばらせて防止しましょう、のような。人間は何かと意思に頼りたがる。意思で物事が動いていると考えがちだ。それは事実ではなく願望だと思う。 罰を用意すればいいかというとそうでもない。罰は免罪符になってしまうこともある。かつて海外の幼稚園で遅刻に罰金を科したら、むしろ罰金を払えばいいのだと遅刻が増加したという話を聞いたことがある。 ではどうするか。 まず「ガス抜き」だ。元の欲望を、ちょっと似た別の欲望にして受け流す。悪意のあるハッカーに効

    何かをやめさせる時の考え方 - β2
    footwork_x
    footwork_x 2012/08/17
    >何かを防止するからといって、それそのものを消去しに行かない。いうならば、何かをやめさせるということは、なにか別のことをさせるということだ。
  • 第三者としてのマニュアル - β2

    熟達者がそれを作り、初学者がそこから学ぶ。それがマニュアルに対する認識だった。 組織においてはそれが逆ではないかということを、ある話を聞いて思った。 ディレクターは自ら手を動かして仕事をしてはいけないという。彼がやるべきことは指示と判断であり、その際にはマニュアルが必須なのだという。マニュアルは当は、熟達者のためにある。熟達者は、マニュアルから引用し、指示を出す。相手の仕事に対しても、マニュアルに従っているかどうかによって、判断を下し、伝える。もちろん熟達者なのだから、マニュアルに書いてあるような内容は熟知しているし、そんなものをいちいち見なくても同じく指示や判断をくだすことはできる。しかし、それはやってはいけないことだという。 組織において、そこで行き来する指示や連絡が、個々人の好みにすぎないのか、あくまで仕事としての割り切った判断なのか、それが明解であることはとても大切だという。たと

    第三者としてのマニュアル - β2
    footwork_x
    footwork_x 2012/05/31
    マニュアルは熟練者のためのもの。
  • フェンスを外す人 - β2

    イギリスのチェスタートンという批評家の名言に好きな言葉がある。 「なぜフェンスが建てられたのかわかるまで、決してフェンスをとりはずしてはならない 」 高級なクラブなどに行くと気づくのは、そこにある灰皿が極端に小さいことだ。小さく造形された灰皿はそれだけで独特な美しさを持っているが、ここには原作者の粋なアイデアが詰まっている。小さな灰皿は、一でもたばこを吸えばいっぱいになってしまう。そうすると、スタッフが灰皿を新しいものに替える。そうするとことで、客への細やかなサービスを演出できるし、スタッフに自然と客へ細かく注目させることを可能にしている。 もちろん、これを違うやり方で実現することもできる。たとえばマネージャーが、スタッフに「客を細かく見ろ。灰皿は、客が一たばこを吸ったら必ず変えろ」と言えばいい。そういうマニュアルを作ってもいいし、バックルームに貼り紙をしてもいい。なんらかの指示や号令

    フェンスを外す人 - β2
  • 消費と投資が紙一重 - β2

    家族も自宅もない身ではあるけれど、最近、むしょうに別荘なるものが欲しくなっている。もともとTumblrというサービスで、世界中のキレイなインテリアを集めていたのだけど、せっかく集めたのだから自分もそういう空間を作ってみたいなあと思ったのがきっかけだ。こうなると夢が広がってきて、床はこうして、壁はこうしてと・・・別荘なのだから工事中でも帰れなくて困ることもないし、お手製サグラダ・ファミリアをやってやろうという気分になってくる。 それで、自分の予算にはまるくらいの激安な物件を見に、ちょっと田舎に行ってきた。70〜80年代くらいに開発された別荘地は、今や持ち主も高齢化して、出入りも少なくじゃっかん寂れてしまっている。管理している人も、自分みたいな比較的若い人が新陳代謝を起こしてくれることを期待しているようだ。別荘アイデアは悪くない。 見て回っていて気になったのは、「別荘おじさん」の存在である。古

    消費と投資が紙一重 - β2
    footwork_x
    footwork_x 2012/01/10
    自分がお金を使っていることを、いつかお金になるようになんとなくつなげておくというのは悪いアイデアじゃない。
  • 賢さのオルタナティブ - β2

    私の周りに、社会人として留学する人たちがたくさんいる。ところが自分は勉強をしたいという気分にならない。向学心が足りない。 誰もがそう考える程度に、私も賢くなりたいとは感じている。ところが勉強するとなると気が乗らない。嫌だというイメージより、どうもピンとこない。自分のなかにある賢さのイメージと勉強のイメージがつながらない。 ある文豪が娘に掃除のやり方を教えた話を思い出す。文豪は、明確な掃除の「型」を持っている。娘に掃き掃除などさせると、動きに無駄が多い。娘自身にとっては自然な動きであろうが、父親が手を見せると、なるほど無駄が多いという話。 娘はいつしか掃除の「型」を覚えて、意識しなくても型どおりにできるようになるだろう。この型どおりにできるようになる、というところが一般的な勉強のイメージだろう。この勉強のイメージがピンとこないのだ。どちらかというと重要なのは、自分にとっての自然な動きが、型

    賢さのオルタナティブ - β2
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    footwork_x 2012/01/10
    自分にとっての賢さは、知らないことを知るようになることではない。すでにやっているのに自分で意識できていないことを意識してみるということだ。
  • 「構え」の使いこなし - β2

    無難なおしゃれをしている人はどうも信用ならない。なんかさわやかだけど、当にその服を着たくて着ているのか。没個性的だし、そんなに周りに溶けこむことが大切なのか。鼻につく。もちろん自分だってそこまで目立つ格好をしているわけではないけど、自分の好きな服を着ている。こう、考えていた。 ところが仕事の事情で、ビジネスカジュアルと呼ばれる服を大量に買う必要が出てしまった。こいつは、男性社会人における「ザ・無難な格好」。スーツスタイルをカジュアルにしたようなもので、大都市ならどこにでもあるようなセレクトショップの服というのを基パーツにしている。自分の考えとはかなり距離があった。 今の自分の考えはこう。ファッションというのは自分のためだけではなく、見られるのだから他人のためでもある。とくに女性の目を意識した場合、女性は男性に清潔感を求める。女性は怖さ、汚さ、だらしなさ、自立のなさを嫌う。なぜなら、これ

    「構え」の使いこなし - β2
  • コントロール幻想 - β2

    古武術系の人は呼吸法について、「カラダの能的な動きのうち、唯一じぶんでコントロールできるのが呼吸なのです」という。だから、呼吸法に意味があるのだという。その言葉を聞いた当初は、よくわからなかった。 なにがコントロールできるのか、なにがコントロールできないのか。そういう観点で世の中を眺めた経験はそうない。そういう観点でみると、なにがわかるんだろうか。 社長の成功談で聞く類型のひとつとして、目標はコントロールできる形にしておかなければならない、というものがある。営業職の人に、○○円を売り上げろ、という目標は筋が良くない。売上金額というのは、営業職ひとりでコントロールできるものではないからだ。彼がコントロールできることは、何日間で何人と会う、とかそういうことだ。 テニスコーチのガルウェイはこう言う。「あなたの打ったボールはどのくらいの距離でアウトしている?」彼は、「ボールを枠内に入れろ」とは言

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