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断片に関するgimonfu_usrのブックマーク (150)

  • ねこと暮らしていた - TAKUYAONLINE

    ねこと一緒に暮らしていた。1990年代の半ばから数年間だから、もうずいぶん前のことだけど。 名前はにゃりん太。「忍者ハットリくん」に出てくる影千代(忍者)が「にゃりーん!」て言うのがイカしてたから、そこから名前を拝借しました。その前はトトロって呼ばれていたらしかった。 トトロって呼んでたのは当時近所に住んでた人たちで。トトロは地域のボスで、うちに来る少し前からいろんな人にかわいがられてたみたい。真っ白で顔と背中に茶色のブチがある、とてもきれいなねこ。 でもある日にゃりん太はうちにやってきた。通りに面したアパートの外階段を上がったところの2階にある、うちの玄関の前になぜかちょこんと座ってた。「いやいや、うちでは飼えないんだよ」って伝えてみたけど、にゃりん太はずっと玄関の前にいて、しょうがなくドアを開けたらそのまま物怖じもせずに家に入ってきて一言「みゃー」って鳴いた。その頃はまだ半野良のや

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  • 高校時代を「共学・サブカル・田舎」で過ごすということ - 冬川智子さんのマンガを読んだよ - kobeniの日記

    以前、「シンプルノットローファー」というマンガについて書いたことがある。 衿沢世衣子「シンプルノットローファー」。モンナンカール女子高等学校(中高一貫)に通う女の子たちの日常が12話、描かれたマンガである。大和田舞可(マイカ)始め、26名のクラスメイト一人ひとりが、主役になったり脇役になったりしつつ物語が進む。内容はというと、生物室で飼われていたヘビが逃げ出して大騒ぎしたり、ハンダゴテを使いこなす機械通のりょうちゃんが「今できることを、今やってみたかった」と家電修理の仕事体験をしたり、ケータイを手放せないエマが、登校中に『嗚呼、いっそこのまま、どこか知らない町まで行ってしまおうか…』とブログを更新したり…。どこにでもありそうな、しかし人生でたった一度きりの思春期の日々が、チャーミングに描かれている。 懐かしい気持でいっぱいになりながら読み終えて、しばらく経ってふと気がついた。ないじゃないか

    高校時代を「共学・サブカル・田舎」で過ごすということ - 冬川智子さんのマンガを読んだよ - kobeniの日記
    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2013/05/31
     ( これはどういうカサブタ剥がしか。〔賞賛している。下から目線で。〕)( しかし、よくよく思い起こせば自分の青春にはサブカルさえなかった…。 )
  • その世界を保存する - 傘をひらいて、空を

    結婚退職する社員の送別会に出て、けれども部署もちがうしそんなに多くの接点があったのでもないから、一次会で手を振って別れて、親しくしている同僚ふたりと、別の場所に移動した。夜で、金曜日で、洞窟めいた細長い店の、いちばん奥のテーブルのぐるりに座って、女ばかりで、私はなんだか、嵐の終わりを待っている原始人になったみたいな気持ちする、と思う。 後輩がフルートグラスを軽く掲げ、いやあ正直ほっとしました、と言った。先輩が自分のグラスを手に取ろうとしてやめ、手の置き場に困ったように動かしたあげく、膝の上に置いた。磯西さんとなんか、あったの、と訊くと、後輩は大きい声でいかにも愉快そうに笑い、マキノさんはのんきでいいなあと、そんなことを言う。後輩は入社四年目で、そのあいだ三度ばかり、辞める社員とふたりで話す必要が生じたのだけれども、いちばん小さい会議室でおこなわれた話の半分以上が業務内容から離れていて、では

    その世界を保存する - 傘をひらいて、空を
  • 乳腺切除を告白したアンジェリーナ・ジョリー「家族の絆はさらに深まった」

    「家族の絆はさらに深まった」と語ったアンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピット (C)BANG Media International 米女優のアンジェリーナ・ジョリーが14日、米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿し、遺伝性のがんを予防するために両乳腺切除手術を受けたことを発表した。 母親のミシェリーヌ・ベルトランさんを2007年に卵巣がんで亡くした今年37歳のアンジーは、現在健康であるものの「BRCA1」と呼ばれるがん遺伝子があると診断されたという。「BRCA1」は乳がんと卵巣がんの発症率が高くなり、アンジーはこのリスクを軽減するために乳房の切除手術に踏み切り「発症率には個人差があるようですが、87%の確率で乳がん、それに50%の確率で卵巣がんになる可能性があると担当医が診断しました」と同紙に打ち明けている。 実際に、遺伝的な遺伝子の突然変異によって乳がんを発症する確率はごくわずかだが、「B

    乳腺切除を告白したアンジェリーナ・ジョリー「家族の絆はさらに深まった」
  • 風俗信者への道

  • 戦時中の一通の手紙 #古い手紙

    ひょんな事から、大東亜戦争の話になり 故人に聞いた思い出話等をして居りましたら 思わぬ展開になりまして…(´;ェ;`) 流すのは勿体無いので纏めました。

    戦時中の一通の手紙 #古い手紙
  • 猫との契約が満了した

    家の苗字との名前と電話番号が記された首輪は、契約のしるしみたいなものだと思っていた。 契約内容は、こんな感じ。 わたしたち家族は、に対し適切な居住空間とご飯と愛情を提供すること。期限は、神様の定める時間まで。 は、同じ家に住んでくれればいい。期限は、神様の定める時間まで。 昨日の朝、よろよろとだけど歩いていて、母にいつにないくらいかわいい声で「にゃん」と言ったらしい。 そのあと、わたしが起きてきたときは、ちょっと歩いては床の上にじっと伏せっていた。 寒くないのかなと思っていたら、よろよろとコタツにかけてある布団のうえにたどりついて、横になっていた。 そこから何度か起き上がろうとして、なんとか前脚と頭は起こしたけれど 立ち上がることは出来なくて、パタっとまた横たってしまった。 そして、それから2時間もしないうちに、変なセキみたいなのを小さく何度かして脚をちょっと動かしたのを最期に もう

    猫との契約が満了した
  • 父の自殺と焼肉 - Everything You’ve Ever Dreamed

    彼岸前に墓参りにいったらオヤジの墓前で母にあった。年末に家を出て以来だから実際にたいした期間顔を見ていないわけでもないが、なんだか久しぶりな気がした。「元気なの?」「まあね。その節はお世話になりました」「お世話しましたー。お父さんも突然死んじゃったのに」オヤジは20年前に自殺した。40代だった。あのときから僕ら親子は親子というよりは戦友のような関係になったのかもしれない。『死んじゃった』なんて明るいトーンで言えちゃう母はわりと早いうちに父の自殺を消化していたようだ。 「あんたも家を出ちゃって、まあまだ私の体が元気で動くからいいけどさ。動かなくなったときのこと考えておいてよね」動かなくなるなんてーとへらへら笑って余裕を見せる僕を的確にジャブを当ててコーナーに詰めてくる母凄すぎ。圧倒されながらの僕は、考えてるよーと苦し紛れのパンチを返すしかない。「じゃあさ、テレビで独り暮らしの年寄りが狙われ襲

    父の自殺と焼肉 - Everything You’ve Ever Dreamed
  • 「わたしは選ばれない」という絶望と、その対応策 - インターネットの備忘録

    就活してるけど、死にたい。あと就活は全然間違ってないし歪んでない。http://anond.hatelabo.jp/20130306163244 死んじゃダメ!という思いをぶつけるべく、恥をしのんで書こうと思います。 というかぶっちゃけわたしは新卒のとき実家から通えて入れてくれる会社ならどこでもいいから入ろうと思って就職活動したので、氷河期とはいえあまり苦労しませんでした。 学歴もなかったし、親とか先輩のコネとかも何もなかったので、学校から斡旋された求人に応募して何も考えずに面接を受け、酒豪の社長と話が盛り上がって1社目で即決まってしまったので、学校内では一番早かった気がする。 とりあえず自活できるくらいの給料がもらえれば、組織の大小問わずどこでも入ります、みたいな感じ。(その会社は今は潰れてもうないんですけどね) なので就職活動での苦悩みたいなのは想像でしか分からないのですが、そこから時

    「わたしは選ばれない」という絶望と、その対応策 - インターネットの備忘録
  • 少女漫画みたいな人生のその先のこと

    町を歩いていて、ふと、窓ガラスに自分が映るのを見る。ああ、自分はキレイだなって思う。ものすごい美人ていうわけじゃない。でも私は自分の容姿を気に入ってるし、多くの他人にもそれなりに見えるっていうことも分かる。 その瞬間にいろいろなことを思い出す。 昔は自分の姿を見るのが、とても嫌だった。町中で唐突に鏡に出くわすと、ぎょっとして心臓が止まるかと思うほどだった。自分は家庭でも学校でもいつも醜い子供だった。少なくとも自分を醜いと思って生きていた。思春期になるころには、学校の男子にありとあらゆる方法で容姿をけなされた。母親は、顔の整形手術を進めてきた。少しずつ自分の身体が女らしくなってきたとき、それを私は嫌悪した。できるかぎり身体の線の出ない服、ダボダボな男の子みたいな服を選び、髪も五分刈りにしていた。女として見られるのが嫌だった。女じゃなくなれば、醜くても、そんなに傷つけられることはないから。きっ

    少女漫画みたいな人生のその先のこと
    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2013/03/06
    ( 「誰かと一生添い遂げる資格のない、誰も必要としない」というのも、自惚れかもしれんで )( 切込ナントカという例もあるし )
  • 凡人な僕は愚直に努力するしかない。

    就活を始めてから改めて感じたことだけれど、僕には才能がない。他の人に比べて秀でていることがなにひとつない。 勉強すればなんとかなるかなと思っていたけどそうでもないみたいだ。 書評ブログを初めて一年近く経つけれど、何か変わったのだろうか。棚に並べられたをみると安心する。 追記:20130427 めっちゃブクマついてる…!ありがとうございます。 やっぱり就活はうまくいかなくて、未だ無い内定です。 でも、まだ募集している企業もあるし、落ち着いて面接で話せるようになってきたのでもう少し頑張ります。 就活が終わったら、腰入れてブログを更新していきたいです。

    凡人な僕は愚直に努力するしかない。
  • あなたの高貴な仕事 - 傘をひらいて、空を

    フロアのちがう部署に電話をかけると、なんだかずいぶん長いこと呼び出し音が鳴っていた。知っている声が出て、わあ、マキノさん、と言う。顔見知りの、すれ違うと用がなくてもにこにこして近寄ってきて他愛ない話を少しだけしていくような、可愛い人だった。相手が私だからそうするというのではなくて、多くの人に彼女はそうなのだった。あの愛想のいいお嬢さん、と私の先輩なんかは言うけれども、ほんとうは社歴も長くって、その呼称が似つかわしいキャリアの持ち主ではなかった。彼女は華やかな声で、私のつないでほしかった人を呼んだ。 彼女の所属する部署のリーダをつとめる同僚を見つけて、内線、減ったの、と訊くと、減らした、と彼はこたえる。夜中で、自動販売機のところに私たちはいて、だからまずはそれぞれが飲みものを買ってプルタブを引く。大きい音、と私は思う。大きくて、なんだか大げさだ。美味しそうに聞こえるように、きっとデザインされ

    あなたの高貴な仕事 - 傘をひらいて、空を
  • つらいということ - やしお

    先々月に父が急死した。 もし親が死んでも自分は意外と平気でいられるんじゃないかと考えていた。何かを整理して考える力も大分ついてるし大丈夫かもしれないと侮っていたが実際はまるで平気ではなくて自分でも驚いた。体験を通さないと当には分からないことが確かにある。 12月14日(金)の昼前、母から「父と昨日から連絡がとれない」とメールが入った。両親は離婚して別々に住んではいたものの、連絡を取り合ったり会ったりもたまにしていた。 前日が僕の誕生日で、田舎から両親の名義でお菓子が届いていたから、二人宛にお礼のメールを出していた。いつもは電話をかけてくる父親から返事がなかったから変だなとは思っていた。 僕の誕生日のこともあり10日ぶりに母も父に連絡をとろうとしたようだが、メールの返事もなく、電話も「電源が入ってない」のメッセージばかりだという。それで警察と部屋を見に行ってくるという。 事故か、失踪か、病

    つらいということ - やしお
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    gimonfu_usr 2013/02/03
    "その日の夜、母から父の生い立ちや来し方を聞いてせっせとメモした。"
  • 福島の記録 赤城さんのツイートまとめ 2013年2月

    赤城修司 @akagishuji 椹木さんのTWから、VOCA展のリンク http://t.co/qsx3yGMJ を眺めていたら、すこ〜し揺れた。Google earthquake Notify には、福島県沖 震度3(M4.8)と表示された。 2013-02-02 13:57:09 赤城修司 @akagishuji いつも写真が溜まってからTWをする。いつも書き出しに悩む。北杜夫の幽霊とか、梶井基次郎の檸檬とかのような、書き出しにあこがれている。(地震だ)(長い)(これは長い)(十勝…静かに…小さいけど…長い) http://t.co/4uxqdScX 2013-02-02 23:21:44

    福島の記録 赤城さんのツイートまとめ 2013年2月
  • 溢れんばかりの愛を Girl's side

    溢れんばかりの愛を http://anond.hatelabo.jp/20130128222709 昼休みにこのエントリを読んで、いつの間にわたしは増田を書いたのだろか、と思った。一人称が違うことに気づき、自分と同じように孤独に苛まれる人間がいることを知った。 いつだって、人とうまく関われなかった。人に関わろうとしては、行き違いを生み、人が離れていく。それを繰り返すうちに、人を避けて生きるようになった。人を避けていれば傷つくこともなく、傷つけることもない。最初からそういうものだと諦めてしまえば、独りでだって生きていけるだろう。そんな風に考えていた。 それは間違いだった。人と関わりたいという想いは簡単に諦められるものではなく、結局は孤独をこじらせるだけだった。 孤独は、いつだってそばにあって、予期しない瞬間に降りてくる。そのたびに叫びだしたくなる、走り出したくなる、どこかから飛び降りたくなる

    溢れんばかりの愛を Girl's side
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    gimonfu_usr 2013/01/30
      少子化対策としての匿名ダイアリ
  • 不器用で内向的な人間が幸せに生きられる場所なんてこの世にない

    できる営業職だった父の背中を見て育った。 学校の成績は良かったが、我ながらおとなしい性格だったので、父のような会社員にはなれないだろう、と小学校高学年の頃に悟った。その頃の将来の夢は考古学者。シュリーマンになりたかった。 それから数年。私が中学生のとき。父、癌を患う。一命は取り留めたものの、落ちた体力では、かつてのように仕事はできなくなる。会社はクビになった(病状の割には長く引き止め、部署を移すなど色々と対策もしてくれたが)。大学時代の友人の伝手で、小さな会社で働き出し、そこでも成果を出すものの、癌の転移が発覚。私が高校の時分に早逝した。 その後、母が生命保険や退職金を切り崩して捻出してくれた金で、出来が悪かったにもかかわらず、私は大学に入学した。小学校時代の神童も、今となっては人並以下。考古学者の夢はとうの昔に捨てていた。折からの不況。まったく学問として興味はないが、手に職のつく資格が欲

    不器用で内向的な人間が幸せに生きられる場所なんてこの世にない
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    gimonfu_usr 2013/01/11
    ( 猛烈な文学青年が猛烈な営業職になった例を知ってるが、特殊な境涯だったのかな)(生計のための道と、生きがい)
  • しょっちゅう実家に帰るやつってなんなんだろうな

    「次の休み暇?」 「ごめん、実家に帰ってるわ」 っていうやりとりを何度したことか。 「もっと早く誘ってくれれば」 っていうけど、既婚者と遊ぶ時ならとにかく、独身誘うのにそんな一週間以上前からなんてまどろっこしい。 一泊二日でどっか行こうってならそりゃね、日帰り遊ぶんなら前日で十分ってのは、俺の感覚が変なのか? 「あした鈴木の家に集合な!マリオカートの4人対戦やるから、みんなスーファミのコントローラ持ってこいよ!」 っていう感じ中学生の頃の軽さが欲しい。 というか、一人暮らしなんだからもっと軽くたっていいと思うんだけど。 え?俺が嫌われてるだけ? 追記人それぞれ生活スタイルがあるんだろうけど、誘っても連れないやつは自然と誘わなくなり、いつでもオッケーくれる人と多くつるむようになってきてる気がする。 申し訳ないような気もするけど、だって面倒くさいやつは面倒くさい。 ほかにも、予算をやたら気にし

    しょっちゅう実家に帰るやつってなんなんだろうな
  • 私の一番長い一日 : まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど

    あれは忘れもしない冬の日私は結婚して既に実家を離れていた。携帯に母から電話があったので出ると母が尋常でないくらい、うろたえている。…弟である。私は「またか...…弟である。 私は 「またか…。あいつ、今度は何をやらかしたんだ…」と、思いつつ話を聞くと どうやら、弟が友人のトラブルに巻き込まれてしまったという。 母は、とにかく、私から弟に話を聞いてほしいというのだ。 弟は携帯を変えたとかで、私は母に言われた電話にかけた。 弟の話を要約すると、仲の良い友達にどうしても、と頼まれて、 弟名義でサラ金から50万だか借りて、その友達に渡した。 信用していた友達なのに、そいつは支払い期限が近づくと逃げた、という。 そして、利子が膨らみ、その額は84万になっている。 今日払わないともっと額が増えて〇〇百万になる、とかそんな話だった。

  • 【法廷から】明かされた元オウム菊地直子被告との5年愛 高橋寛人被告が語った「清楚な美人」との生活とは…+(1/5ページ) - MSN産経ニュース

    愛か、「利欲」か-。地下鉄サリン事件で特別手配されていたオウム真理教元幹部、菊地直子被告(40)=東京都庁郵便物爆発事件の殺人未遂幇助(ほうじょ)などの罪で起訴=をかくまったとして、犯人蔵匿などの罪に問われた高橋寛人被告(41)の初公判が18日、東京地裁で開かれた。家庭、仕事に絶望し自殺未遂を繰り返す男と、歴史に残る凶悪事件の容疑者として追われる女。2人の5年愛が、法廷で明らかにされた。(時吉達也)「清楚な美人」との出会い 「寝泊まりはカプセルホテルや漫喫(漫画喫茶)…。いや、漫喫と公園でしたね」 寛人被告は弁護側の被告人質問で、菊地被告と出会う前の状況について力なく話した。 内装業の職人として生計を立てていた寛人被告。結婚し2児をもうけたが、仕事上の失敗で借金を重ねたことから夫婦関係が悪化し、平成16年に離婚した。「自殺未遂を3度繰り返した」(被告)が、果たせなかったという。定住先もなく

  • 西原理恵子氏 前夫と最後の半年過ごせたのは高須院長のお陰

    女性セブン10月25日号に掲載されている対談記事において、ふたり揃って熱愛宣言をした高須クリニック院長の高須克弥氏と漫画家の西原理恵子氏。出会いは10年前。当時はお互いに結婚相手がいる身でもあり、男女の関係を意識することはまったくなかったという。 西原氏は1996年に結婚し、1男1女をもうけたものの、アルコール依存症となりDVを受けるなどして大変な思いをした末に別れた夫がいた。そして、離婚から3年経った2006年、西原さんと高須さんの絆を深める出来事が起こる。修羅場の末に別れたにもかかわらず、離婚した夫ががんになり、西原さんに復縁を求めてきたのだ。 西原:この人(高須さん)はお医者さんだから、毎日会って、元夫のアル中やがんについてもいろいろ相談していました。当、「医者がそばにいるといいなぁ~~~!」って思った(笑い)。だけど、命が残り少ないことがわかった元夫が、家に戻りたいと言ってきてい

    西原理恵子氏 前夫と最後の半年過ごせたのは高須院長のお陰