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断片に関するgimonfu_usrのブックマーク (150)

  • (人生の)秋の準備 - 関内関外日記

    今週のお題「秋の準備」 青春・朱夏・白秋・玄冬でワンセットということを最近知った。青春以外は人生の季節ことばとして使わないようだが、当てはめようと思えば当てはまるかもしれない。わかりやすいところからいけば、玄冬は人生の末期、老後だろう。玄冬という字面は「糸冬」にも似ているので間違いない。 と、ここまではよいが、青春・朱夏・白秋の区切りというのはよくわからない。いちばんイメージしやすいのは青春か。一番若い。若いといっても赤ん坊や園児というのではちと早い。いわゆる成長して性徴がどうこうの思春期から……どのくらいか。ヤングアットハート(母ニフティハート)などと言っていつまでも青春だ、死ぬまでが青春だ、というのもちと醜悪さがある。醜悪は言いすぎかもしれないが、そういう人はそういう人でなにか圧倒的でなくてはならない。おれに「いいおじいさん」タグを付ける余地を与えないくらいでなくてはならない。まあ、例

    (人生の)秋の準備 - 関内関外日記
  • ものがたり - リツエアクベバ

    来月、娘の通う作業所で、今年度二度目の面談がある。一度目の面談は5月だったと思う。法人の方針や娘の様子など。ふと話題が途切れた時に「こんなことがあったんです」とわたしは話し出した。別にここで話さなくてもいいことだったかもしれない。でも、なんとなく誰かに話してみたかったのかもしれない。 娘が生まれて、闘病があり、家で生活するようになって。その頃だから21年前くらいの時に、ある方から一通の手紙が届いた。もう手元には残ってはいない。多分捨てたんだろうと思う。その捨てた時にどんな感情をもって捨てたのかももう覚えていない。多分忘れたかったのかとも思う。 それは父の郷里の人間からだった。「そういう子を産んだら、もうこちらには来ない方がいい」と書いてあった。娘を生んで初めて手にした、知的障害に対しての差別らしい差別だったと思う。「配慮」という衣を着てそれは突然現れた。 わたしは両親にその手紙と内容を伝え

    ものがたり - リツエアクベバ
  • 手あて - ruru on the roof

    全然覚えはないのに、よく小さな怪我をします。気がついたら、右手の甲に3ヶ所、左手に1ヶ所、小さな傷があった。いつの間にか、すったりぶつけたり、したみたい。 主人はとても用心深い。石橋を叩いて渡る、という言葉があるけれど、石橋を叩いてもきっと彼は渡らない。叩きすぎて壊れてしまったら安心してお家に帰るんじゃないかしら。(一方私は、向こう岸にいいものがあると分かったらきっと渡ると思うの。たとえ、橋がなかったとしても!) だから主人は、着替えをするときには伸ばした手をぶつけ、顔を洗っては洗面台に頭を強打し、向きを変えてはつま先をあてる私をみて、信じられない、という顔をします。 「痛い」 「そりゃ痛いよ」 最初のころどこかを痛くしたとき、なぐさめてくれたので、それからすぐ報告しにいって甘えることを覚えました。ぶつける他にも深爪をしたり目が赤くなったり、しょっちゅう痛いことになるけど、ちょっと手をあて

    手あて - ruru on the roof
  • たまたま取材した宮城県の小さな集落の避難所について渡部記者の呟き。

    渡部真 @craft_box (1)大吉と菅原のたくましさを見てたら、震災から1カ月くらいたった頃、夕方にたまたま通りかかって取材した、宮城県のある小さな集落の事を思い出した。震災前、地域の人口は150人ほど。漁業中心の集落で、そう、ちょうど袖が浜のモデルとなった小袖海岸とほとんど同じ規模。 2013-09-07 09:28:38 渡部真 @craft_box (2)山に囲まれた沿岸の一部だけが平野になっていて、5〜60世帯が密集していた。そこに津波が来て、集落は壊滅した。震災前、高台には2つしか家がなかった。一つは漁業と関係ない山の方にある家で、もう一つは浜近くの高台で「あんな高いところにあって不便な家」だった。 2013-09-07 09:29:29 渡部真 @craft_box (3)その2軒の家以外、すべてが全半壊した。津波で道路も壊れ完全に孤立した集落。「不便な家」に地域の住民が

    たまたま取材した宮城県の小さな集落の避難所について渡部記者の呟き。
  • わかりいそがない生き方 - うちこのヨガ日記

    心理学しながら人間学した巨星・なだいなだ先生の言葉が、あらためて沁みてきました。 「ケシカラニズム」 恥の文化で人を裁く日人の、独特な攻撃性を7文字で表現している。 わたしは以前、クレーム対応をする人たちと仕事をすることがありました。わたしの立場は、テクノロジーも使いながら仕組みで手助けできることがないか、探すことでした。ハードクレームの現場やシーン分解の作業をしたときは、なだ先生のこの言葉のおかげで、必要なことを冷静に考えることができました。 もうひとつ、いまごろになって沁みてきたのが 「わかりいそぐ」 これも、「ケシカラニズム」同様、「人間、この非人間的なもの」というに出てきた表現です。 「人間、この非人間的なもの」を読んでから4年が経ちました。 今年、山七平さんの「日人とユダヤ人」、土居健郎さんの「甘えの構造」というに出会い、これまで言語化できずにもやもやと抱えていた思いを

    わかりいそがない生き方 - うちこのヨガ日記
  • 『我が二等兵物語』~祖父の戦争体験(上) | 冬の散歩道

    五年ほど前に祖父が亡くなった際、彼が戦争体験を綴った遺稿が出てきた。それを紹介したい。 彼はアマチュア文筆家で、筆まめだったし、俳句や川柳を書き溜めたノートを何冊も持っていた。「我が二等兵物語」と題されたこの文章も、原稿用紙33枚に丁寧に清書されたものだった。一ページ目の注には、「此の原稿は昭和56年起稿」とある。清書したのは平成四年だったようだから、実に11年をかけて完成させた力作だ。 「戦争体験」というと、どうしてもシリアスで、悲惨なものばかりが目立つ。だが、それだけが「戦争体験」ではなかろう。この「我が二等兵物語」は、主に学徒出陣で徴兵された直後の訓練の期間にフォーカスし、その日常をユーモアを交えて活写している。祖父はとても大らかな人だった。重たい現実も、消化して笑いに変えてしまう逞しさがあった。 この原稿は世に出ることなく祖父は亡くなった。終戦記念日の今日が、これを世に出すのに最も

    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2013/08/29
    ( 学徒動員〔昭和十八年〕された方の遺稿 ) 〔永田少将 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E9%89%84%E5%B1%B1 〕
  • 玉音放送から68年目の暑い夏に寄せて - 雑種路線でいこう

    8月15日ゆるゆると六木通りを歩いていたら溜池交差点で街宣車の縦列をみかけ、そうか今日は玉音放送の日かと往時に想いを馳せた。日ではこの日を終戦記念日というが、国際的には東京湾に停泊した戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書を調印した9月2日こそ正式な終戦とする主張もある。では日国民にとって8月15日にどういう意味があったかと考え直すと、正午の玉音放送で天皇陛下のご聖断が国民に知れ渡り、土決戦を主張する陸軍の野望が最終的に潰えて、国民がやっと総動員体制から解放された、いわば戦後の始まった記念日だろうか。 戦後生まれの僕は先の大戦に対して奇妙な被害者意識を持っていた。9.11から間もなくSan Diegoに出張し、僕はアフガン戦争に批判的であったが、多くの家が星条旗を掲げたSan Diegoの閑静な住宅街で「東京大空襲の日も、この街は同じように静かだったのだろうか」と考えて圧倒的な非対称性を意

    玉音放送から68年目の暑い夏に寄せて - 雑種路線でいこう
  • ひょっとして俺はマッチョだったのでは - 24時間残念営業

    2013-08-08 ひょっとして俺はマッチョだったのでは http://coziest.net/?p=631 読んだ。 これ読んで考えたのです。俺はガツガツしてんのかなあと。 まあ、カッコつけであることは認めます。だって気分いいじゃないですか。一度電子書籍は出したけど、基的には完全な素人のまま、いわゆるアクセスアップのための工夫もほとんどせずに、独力でここまで来たって。少なくとも自分が考えるそのかっこよさのためにやせ我慢してる部分はかなりあります。 ただなあ、届かせるための努力ってほんとしたことねえんだよなあ……。 以下、長文の自分語り入ります。たぶんすごい長い。 自分の話でもしようと思います。過去にも何度か書いてますけど、どうせどっかに散逸してるし。 そもそも俺が文章を書きはじめた理由は、母親が購入したワープロ専用機が「使わないから」という理由で俺に回ってきたからです。そのワープロ専

  • はてな面白い - ひきこもり女子いろいろえっち

    ブログ、すごく面白い。 知り合いがいると書けないこと書こうと思って、はてなに登録してみたけど、いろんな人のブログ読むのが楽しい。 最初ははてなの使い方、ぜんぜんわからなかったけど、スターを覚えた。 いろいろ読んで、面白かったりタメになった記事にスターつけてる。 日記じゃないブログって雑誌読んでるみたい。 全部読まなくても、読みたいとこだけ読んで話がわかる。 日記のブログは連載小説みたい。 話が続いてる。 色んな年齢の人が書いてる。 年上の人の考えを知るの、面白い。 職場の年上の人とぜんぜん違うタイプの人がはてなに多い。 頭がいい大人の人が好き。 20代は大人と子供と混ざってる感じの年だけど、私は頭がよくないのが致命的。 だからぜったい、頭のいい大人にはならないと思う。 お母さんから、 「あんたは考え方がバカそのもの」 っていつも怒られてる。 小学校の時、障害児のクラスに入るように言われたこ

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  • EDの男と付き合ったけど1ヶ月でフラれてしまった話 - 下痢腹わた子の毒吐きブログ

    2013-07-30 EDの男と付き合ったけど1ヶ月でフラれてしまった話 恋愛 日常 これは22歳の頃、東京に出てくる前の話。 私はくまモンに似ている男性に惚れた。 くまモンは人柄がよく、優しさが全身から滲み出ている人だった。 くまモンとの出会いは、オフ会。 同じ地域の人みんなで集まって飲みましょう的な、言ってみれば出会い厨の巣屈。 そこで出会った。 最初のうちは数人で会って飲んでいて、だんだん私のほうから2人で会うように誘った。 くまモンは優しいので2人で会うのもOKしてくれた。 5、6回一緒に遊んでいるうちに、くまモンの家に泊まるようになった。 男の1人暮らしの家に泊まりに行くってことは、つまりその、そういうことである。 新しい死体を身につけて、ドキドキしながらお邪魔した。 だがくまモンは私に手を出すこともなく、夜は普通に寝た。 くまモンはベッドで寝て、私はくまモンが敷いてくれた布団で

  • 消えた女の子 - wHite_caKe

    私が子供の頃住んでいたのはたいそうな田舎だったのですが、その中でも我が家は更に辺鄙な場所にありました。 幼稚園に入るまで、妹と私はお互いだけが遊び相手でした。我が家の半径3km以内には、他に子供がいなかったからです。 そのせいでしょうか。 幼稚園に入ってすぐに私は、自分の対人スキルが同年代の子と比べて大幅に劣っていることに気付きました。 遊びの仲間に入れない。 たまに入れてもらってもどんくさくて、みんなをイライラさせてしまう。 遠いとおい昔のことなのに、入園当時にあったいろんな出来事を、私は今でも思い出せます。 それだけ毎日緊張して過ごしていたのでしょう。 自分が他の子供と上手く遊べないことに気付いた私は、自分の何がそれほどまでに駄目なのか、いっぱい考えるようになりました。 かなしくて苦しかったですが、ぎゃんぎゃん泣きながらお母さんに引きずられて幼稚園にやってくる子が他にいたりしたので、自

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  • おれが『ビッグ・リボウスキ』だ。 - 関内関外日記

    「おまえが生涯で一番好きな映画はなんだ?」ってきかれると困る。でも、おれという人間がどんなやつかを代弁してくれるような映画があるとしたら、『ビッグ・リボウスキ』なんじゃねえかと思う。おれはこんなのが好きな人間なんだぜって履歴書代わりに提出できるんじゃねえかって。久しぶりに観て、あらためてそう思った。 そりゃおれはデュードみてえにホワイト・ロシアン飲んでボウリングして家賃払わねえで、なにしてんだかわかんねえ無職じゃねえんだ。でも、あれに憧れるところがある。58分過ぎから着てるだらしないカーディガンみたなやつねえかと、秋冬シーズンになると古着屋で探したりする。もう酒は飲めねえけど、もうどうでもいいやってなったら、大好きなスコッチか、それともウオッカにカルーア、生クリーム混ぜて飲んでるかもしれねえよ。まあ、ニート時代は真似して飲んでたけど。あるいは、ジョン・グッドマンみてえに変な教条主義的なとこ

    おれが『ビッグ・リボウスキ』だ。 - 関内関外日記
  • こうして僕は「追い出し部屋」に飛ばされた。 - Everything You’ve Ever Dreamed

    人生で一度だけ犯罪者扱いされたことがある。十年前のことだ。僕は犯罪者扱いされ、今でいう「追い出し部屋」に飛ばされた。思い出すだけでまだ怒りがおさまらない。 当時、僕は転職してきたばかりの営業マン。異なる業界からの転職だったのでローカルルールを覚えるのに必死。在籍していたのは資材部の営業チームで、上にはコーダ部長、ハラ課長の二人がいた。コーダ(実名)の口癖「仕事デキねえな」にムカつきながらも、仕事に追われていたし、前の職場に比べてシステムが雑だったので関係各署にあれこれ要望を出したりして煙たがられたりもしたけど、それも含めて新鮮で充実した時間だった。 ある日、経理の入金担当から呼び出しを受けた。入金がおかしいと担当は言った。僕の部署と取引がある顧客だった。入金がないわけでも遅れてるわけでもなかった。ただ入金額が少なかった。請求額とは異なる金額。彼は「既にコーダたちには伝えてあるが状況は変わら

    こうして僕は「追い出し部屋」に飛ばされた。 - Everything You’ve Ever Dreamed
  • 良い恋人と悪い恋人 - 傘をひらいて、空を

    あーん、と彼は言う。きまじめな顔をして果物をべている。桃とさくらんぼ、と彼女は思う。ピンクばかりの組み合わせだなあと思う。それを彼自身の口に運ぶよりほかに彼の手は使用されていなくて、もちろん彼女も同じだった。彼らは落ち着くべき年齢で、少なくとも表面上は落ち着いたふるまいを身につけていた。だからそれは彼らの語彙としてはあまりに奇妙なのだった。あーん。彼女は小さい声でそれを繰りかえす。親しい相手の言うことが不審であるとき、彼女はときどきそのようにする。その声音からは非難がましさの棘がきれいに抜けている。 彼はそれをさくらんぼのへたと一緒につまみあげる。あーん、って、いつかやろうと思って。いつかって。あなたがうんと年をとったら。あなたが年をとって弱って、面倒な事情も感情もみんな摩滅したら、そうやってものをべさせたいなあと思って。彼はそのように言う。四六時中なにもかもについて面倒を見るのはじい

    良い恋人と悪い恋人 - 傘をひらいて、空を
  • 「気付かれない技術」

    著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly ) 訳 :堺屋七左衛門 この文章は Kevin Kelly による "Undetectable Technology" の日語訳である。 気付かれない技術 Undetectable Technology 小説『Permanence』の著者でSF作家のカール・シュレイダーが、フェルミの逆説について書いている。フェルミの逆説とは、宇宙が無限であるならば、発達した文明が無限個存在して、その存在を示す証拠を発しているはずなのに、私たちが見る限りどの方向にもその兆候は見つからない、ということである。空は異星人であふれていそうなものだが、そうなっていない。なぜだ? シュレイダーの説明は、アーサー・C・クラークの有名な言葉「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」の言い換えである。シュレイダーは次のように述べている。 充分に発達した科学技術

    「気付かれない技術」
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    gimonfu_usr
    gimonfu_usr 2013/07/01
    うむ。 ( しかし自分のような「『五分でわかる』二次創作群で満足」脳もおれば、真摯な書評者もおるので、まあ、いろいろです。 )
  • エッセイ2 | 妻の小言。

    それから10数年。私は結婚をした。 付き合ってすぐに子供ができ、相手の性格も趣味もよく分からずに一緒になった。 そんな相手は大の競馬好きだった。 大きなお腹を抱えた私は、ひとりで新居を探して歩いた。 やっとのことで見つけた部屋は、西国分寺駅から徒歩20分のところにあるマンション。 引越を済ませ、2人で近所を散策していて気が付いた。 そこは東京競馬場の近くだった。 そうと分かった旦那は、日曜日になると自転車にまたがり、競馬場へ通った。 旦那のその習慣は、息子が生まれても変わることはなかった。 ダービーの日のこと。 私は40度の熱に冒された。 今日だけは子供を見て欲しい。私は懇願した。 旦那は困り果てた。眉間にシワを寄せ、布団に横たわる母子を見つめた。 「……分かった。今日は早く帰ってくる。飲みに行かない。17時には帰ってくる」 競馬場へ行くのかよ…。 「……仕方がないんだよ。席を取っちゃった

    エッセイ2 | 妻の小言。
  • わいせつ石こうの村 - 関内関外日記

    わいせつ石こうの村 ぼくの産まれ育った村は、わいせつ石こうの村だった。ぼくの父さんも、おじいさんもわいせつ石こう職人だったし、村中でわいせつ石こうに関わらない人なんていないくらいだった。型どり師から行商人、いろいろな人がいたけれども、それぞれにわいせつ石こうの村の人間だという自負を持って生きていた。とうぜん、ぼくも将来は立派な石こう職人になるものだと思っていた。 わいせつ石こうの歴史 この村がいつごろできたのかははっきりしない。あるものは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際に連れ帰ってきた職人が作ったといい、あるものは、仏教伝来のさいに渡来した仏像師たちの中から、わいせつ石こう造りに目ざめた一派が作ったという。日に漂着したポルトガル人の末裔だと信じる一家もいたし、また、スウィフトの『ガリバー旅行記』の中に記述があるだとか、マルコ・ポーロが言及しているとか、いろいろなことを言う人がいた。父さんはイ

    わいせつ石こうの村 - 関内関外日記
  • 俺には知的障害者の兄がいまして。

    http://anond.hatelabo.jp/20130615195013 最近盛り上がってますね。知的障害者関連の話題。 俺には知的障害者の兄がいます。正確には18トリソミーというやつで、知能は3歳時並といわれていますが、29歳の俺の兄です。 彼は長男で、俺は三男です。 子供の頃どう思っていたか弟の自分が言うのもなんですが、子供の頃のビデオなどを見ると無邪気で可愛い。 彼はたまに近所の子にいじめられたりもしてましたが、俺自信生来無気力な性格ゆえか小学生の頃はあまりそのあたりにタッチすることはありませんでした。 中学生くらいになって、兄が健常者でないということを少し意識的に、ほとんど無意識的に隠すようになりました。 近所を兄と一緒に歩くのが嫌でした。時々笑われたり、兄が癇癪を起こして他人を叩いてしまうことに必死に謝るのも嫌でした。 でも兄は愛嬌があり、好かれることも多く、俺も基的には

    俺には知的障害者の兄がいまして。
  • どうしてあなたは死ななくていいのか - 傘をひらいて、空を

    そのとき彼は動かなかったし、なんにも言いやしなかった。けれども彼はあきらかにどうかしていて、そのことは幾人かの人には自明だった。会議の途中の休み時間で、コールバックしたばかりと思われる電話を、彼は手にしたままだった。誰かが私とあとひとりに目くばせして、それからひどく上手に、彼に声をかけた。なにかありましたね。帰ってもだいじょうぶです、あとのことは僕らがぜんぶやります。声をかけた人はそのようなことに慣れているのかもしれないと私は思った。それくらいそのせりふはつるりと整えられていて、だから彼だって、それをいつのまにか飲んで、気づいたら胃に落ちていたのだろう。 彼は仕事上のいくつかのこととそれ以外のひとつのことを、仕事仲間である私たちに依頼した。仕事でない依頼は彼の委任状を携えて職場の近くの託児所に行き、そこにいるふたごの女の子を、何時間かのあいだ預かるというものだった。はあいと私は手を挙げ、控

    どうしてあなたは死ななくていいのか - 傘をひらいて、空を