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いい話とotakuとlifeに関するguldeenのブックマーク (4)

  • アニメ・漫画・ゲームの悪影響ばかりが語られるのは不公平なので、アニメ・漫画・ゲームに救われた人の事例を集めてみた。 : 二次元規制問題の備忘録

    ◎はじめに アニメ・漫画ゲームを規制しようと主張する人達は、しばしば「子供達を守るために」と口にします。しかし、アニメ・漫画ゲームを規制することが、当に子供達を守ることにつながるのでしょうか? イジメ・不登校・家族との不和。学校に馴染めない、友達ができない、劣悪な家庭環境。それでも、周囲の大人たちは助けてくれない。そんな地獄に直面せざるを得なかった時、アニメ・漫画ゲームに救われた経験を持つ人は意外なほどに多いのです。 今も日のどこかに、アニメ・漫画ゲームに救われて、どうにか生き延びている子供達が、無視できない数存在しているはずです。アニメ・漫画ゲームが規制されたら、そんな子供達はどうなるのでしょうか? ここから先は、子供の頃にアニメ・漫画ゲームに救われた経験の持つ人達の事例集になります。それらを全て読んだ後、アニメ・漫画ゲームを規制することが当に子供達を守ることになるの

    アニメ・漫画・ゲームの悪影響ばかりが語られるのは不公平なので、アニメ・漫画・ゲームに救われた人の事例を集めてみた。 : 二次元規制問題の備忘録
    guldeen
    guldeen 2014/09/24
    「イジメ・不登校・家族との不和。学校に馴染めない、友達ができない、劣悪な家庭環境(略)そんな地獄に直面せざるを得なかった時、アニメ・漫画・ゲームに救われた経験を持つ人は意外なほどに多いのです」ラノベも。
  • 日本文化との出逢いが僕の人生を変えた理由

    僕はどのように日文化を発見したのか、どうやって日語を勉強したのか、なぜ日で働き住むようになったのかを今日紹介したいと思います。 どこから始めればいいのか悩みましたけど、「第一日目」からでもいいかなと思いました。この記事を幾つかのセクションに分けてみました。 一日目 どうやって日文化と出逢ったのか どのように日語を独学したのか どうやってお金を稼いだのか 人生の初めての目標 : ジャパニーズドリーム とどこでどのように出逢ったのか 日航空時代 : 初めてサラリーマンになった どうやって日に辿り着いたのか キャリアをどのように日でスタートしたのか ぬるま湯に浸かれると危険 アマゾン時代 どのようにアフィリエイト収入を稼いだのか なぜシアトルに引っ越したのか 副業は今の会社の始まり 第一日目僕はロンドンのイーストエンドで生まれ育ち、両親は中国系マレーシア人だ。幼かった頃は、両親

    日本文化との出逢いが僕の人生を変えた理由
    guldeen
    guldeen 2011/06/06
    こういう内容の人生に遭遇した際、それをどう打開できるか・そしてその経験を異国の言葉で綴れるかと考えると、大多数の人はNoな日本人。自分の手で未来を切り開いていったダニーさんの、その勇気と行動に拍手。
  • 白い方が勝つわ: 喪ゲ女

    ガンダム好きな喪女 ttp://human7.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1198950141/l50 89 名前: 彼氏いない歴774年 投稿日: 2008/02/21(木) 00:56:33 ID:WhSuKvml 私は兄貴の影響で観てたくちで、職場ではアニメの話とかは したことが無かったのだが今日、お昼を終えて職場に戻ったら 一ヶ所に人だかりが出来てた 聞けばイケメソ同士が後の缶コーヒーをかけて オセロで真剣勝負をしてるんだとか 勝負のゆくえが気になり、私も観戦することに 中盤に差し掛かった頃、私がボソッと 「白い方が勝つわ」 と囁いたら後ろから 「喪女はかしこいなぁ」 と声がした 私はギョッとなり振り返ると普段は無口で冗談も言わない 子煩悩で有名な上司(30代後半)が照れくさそうに(´ー`)微笑んでいた その笑顔を見て私も思わず(・∀・)ニヤニヤ

    guldeen
    guldeen 2009/12/25
    これに限らず、さりげなくオタ文化圏からの引用を会話に混ぜてくる例は、まったくもって油断がならないので困るw
  • 同人女三十路散歩:オタクがキモイと言われてしまう時 - livedoor Blog(ブログ)

    私は若くして両親ともを病気で亡くした。母が先に逝き、2年後父がそれを追うように逝ってしまったのは私がまだ大学生の頃だった。ってまあそれは前置きなんでどーでもいいんですけども。 父はとあるジャンルのマニアだった。まあ今だったらオタクと言っていいだろう。おかげで父亡き後には押入れ一杯の関連書籍が残された。正直困った。私にも兄弟にもさっぱり興味が無いジャンルの膨大なたち。ただし私も兄弟もオタクだった。オタクの子はオタクなのだ。オタクに対する愛着執着はよーーーーくわかっていただけに無碍に捨てる気にもならず、主をなくしたたちは長いこと押入れで眠りについていた。 そんなこんなで月日は過ぎて父の十三回忌も終わったころ、兄弟の結婚を期に我が家も色々事情が変わり、自宅の整理をせねばならなくなった。押入れ一杯のもどーにかせねばならない。押入れたるもの永久の安息の地ではない。家がなくなれば押入れも

    guldeen
    guldeen 2008/05/27
    「自分の死後は、所蔵コレクションは価値の分かる同志に継いでほしい」って、所詮はコレクター限定の心理だったってオチ?/一方でこのブログ主の行動は的確。歴史的価値のある資料の散逸を、免れたのだから。
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