水平線のま上では 乱積雲の一むらが 水の向ふのかなしみを わづかに甘く咀嚼(そしゃく)する ――宮沢賢治「発動機船」 海岸沿いの施設が壊滅的な被害を受けた三陸鉄道。線路は各地で寸断され、全線復旧のめどは立たない。全壊した島越駅(田野畑村)では、宮沢賢治の歌碑だけがほぼ無傷で残った。 「コンクリートと鉄の固まりの高架橋まで流されたなんて」。1984年の開業からずっとこの駅で働いてきた早野くみ子さん(55)は11日、震災後初めて駅を見てぼうぜんとした。 賢治の童話から駅は「カルボナード島越」の愛称で親しまれた。2階建ての駅舎には童話から抜け出たようなドーム形の屋根があった。 津波は、駅舎はおろか高架橋や線路を数百メートルに渡って流し去った。駅舎からホームへと続くはずの階段も途切れて、虚空へ向かっている。「駅前で毎年この時期に花を咲かせた八重桜もなくなった」 がれきの中に、賢治生誕百年の翌199