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増田といい話とanondに関するguldeenのブックマーク (3)

  • 駄菓子屋にて -老婆は座して死を待つ-

    「今でもな、口だけは達者なんよ」 埃が積もった商品のない棚、空っぽのアイス用クーラー。 一見廃墟にすら見える店内で,100才にもなろうとしている彼女は呟いた. この日僕ら双子の兄弟が、この駄菓子屋を訪れたのは全くの偶然だった. 10年以上前、僕らが小学校だったとき、その駄菓子屋は僕らの社交場だった. 親からもらった100円玉を宝物のように握り締めて、少年達がそこを訪れる. 10円ガム、20円のチューベット、5円のメンコ。 50円で当てたくじびきの一等賞。かけがえのない、価値あるゴミたち。 その頃、100円は確かに大金だったのだ。 また、キラキラに光るメンコたちもそこでは価値ある交換財として流通していた。 そこはまさに僕らの経済の中心地だったのだ。 のみならず、そこは政治の中心地でもあった。 放課後の夕焼け空の下、僕らは店の前で毎日真剣に討議していた。 議題は、教室内における権力闘争から3流

    駄菓子屋にて -老婆は座して死を待つ-
    guldeen
    guldeen 2008/09/30
    自分の通っていた駄菓子屋は、中学に上がる頃に閉店してしまった。今ではその傍にあるコンビニが、駄菓子屋的存在な感がある(駄菓子・雑誌・子供向け飲料・ムシキング)。
  • ばあちゃんと自転車

    俺、老人苦手。 「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。 老人慣れしてるヤツってスゴイ。 電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。 年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。 敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。 胃が痛くなる。 親がいなくなると、話題ゼロ。 田舎帰るの嫌い。 で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。 高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。 ところが、 去年、じいちゃんが死んだ。 葬式はさすがに帰省。 正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。 ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。 それから一年。 親父がいきなり 「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」 発言。 いやい

    ばあちゃんと自転車
    guldeen
    guldeen 2008/08/04
    商売上、定年以上の客をよく扱う関係で、歳を食ったって個性は若い頃と変わらないのは理解はしてるつもりの俺。なので泣かず、苦笑を漏らしつつ微笑ましく読めた。婆ちゃん大事にしてやんな。
  • うちの両親の馴れそめは結構笑える ―はてな匿名ダイアリー

    うちの両親の馴れそめは結構笑える 母親は東大出の学者で大学教授。専門分野では今では結構名の知れてる博士 父親は高卒で町のクリーニング屋の3代目でチョイワルぶってる親父、かなりの格差婚 親父は、若い頃はワルで馬鹿だったけど、ちょっとハンサムってことで商店街では人気者 母親は、頭がめっちゃ良くて、良い学校に特待生で入学したりと、地元の期待の星だった 年が同じで、実家が近所だったが(ちなみに東京の下町)、別に幼なじみというほどでもなく 親父にとって母親はずっと高嶺の花の憧れのお嬢様で、恥ずかしくてまともに口も聞けなかったと 時は流れ、両親26歳のとき、院生だった母親に病院長の息子とかのお見合い話が来た その頃はもう真面目なクリーニング屋だった親父はその噂を聞いて大ショック 「失うものは何もない」と覚悟を決めて、母親に猛アタックをかけた 母親はまだ結婚するつもりなんてなかったし、よく知らなかった親

    うちの両親の馴れそめは結構笑える ―はてな匿名ダイアリー
    guldeen
    guldeen 2008/07/17
    馴れ初めも笑えたけど、オチにも笑った。いやちょうど、ブルース・ウィリスの娘の風貌がネットにあがってたもので。
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