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泣けると増田といい話に関するguldeenのブックマーク (2)

  • 駄菓子屋にて -老婆は座して死を待つ-

    「今でもな、口だけは達者なんよ」 埃が積もった商品のない棚、空っぽのアイス用クーラー。 一見廃墟にすら見える店内で,100才にもなろうとしている彼女は呟いた. この日僕ら双子の兄弟が、この駄菓子屋を訪れたのは全くの偶然だった. 10年以上前、僕らが小学校だったとき、その駄菓子屋は僕らの社交場だった. 親からもらった100円玉を宝物のように握り締めて、少年達がそこを訪れる. 10円ガム、20円のチューベット、5円のメンコ。 50円で当てたくじびきの一等賞。かけがえのない、価値あるゴミたち。 その頃、100円は確かに大金だったのだ。 また、キラキラに光るメンコたちもそこでは価値ある交換財として流通していた。 そこはまさに僕らの経済の中心地だったのだ。 のみならず、そこは政治の中心地でもあった。 放課後の夕焼け空の下、僕らは店の前で毎日真剣に討議していた。 議題は、教室内における権力闘争から3流

    駄菓子屋にて -老婆は座して死を待つ-
    guldeen
    guldeen 2008/09/30
    自分の通っていた駄菓子屋は、中学に上がる頃に閉店してしまった。今ではその傍にあるコンビニが、駄菓子屋的存在な感がある(駄菓子・雑誌・子供向け飲料・ムシキング)。
  • 父親ウゼェとか思ってる全ての娘たちへ。

    10数年前に父を亡くした。私は19歳だった。 昔から父は病気がちなことを理由にあまり働かず、かわりに 死にものぐるいで母が働き、父の医療費と生活費を稼いでいた。 それでも私は月々のお小遣いをもらってはいたが微々たる額で 流行りの服も買えず、同級生と一緒に遊びに出かけても 小遣いの心配ばかりで少しも楽しめなかった。 いつも家にいる父のことを邪魔だと思ったし そんなことばも平気で口にしたこともあった。 当然母には怒られた。父は何も言わなかった。 やがて父は入院し母が泊まり込みで看病することもあった。 私はそれをいいことに彼氏を家に連れ込んだりもしていた。 それは秋のことだった。厳しい事制限のため 肉も抜かれほとんど味のない病院しかべさせてもらえない父が ふとマクドナルドのCMを見て、月見バーガーをべたいと言った。 母は仕事でいなかった。 いれば、きっと反対しただろう。 病院からマクドナ

    父親ウゼェとか思ってる全ての娘たちへ。
    guldeen
    guldeen 2008/09/01
    俺が男子だからなのかもしれないが、父ってのは娘をかばう存在であるとは思う。
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