アメリカちょっとだけ住んでたことあるけど、ある意味での同調圧力が日本の比じゃないのはひしひしと感じたなあ。社会から外れた連中の「受け皿」としてヤク中界隈があるので、「正しいアメリカ市民」として生きるかヤク中かという感じで、その中間の正しくはないけどクスリやるほどではない普通の人間向けの所属先が存在しない気がした。 同性愛者やら黒人やらへの反差別運動は「正しいアメリカ市民」の範囲に彼らも入れてあげるべきだという活動であって、正しくなさを許容しようとする活動ではないっていうか。
本当に人手が足りないし、猫の手も借りたいぐらい人手不足になった結果、外国人を雇う事になった。 もう外国人を雇い続けて1年になるが、これが頗る評判が悪い。 仕事の漏れややり方に不備があるので指摘しても、カタコトの日本語で「ハイ、ワカリマシタ」とは返ってくるが何度言っても改善されない。 本社に早く日本人雇ってくれ仕事が回らんと伝えても改善されず。金がないんだろう。発注側も安い清掃会社を使いたいので、もうこのまま安い清掃会社の従業員として致命的なミスでもして、「少し値が張ってもまともな清掃会社を使おう」と思わせるのが俺か社会的役割なんじゃないか?とさえ思った。 またとある日、外国人が自分の入館証をトイレに誤って流したと言っていた。意味がわからん。流す前に気づくだろ普通。トイレじゃなくて誰かをビルに入れるために横に流したんじゃねえか?とさえ思った。 入館証トイレ流しの件と再発行の話がビル管理会社に
ニュージーランドの教育は個性を尊重した自由なスタイルだということでこれを絶賛する日本人がとにかく多いのだが、個人的にはこの国の教育は、少数のできる子供と驚くほどに学力の低い大多数の子供を量産し、この大多数の子供たちはひたすら頭の回転が鈍く、機転を利かせることもできず、教科書通りにしかできない、しかし自己主張だけは異常にするようになる。主張が見当違いであってもお構いなしだ。こういった駄々っ子のような大人を量産するニュージーランドの教育システムが果たして日本人の理想なのか、ということを今回は書く。また、日本人の教育スタイルとの相性の悪さについても書いていく。 ニュージーランドでは、初等教育では「みんなで集まっていろいろなアクティビティをしながらいろいろと学んでいく」というスタイルをとっており、時間割というものは存在していない(教員の間では何かしらあるとは思うが)。そのため、子どもたちの文房具は
免許合宿を経験して、俺には絶対無理だとわかった。教習所を3日目の朝にやめた。マニュアルじゃない。オートマだ。 普段と違う環境でやったことのない機械操作を、事前練習がテキストのみでやれとか無理ゲー。 いや出来るやつがいるから無理じゃないんだろうけどなんでみんな出来るの? しかもしくじったら人が死ぬ。あるいはケガする。乗ってるものも壊れる。交通の迷惑にもなる。キチガイ一人と遭遇するだけで学んだこと全部おじゃんになりかねない。むしろ俺がキチガイとなって他人を台無しにしかねない。あんなもんどうやって使いこなすんだ…… 坂道発進もサイドブレーキ(だっけ?)を引くときに持ち手のボタンを押すのか押し込むときにボタンを押すのかまったく覚えられなかった。引くときも押すときもボタンを押せばいいと思ったが、「スイッチは引くときだけ(押すときだけ)でいいよ」と封殺され、できなくなった。 サイドブレーキに限らず、他
母は兄のことを「貧乏舌だからどこででも生きていけるね」と言う。昔から兄は何を食べてもなんの感想も言わない。「量が多い/少なすぎる」「グリンピースつがないで」ぐらい。たとえ母が兄だけのために手によりをかけて凝ったものを作ってもそれだけ。ひとこと美味しいといえばいいのに。そうすれば母も気持ちよく美味しいご飯を作ってくれる、とずっと不可解だったが、そもそも彼は食に興味がないのだった。婚約一歩手前で同棲までした料理が得意な彼女に振られているのを見て、ああね、と思った。 この間帰省して知ったのだが、兄の自炊は米に生のままのベーコンを乗せただけのものと袋に入ったままのパック野菜に塩を振ったもの、というクオリティー。それをやはり眉ひとつ動かさずにつまらなそうに口に運ぶ。そういえば昔から、外食もつまらなそうに食べる人だった。今も行くとしても、誘われたチェーンの居酒屋かチェーンのファストフードぐらい。 どこ
知人といっても、もう五年くらい消息を知らなかった旧い知り合いが死んだそうだ。 あまり好かれてはいない奴だった。一人になるのが嫌なのか、俺たちのことが好きそうにも見えないのに、何かあると寄ってきた。 寂しいのか、口癖のように、彼女が欲しい欲しいと言っていた。かといって何かしているわけでもなかった。 俺が女だったらあいつとは付き合いたくないし、もし俺の妹があいつと付き合うことを考えているなどと言いだしたらかなり不快であろう、そういう奴だった。 数百万の借金を踏み倒して死んだらしい。風俗で作ったものだそうだ。あちこちの消費者金融で借りて、膨れ上がっていた。 彼女が欲しい欲しいと言うあいつに、風俗に行けとしつこくすすめている奴がいた。 俺が知っているときは、あいつは風俗を嫌がっていた。そういうんじゃなく、彼女が欲しいんだと言っていた。 しかし結局風俗にはまって、給料の大半をつぎ込むようになり、借金
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html 普通でない女性が普通を騙る事でどれだけの普通の女性が抑圧されたか。世間一般の愚かな男達があれを普通だと思う事で、どれだけの女性が癒えることのないダメージを被るか。言葉の暴力である。破壊行為である。普通罪である。これはパワーハラスメントなのだ。抑圧なのだ。力による支配なのだ。普通ではない人間が普通を騙る事で、本来普通であったはずの人達は劣等感と敗北を植え付けられて洞窟の中へと逃げ込んでゆく。 ああ、よくぞ言ってくれた。本当に、本当に、よくぞ言ってくれた。 「普通」を定義することは暴力的だ。 世の中で「優れている」とされているものに負けても、人はさほど傷つかない。 しかし「普通」とされている基準に満たないことには人は傷つく。 「身長185cmに満たないからパリコレの男性モデルになる
追記3 記事タイトル消しました。タイトルが付けられないくらいぐちゃぐちゃの記事なのでこれから読む人は気をつけてください。 追記2 記事のタイトルがまたミスリーディングになっているようです。こういうタイトルにしたらいいんじゃない?って案があればはてブ等でご指摘ください。 「これは主婦だけの問題じゃない」という毒にも薬にもならないコメントより100倍ありがたいです。 追記1 タイトル変えました。自分で読んでも分かりにくい文章だと思うので、言いたかった部分を太字にしました。もうそこだけ読んでくれればいいです。 まだネットでは目立たないが、wakabafukadaクラスの人は井戸端会議をうろついていれば山のようにいる。 私は中学生くらいまでイヤイヤ母親に引き回され、置物のようにして主婦の会話を横で聞かされていた。 狭いクラスタで、知識といえばテレビから与えられた物くらいしかない主婦が集まってする会
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く