きまぐれプチマンP@雑草㌠ @puchimann @tekkendoukoukai すっごくわかる! こういうところって時々線路残ってて歩くと楽しいんだよな!! ちなみにここ最近ぶらぶら歩いててたまたま見つけた時はテンション上がりました!! pic.twitter.com/fyOWrW27qE 2020-11-30 09:18:54
今もなお、色濃く痕跡を留めている伝説の廃線 新幹線で姫路の街並みを通り抜ける時、姫路モノレールの廃線跡には強く目をひきつけられたものだ。廃線後も長く、コンクリートの軌道跡は留め置かれ、21世紀になってもなおも残り続けた。その廃れた様は、まるで市街地中心部に大蛇がうねってるようにように私の目に映ったものだ。 姫路モノレールは正式には姫路市交通局モノレール線と言う。公営だったのだ。開業は1966年(昭和41年)5月17日。姫路駅と手柄山駅の1.6キロメートルを結び、唯一の中間駅として大将軍駅があった。手柄山では同年に姫路大博覧会(姫路博)が開催され、モノレール開業の名目は会場へのアクセス手段としてだった。しかし最終的には市内の交通機関としてだけでなく、鳥取まで延伸する壮大な構想さえあった。姫路モノレールとは?のページを見る 姫路城昭和の大修理の完了を記念してまた、戦後の復興期から大きく姿を変え
兵庫県姫路市のJR姫路駅近くで行われていた市有地の整備事業が、思わぬ形で中止となった。 半世紀前の高層ビルの基礎工事で打ち込んだ杭(くい)が変形し、容易に抜けなくなったためだ。「駅チカ」の一等地だが、このままではビルなどを建てるのは困難で、市は跡地利用に苦慮している。 1966年完成の高尾ビル(10階建て)で、3、4階部分が、70年代まで姫路市内を走っていた「姫路モノレール」の大将軍駅として利用。モノレールの運休(74年)、廃止(79年)を経て、賃貸住宅などとしても使われたが、老朽化のため、市が2016年度から5億円近くかけて解体工事を行っていた。 ビルを撤去後、地中に埋まっている基礎部分のH形鋼の杭(長さ約16メートル)を抜こうとした際、機械が破損。杭を振動させて引き抜く特別の工法で抜いたところ、先端部分が変形していたことが判明した。H形鋼は約200本残っており、市は「振動を伴う工法を使
旧片上鉄道・吉ヶ原駅舎 坑道農業見学会 坑道農業見学会の様子 黄福柵原駅とキハ702 柵原ふれあい鉱山公園(やなはらふれあいこうざんこうえん、Yanahara Mine Park)は、岡山県久米郡美咲町吉ケ原にある鉄道・鉱山公園である。同和鉱業片上鉄道に在籍した車両の動態保存や柵原鉱山の資料を展示している[1]。 概要[編集] 1991年(平成3年)に廃止となった同和鉱業片上鉄道の旧吉ヶ原駅を再利用した公園で、片上鉄道の保存車の展示のほか、かつて日本最大の硫化鉄鉱山であった柵原鉱山の歴史資料(高瀬舟・トロッコ)などの展示もおこなっている[1]。毎月第一日曜日に、車両の乗車会や柵原鉱山の坑道を利用した坑道農業の見学会を開催していたが、新型コロナウイルス感染症等の影響により、2020年2月を最後に休止している。2023年現在に於いての再開時期は未定であるが、坑道農業の見学は事前予約にて受け付け
わずか2年で営業を終了した大将軍駅(兵庫県姫路市)が8月13日、一般に公開された。書籍の取材などを除くと、同駅構内が一般に公開されるのは48年ぶりとみられる。駅と一体化した高層建築物がまもなく解体されるため、一般公開はこれが最後になる。 大将軍駅は1966年から1968年までの2年間だけ営業した、姫路市営モノレール唯一の中間駅。同駅から南へ約100mのところに大将軍神社がある。地上10階建ての高層建築物「高尾アパート」の3・4階部分に、モノレール用のスペースを設けて駅を整備したのが特徴だ。同様の構造のモノレール駅としては、北九州高速鉄道(北九州モノレール)の小倉駅や、中国・重慶軌道交通(重慶モノレール)の李子ハ(「ハ」は土へんに霸)駅がある。 姫路市は高尾アパートの解体に先立ち、事前募集の見学会として大将軍駅の一般公開を計画。13・14日の2日間にわたり数回に分けて行うことになり、まず13
姫路モノレールは1966(昭和41)年5月に開業。JR(当時は国鉄)姫路駅付近から、姫路大博覧会の会場であった手柄山までの約1.8kmを結ぶものだった。当時の急激な自家用車の普及による渋滞問題を解決するための市街地と郊外を結ぶ足として発展させる計画もあったようだが、結局1974(昭和49)年に休止、1979(昭和54)年に廃止となった。 運行当時の様子がうかがえるパネルのうち、左上の写真に写っているのは「大将軍駅」という駅である。アパートのビル直結という大胆な発想とデザインだ。たったの8年間しか運行しなかった姫路モノレールだが、この大将軍駅は更にそのうちのたった2年間しか営業せず、あとは通過駅扱いとなってしまったという。
1960~70年代に兵庫県姫路市で8年間だけ運行した旧姫路市営モノレールの「大将軍駅」(同市高尾町)の取り壊しを前に13日、ファンらを招いた見学会が開かれた。14日までの2日間で700人が見学する予定。 駅は10階建てビルの3、4階にあり、上層階は賃貸住宅。ビル内を軌道が貫き、当時は先進的な姿で注目を集めた。昨年5月までに住人が退去し、9月からビルごと取り壊される。 駅は使われなくなってから初の公開で、ファンらは朝からホームや駅名表示板の撮影などをした。川崎市から来た会社員(33)は「いつか見たいと願っていた。一度モノレールに乗ってみたかった」と話した。 モノレールは66年5月に姫路―手柄山間(営業区間1・6キロ)で開業。唯一の中間駅だった大将軍駅は乗降客が少なく、2年足らずで通過駅となった。モノレール自体も経営難で74年に運休し、79年に廃止となった。(高橋孝二)
【動画】和歌山市内を走る「市電」。1971年に廃止された=武本弘さん制作の8ミリ映画「栄光の影に」から 和歌山にも路面電車が走っていた時代があった。明治時代から62年間、「市電」の愛称で親しまれ、市民の足として街の活気を支え続けた軌道線。高齢化とともに公共交通が見直される中、市電をよみがえらせようと活動する人たちがいる。 ゆったりと坂道を上る青い車体。停留所で待つ人の列。車内に差す光が揺れる。 映画同好会「和歌山シネクラブ」の一員だった武本弘さん(83)=和歌山市=が、71年に撮影した8ミリ映画「栄光の影に」の一場面だ。 かつての県庁前停留所近くで金物店を営む武本さんは、この年の黒潮国体に沸く県民を撮影する傍ら、その国体を機に廃止が決まった市電を記録していた。 ナレーションの声が言う。「軌道線の営業最後の日は、あたかも別れを惜しむがごとく、涙雨の降る昭和46年3月31日のことでした」。午後
東成田、芝山千代田間を、滑走路の地下を横切るように走って、それで終わりの鉄道路線だ。 鉄道路線の「完乗」といえば、あらゆる鉄道趣味の中でも、長い年月と不断の努力をかけてやっと達成できる難事業だ。いくら鉄道が好きと言ってもなかなか手が出せない分野でもある。 しかし、この芝山鉄道に限って言えばわずか3分程度の乗車で「完乗」できてしまう。ぼくのようなズボラな鉄道好きにとってはうってつけの鉄道路線といえる。 これは、短い交通機関には目がないぼくが行かずして誰が行くのか。
★歌人ゆかりの駅名残る 「とうきょうスカイツリー駅 旧業平橋」 17日改称、東武鉄道 東京スカイツリー(東京都墨田区)の開業を控え、東武鉄道は17日から、伊勢崎線の最寄り駅・業平橋を「とうきょうスカイツリー」に改称する。認知度向上が狙いだが、平安時代の歌人在原業平にちなむ由緒ある駅名を残すよう求める声が多く寄せられ、新駅名の後に「旧業平橋」と補うことになった。 業平が主人公のモデルとされる歌物語「伊勢物語」。駅に近い隅田川のほとりで、京に残した女性を思う和歌を詠んだと伝えられている。 東武鉄道によると、駅は明治35年に「吾妻橋」の名で開業後、同43年に「浅草」と改称。昭和6年に隅田川対岸で「浅草雷門」(現在の浅草駅)が開業し、区別するため「業平橋」となった。スカイツリーが建つ場所は貨物場跡地で、セメント輸送などの拠点だった。 ■ソース(産経新聞)3.16 16:51 http://sank
3月12日に廃止されるJR西日本の夜行急行「能登」(金沢―上野)最後の「交番検査」が2日、金沢市乙丸町の金沢総合車両所で行われた。 「能登」は1959年に誕生し、一時、運行を停止していたが、75年から寝台特急「北陸」(上野―金沢)を補完する夜行急行として復活した。93年に「ボンネット型」(489系)車両を導入。JR最後のボンネット型車両として鉄道ファンの根強い人気を集めている。 交番検査は3か月に1度実施する「定期健康診断」で、同社が保有する能登3編成のうち2編成は1月に検査済み。この日は18人の検査員が作業にあたり、ハンマーで車体をたたいて異常音がないか調べる「打音検査」のほか、電流回路を交流から直流に切り替える「交直転換器」の点検、運転席内の機器の動作確認、室内座席のチェックなど、故障がないかを念入りに調べていた。 検査責任者の張田一重班長(54)は「花形の電車だったので寂しい。私が国
25日で定期運行を終える旧型気動車キハ603。その別れを惜しみ、多くの鉄道ファンが訪れている=和歌山県御坊市(奥清博撮影) 昭和35年に製造され、51年から紀州鉄道(和歌山県御坊市)で市民の足として活躍してきたディーゼルカー「キハ603」が25日、ラストランを迎える。緑と白のツートンカラーの車体をきしませ、エンジンをうならせて走る昭和の名物車両がまた1つ、姿を消す。 キハ603は定員112人のワンマンカーで、同社によると国内最古級。大分交通耶馬渓(やばけい)線(大分県)を走った後、御坊駅−西御坊駅間の2・7キロを結ぶ田園地帯を走っている。紀州鉄道はかつて年間30万人の利用者があったが、現在は3分の1程度で1日平均の乗客は約270人(26往復)。 キハ603のノスタルジックな姿に魅せられた鉄道ファンが全国から訪れる人気だが、老朽化で定期運行が困難になった。引退後は沿線に保管し、一般公開も検討
はいからさんが通った 阪急千里線2008年8月30日 印刷 ソーシャルブックマーク 阪急千里線の沿線には今も竹林が残る。都心に近いのに、散策すると秋の虫の合唱が聞こえてきた=大阪府吹田市英国の住宅地にならって造られた噴水。街のシンボルだ=大阪府吹田市千里山駅の周辺。線路の西側(左)に千里山住宅地がある=大阪府吹田市千里山遊園にあった飛行塔。つり下げられたゴンドラが上昇すると大阪市内が一望できたという=関西大年史編纂(へんさん)室提供千里山花壇をPRする昭和初期のポスター=関西大年史編纂(へんさん)室提供真ん中の橋脚が旧国鉄時代のもの。走っているのは相互乗り入れをしている大阪市営地下鉄の車両=大阪府吹田市フォトギャラリー 千里丘陵を覆っていた竹林が切り開かれ、千里山住宅地(大阪府吹田市)の分譲が始まったのは1922(大正11)年。大阪市中心部と結ぶ線路が敷かれたのを機に生まれた国内初の本格的
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く