「大量のうんこの中からマシなうんこを選ぶ日がはじまるよー」と中国語でツイートしたところ、「おまえの国は選べるだけマシじゃねーか」との中国人のリプライ多数。みなさん、選べるだけマシなんだから選挙に行きましょう 約1時間前 webから
日本人姉妹の親族として5〜6月に来日した中国人48人が入国直後に大阪市に生活保護を申請した問題で、姉の林愛英さん(79)と妹の珠英さん(78)=ともに同市西区在住=が4日、読売新聞社の取材に通訳を通じて応じ、「私たちには日本人の血が流れている。中国でつらい時代を生き抜いて、やっと来日が認められたのに、入国目的を疑われるのはつらい」と心境を語った。 姉妹によると、母親は福岡出身の日本人。1926年、中国人の夫と中国・福建省に渡り、愛英さんら10人の子どもをもうけた。干し芋で食べつなぐ貧しい生活。戦後は日本敵視の風潮が強まり、一家は迫害を受けた。父親は激しい暴行を受けて衰弱し、死亡。愛英さんは「私も息子たちも『日本人は出て行け』と、よくいじめを受けた。こん棒で殴られ血まみれになったことも」と振り返る。そんな時、母親は「日本人はみんな親切。いつか一緒に日本に帰ろう」と繰り返していたという。 日中
中国残留邦人の親族48人が、来日した直後に大阪市に生活保護を申請した問題で、大阪市在住の残留邦人姉妹、林愛英さん(79)と林珠英さん(78)が4日、毎日新聞の取材に応じた。親族を呼び寄せた理由を「日本で家族一緒に暮らすという母の遺志を実現したかった」と語った。【平川哲也】 48人のうち32人は既に生活保護を受給している。市は入国審査に疑義を唱えており、残留邦人姉妹は「親族3人は仕事を見つけたが、今回の件が問題になって断られた。生活保護目的で来日したと見られとても悲しい」と手を震わせた。 姉妹は福建省生まれ。父は中国人、母は日本人。1960年代後半から始まった文化大革命では、日本から持って来た母の本や写真は焼き捨てられ、愛英さんは中国人から鉄の棒で頭を殴られた。貧しくて病院にも行けず、傷口に鶏肉を当てて止血したという。 「いつか日本で暮らそう」と涙ながらに話していた母は、97年に一時帰国した
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