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japanとhistoryとchinaとinternationalに関するguldeenのブックマーク (5)

  • 時事ドットコム:「沖縄に主権及ばない」=日本けん制、中国政府見解と矛盾−外務省系誌

    「沖縄に主権及ばない」=日けん制、中国政府見解と矛盾−外務省系誌 「沖縄に主権及ばない」=日けん制、中国政府見解と矛盾−外務省系誌 日の沖縄に対する主権を否定した論文を掲載した中国外務省傘下の雑誌「世界知識」 【北京時事】中国外務省傘下の外交専門誌「世界知識」が、「現在に至るまで日の合法的主権は沖縄に及ばない」と主張する論文を掲載し、日中関係専門家の間で波紋を呼んでいる。論文は、明治政府による台湾出兵や琉球処分につながる「牡丹社事件」(1871年)に関して、「近代中日関係の起点」とした上で「(日の)琉球国に対する併合は日のアジア侵略の始まりだ」と指摘している。外務省系誌に沖縄の日帰属を否定する論文が掲載されるのは異例だ。  論文は「“牡丹社事件”と日による琉球国併合」と題して3月16日号に掲載された。執筆者は雷玉虹氏(復旦大学国際関係・公共事務学院)。中国政府は公式には「今

  • ぱんだ とらんすれーたー : 中国「日本は中国の文化を受け継いでるよね」 中国の反応

    1:永久之恒:2011-08-30 15:26 日人は他文化を参考にして学ぶ事を好んでおり、そこから改良を加えて自分達の文化へと昇華させていく。一方で、韓国人は他人の文化の起源を主張する。 漢字→日中国犬→秋田犬 中国南方の拳法・少林寺→空手 黄酒→日酒 皆も知っているものがあったらドンドン書いてって 2:crst888:2011-08-30 15:28 味噌とか… 3:无?操の⑨:2011-08-30 15:50 親と子みたいな文化なんだから、こんなもんでしょ。韓国の場合は中国に近すぎた。もう少し近ければ中国の一地方となっていたはず。もう少し距離が離れていれば、日のようになれていたんじゃないかな。人種に優劣なんてないけど、文明にはあるよね。韓国文化にとって悲劇があったとしたら、それは中国と日の間に位置していたって事かな。文化を伝える配管のようなものだから…大陸から文化をた

    guldeen
    guldeen 2011/09/25
    中央では戦乱その他ですでに廃れたものが辺境に伝わり生き延びる、というのは、人類の歴史の中で何度も繰り返されてきたパターンだが、それが中国由来の文化に対する日本や台湾の姿でもある。
  • francedays.info

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    guldeen
    guldeen 2010/10/13
    他の方のブコメで既に出てるが、『文化的に成熟→のち戦争』で"もう喧嘩は懲りた"関係同士のEUと、未だに領土的野心が消えない中国(特に軍部)を、一緒には扱えないよ。あと、物価格差があり過ぎ。ゆえに連合は無理。
  • 余録:尖閣問題で、25年前を思い出した… - 毎日jp(毎日新聞)

    尖閣問題で、25年前を思い出した。中曽根康弘首相が8月15日に靖国神社を初めて公式参拝した時のことだ。予想通り中国からは猛反発が出た。タカ派といわれた中曽根氏だが、自民党内から「弱腰」批判を受けながらも、意外なほどあっさり翌年の参拝は見送った。なぜか。その後中曽根氏が自著「天地有情」(文芸春秋)で語っている▲当時中国では、改革・開放路線を進める胡耀邦総書記が保守派との権力闘争で厳しい立場に置かれており、靖国参拝がますます彼を追い込んでいた。胡氏が日の青年3000人招待計画など親日路線を明確にしていたからだ。中曽根氏は胡氏をおもんぱかり、中国とパイプのある稲山嘉寛経団連会長が訪中する際、中国側の音を探るよう密使役を頼んだ▲稲山氏が帰国前日の早朝6時、宿舎に副首相級の党幹部2人が訪れ、深刻な表情で、ぜひとも参拝を中止するよう懇請した、という。「開明派の胡氏の失脚は世界と日に甚大な損害を与

    guldeen
    guldeen 2010/10/04
    アレはたしか、日本のメディアが中国側にわざわざご注進に回った結果だったはずでは…▼なんなら、千鳥ガ淵もペアで訪れとけばいい。
  • 日本の領有は正当/尖閣諸島 問題解決の方向を考える

    沖縄の尖閣(せんかく)諸島周辺で今月、中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突し、漁船の船長が逮捕されたことに対し、尖閣諸島の領有権を主張する中国側の抗議が続いています。日共産党は、同諸島が日に帰属するとの見解を1972年に発表しています。それをふまえ、問題解決の方向を考えます。 歴史・国際法から明確 尖閣諸島(中国語名は釣魚島)は、古くからその存在について日にも中国にも知られていましたが、いずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。1895年1月に日領に編入され、今日にいたっています。 1884年に日人の古賀辰四郎が、尖閣諸島をはじめて探検し、翌85年に日政府に対して同島の貸与願いを申請していました。日政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで1895年1月14日の閣議決定によって日領に編入しました。歴史的には、この措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行

    guldeen
    guldeen 2010/09/21
    別ブクマで指摘の通り、明と琉球と薩摩の歴史関係を見てれば、中共らの主張が『にわか』くさいのはなんとなく感じるが、まさか共産党がここまで分かりやすく解説するとは…!▼隣国に対する国家の在り方、の見本。
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