博識ぶりから「小松コンピューター」の異名を取った小松左京さん。実際のコンピューターへの興味も強く、1981年春には他の作家に先駆けて東京都内に最新鋭のコンピューターやワープロを備えた事務所を開設した ベストセラー小説「日本沈没」で世界に衝撃を与える一方、博覧会の総合プロデューサーとして手腕を発揮した小松左京さん。該博な知識を正確に駆使する才能は、「小松コンピューター」の異名でよく語られた。 小松さんの多彩な才能が目立ち始めたのは、旧制神戸一中(現兵庫県立神戸高校)時代からだ。俳優の高島忠夫さんらと軽音楽バンドを結成するかたわら、校内の文芸誌にユーモア小説を寄稿し、演劇部も作った。そして京大進学後、高橋和巳らと出会い、同人誌に参加したことから才能の芽がふきだした。 ペンネームの「左京」は「左の京大生やったから」「京大が京都市左京区にあるから」とか「飯をくえんようになったら、相方に右京と名づけ