今年に入ってからですが北海道の廃校廃村に囚われることなく北海道の地方史や文芸作品を書き綴りたい思いから、自力でサークルを設立することに致しました。
地震の当日、3月11日の夜。 午後10時を過ぎたころ、ホテルの方がロビーに小さなテレビを設置してくださった。 私を含め、この時点では何が起こっているのか全く理解できてなかった人達が、寝ていた床からゆっくり起き上がってテレビの周りに集まった。 私もくるまっていた毛布から出て見にいった。 午後 2時 46分に地震があってから 7時間後、初めて情報らしい情報に触れたのがこの時だった。 テレビは信じられない映像を流していた。 文字通り一瞬のうちに津波で流される街。 興奮したヘリコプターからのレポーターの声。 衝撃だった。 テレビを見始めた人はみなひとつの声もあげず、誰も彼も沈黙して画面を凝視していた。 中には、見ていられなくなってテレビの前を離れる人もいた。 津波に飲み込まれる街を見ながら、神戸の地震を思い出した。 あの時も私はテレビを見ていた。 早朝に地震があって、東京にいた私は仕事の最中もずっ
聖母愛児園は、非常に具体的で模範的な寄付募集情報を登録されていました。 また場所が横浜なので、別件で東京出張していた私が帰りに訪れやすかったという事もあります。とはいえ実際行ってみると、運動不足の私には、坂道を延々と登る道中で死にそうになりましたww この施設の募集物品の中に「大学進学・就職で施設を巣立つ女性に贈りたいパソコン3台」という項目があり、IT業界で商売する者として市場投資的な意味で寄付しました。まあ使うのが若い女性三人ということでしたし、これは男気を見せて行っとこうみたいなカッコつけなだけですがww ちなみに大学に行きたい子供は、高校生活でバイトをし、学費を貯めるそうです。施設を出ると誰も頼れないので、コツコツ頑張るしかないですよね。 ネットにお詳しい担当さんとメールのやりとり。メールの返信が早くてスムーズに進みました。私はお願いタイガーを作るときに全国の児童養護施設サイトをか
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