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workとlifeと読み物に関するguldeenのブックマーク (56)

  • しゃあねえ一肌脱ぐか。 引きこもり歴10年後に社会復帰して、現在正社員で貯金700万の中年独身オッサンだ。 俺の場合は長期の引きこもりのせいで限界まで自信無くなっていたので バイト求人の電話かけるくらいなら自殺するほうが心理的抵抗感が少ないような極まりきった状況だった...

    【追記あり】 しゃあねえ一肌脱ぐか。 引きこもり歴10年後に社会復帰して、現在正社員で貯金700万の中年独身オッサンだ。 俺の場合は長期の引きこもりのせいで限界まで自信無くなっていたので バイト求人の電話かけるくらいなら自殺するほうが心理的抵抗感が少ないような極まりきった状況だった。 引きこもり始めて5年目にこりゃもうだから働けないんだそうに違いないと精神科の門を叩くが、大したことなかったらしく軽い抗不安薬のみ処方される。 その後、抗不安薬パワーでバイトの面接に応募するも、退化した体に工場作業はキツすぎて一ヶ月経たずに止めた。 その後、逃避行動として資格の勉強を始め、業務独占資格を二つほど取った。これが後で生きてくる。 そしてネットで見たサポステに応募。カウンセリングとグループワークをしばらく続ける。 これは当にありがたかった。 周りはみんな自分と同じダメ人間なので、数年ぶりに引け目の

    しゃあねえ一肌脱ぐか。 引きこもり歴10年後に社会復帰して、現在正社員で貯金700万の中年独身オッサンだ。 俺の場合は長期の引きこもりのせいで限界まで自信無くなっていたので バイト求人の電話かけるくらいなら自殺するほうが心理的抵抗感が少ないような極まりきった状況だった...
    guldeen
    guldeen 2023/07/20
    職業訓練の場で「(引きこもりからの)発話の練習」ができる、というのは意外な着目点。あと元増田の取得した資格とやらの想像がついたぞ:-)
  • 50代独り身おじさんの自分語り

    大学卒業後就職に失敗。アルバイトから物流会社に勤務するも辛すぎて数ヶ月で退職しそこから10年以上引きこもり。 母が職場で倒れたことをきっかけに介護施設に就職し、数年経って介護福祉士となった。それからしばらくして転職し現在も勤務する私立病院の事務職に就いた。この時41歳。 そこで知り合ったのが。 同い年でバツイチの看護師。自分も向こうも職場で同僚との人付き合いが殆どなかったが、何故か挨拶する様になって会話するようになって付き合い始めた。女性と交際したことは40年以上生きてて一度もなかったが、その歳だったからか初デートでも初セックスでも一切緊張しなかった。 約2年交際してから結婚。お互い歳で向こうは既に子宮を全摘してるってこともあり子なし夫婦。最初は母と3人で住んでいたが間もなく亡くなったため以後は二人きりの生活になった。ご飯べて、仕事行って、ご飯べて、各々読んだりテレビ観たりして、2

    50代独り身おじさんの自分語り
    guldeen
    guldeen 2023/06/07
    40代で結婚して50代で死別。納得されてる人に部外者が再婚を勧めるのも何か違うと思うが、身寄りは作っておいたほうがいいよ(父の相続でいろいろ忙しい身として)
  • (追記)転職したけど出戻りした、結果良かった

    18歳でエステティシャンになって気付いたら23歳になってた ふと、こんな給料良いわけでもなく社会的地位も低い仕事やだなあと思い その日から勉強始めて1年後ITエンジニア転職した ちょうどコロナが始まったくらいだったからめちゃくちゃタイミングが良かった 最初はそれはもうほぼ毎日泣いたし自分が無力すぎるのに周りの人は優しすぎるのが情けなくてさらに泣いたけど 慣れたらめちゃくちゃ楽しくなったし契約社員から正社員になれてエステティシャン時代から給料は倍近くなったし在宅勤務楽だしで最高だ…と思ってた しばらくすると、自分がエステティシャンやってたこともなんだか恥ずかしくて経歴を隠すようになってた オンライン会議とかで人の顔見てすぐ、(この人顔のここの筋肉凝ってるなー…)と思う自分も嫌だった そんな感じだったんだけど、コロナがおさまり始めたから出社したとき 大好きな先輩が「なんか自分のマスクの下の顔

    (追記)転職したけど出戻りした、結果良かった
  • 「巨人の選手だったんですか?」巨人をクビになりハローワークに通った田原誠次が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ” | 文春オンライン

    まずは、僕が野球を嫌いになりかけた話から始めさせてください。 幸運にもプロ野球選手になれて、好きなものを仕事にできて、それなりに1軍で結果を残せて。満ち足りた野球人生を送らせてもらいました。 でも、結果的に現役最終年だった2020年、僕はあんなに好きだったはずの野球が嫌いになりかけていました。調子がよくても、結果を残しても使ってもらえない。1軍に上がるのは若い選手ばかり。プロ9年目、31歳になった僕も「これがプロの世界だ」と理解していたはずでした。 元プロ野球選手の就職活動 最初に頭に浮かんだのは家族のこと。僕にはと息子、娘の家族がいます。現役時代は家族との時間が取れなかったので、半年近くは仕事もせずに家族サービスの時間にあてました。一緒に買い物に行ったり、娘の幼稚園の送り迎えをしたり、息子の学校行事に参加したり。 それはそれで楽しかったのですが、さすがに仕事をしないと家族を養えません。

    「巨人の選手だったんですか?」巨人をクビになりハローワークに通った田原誠次が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ” | 文春オンライン
    guldeen
    guldeen 2023/05/02
    『プロ野球選手の頃から見て学ぶ術、やって学ぶ術が身についていたので、仕事も早く覚えられました』おお、やはり9年も現役だった人だ▼尤もそこからの人生が、妻子がいる元選手には長いよね。幸多からん事を
  • 大企業のインターンに行ったらメンタルをバキバキに折られた話

    工学部修士課程の1年生は、夏に長期のインターンに参加するものらしい。 と周りの学生が言ってたので私もインターンに行くことにした。 世界シェア2位とかの大企業にいくつか出して、最初に合格の電話をくれたところに決めた。 1割も女子がいないのに3人採るなら1人は女子とか言いたがる感じなので、どこも倍率は死ぬほど低い。 30人のインターン生のうち10人が女子学生だった。 私を筆頭に機電系の女はブスで、化学系の女は可愛かった。集合写真見たら誰が化学系かわかるくらい如実に顔面格差があった。 顔で選べるほど女がいない機電系と顔採用したい企業の限界を見た。 20人の男子学生の全員が180cm以上で、169cmの先輩が学校推薦だったのにその企業に落ちたと言っていたのを思い出した。 確かに社員もデカい男ばっかりだった。 業務はこれといって目新しいこともなく、実験して解析して発表、みたいな研究室と変わらない感じ

    大企業のインターンに行ったらメンタルをバキバキに折られた話
    guldeen
    guldeen 2021/05/17
    『役職がその人の性格を変える』ってのは、あるからね。懇願される側だとだんだん図々しく・断られても頼む仕事だと卑屈になっていくし。
  • アメリカ底辺エリアに暮らした日本人の話

    Tsunehisa Nakajima @carlostsune 日語で発信されるアメリカでの仕事とか生活の事情って、上手くいってる人の話が多いから底辺に近いエリアの話って全然伝わってないと思うんですよね。 その層で生きている人たちって情報発信しないし。 だから、今日こそはその辺を話したいと思います。 2021-05-04 17:19:10 Tsunehisa Nakajima @carlostsune 不法滞在や不法就労の状態の人がなし崩し的にグリーンカードが取れたのは昔の話で、2001年の同時多発テロ以降アメリカに合法的に在住するということは非常に難しくなった。だから、2001年以降にアメリカに渡って暮らしている人たちは結構高いハードルを超えた人達と言っていいと思う 2021-05-04 17:23:10 Tsunehisa Nakajima @carlostsune 就労ビザを取って

    アメリカ底辺エリアに暮らした日本人の話
    guldeen
    guldeen 2021/05/05
    いろいろと大変すぎる。911テロもだし、特に新型コロナ以降はまとめてアジア系が「コロナ来るな」扱いされる差別に遇うなどあろうからね。
  • Tsunehisa Nakajima on Twitter: "日本語で発信されるアメリカでの仕事とか生活の事情って、上手くいってる人の話が多いから底辺に近いエリアの話って全然伝わってないと思うんですよね。 その層で生きている人たちって情報発信しないし。 だから、今日こそはその辺を話したいと思います。"

    語で発信されるアメリカでの仕事とか生活の事情って、上手くいってる人の話が多いから底辺に近いエリアの話って全然伝わってないと思うんですよね。 その層で生きている人たちって情報発信しないし。 だから、今日こそはその辺を話したいと思います。

    Tsunehisa Nakajima on Twitter: "日本語で発信されるアメリカでの仕事とか生活の事情って、上手くいってる人の話が多いから底辺に近いエリアの話って全然伝わってないと思うんですよね。 その層で生きている人たちって情報発信しないし。 だから、今日こそはその辺を話したいと思います。"
    guldeen
    guldeen 2021/05/05
    20以上の連ツイを、あっという間に読んでしまった。渡米してここまで自分の失敗を客観的に振り返るのはかなり苦痛だったろうけど、単なる感傷録としてだけでなく、多くの人への戒めとしても広く知られて欲しい。
  • ある研修医が見た就職氷河期の記憶 - シロクマの屑籠

    芽吹いてきた新緑を眺めていて、ふと、昔話がしたくなった。 別に珍しい話ではない。 一人の研修医から見た、就職氷河期当時の思い出話についてだ。 1. 私が研修医になる前から、それは始まりかけていた。私は医学部にこもりっきりなのが性に合わなくて、他学部の学生がたむろしている場所に好んで出入りしていた。そこで出会った他学部の先輩たちが「就職活動が大変だよ」と言っているのを耳にしたりもしていた。とはいえ1994年度、1995年度に卒業した他学部の先輩がたの就職先はなかなかのものだった。ゲームと登山に熱狂して留年しまくっていた先輩が、大手自動車メーカーに入社できた話を聞いた時はびっくりした。あのゲームばかりやって山ばかり登っている先輩ですら大手自動車メーカーに入社できる。そういう希望があった。 1996年。1997年。 この頃から様子がおかしくなってきた。私と同学年に相当する彼らは就職活動に苦戦して

    ある研修医が見た就職氷河期の記憶 - シロクマの屑籠
    guldeen
    guldeen 2021/04/16
    就職氷河期世代の何がヤバいって、『同窓会が成り立たない』点。ある者は既に故人、ある者は派遣やパート仕事の傍ら親の介護に明け暮れるなど、世代人数としては社会の多数派なハズなのに分断されている。
  • 深夜におかあさんといっしょ

    ベッドに入って眠ろうとすると、会いたくもない連中が思い出したくもない場面を再現するから気分が悪い。あの時できなかったことや言えなかったことがあったけど、今度はああしてやろうとか、こう言い返してやれとか考えて、その完成度を高めたり、有効かどうかの確認をしたりして、どうにか気分をすっきりさせようとする。だけど、もう過ぎたこと。変えられないんだから、今さらやっても意味は無い。同じことなんて起きない。次なんてないって、冷静な自分が冷や水をぶっかけてくるから、ますます気分が悪くなって眠れない。 そういうときは布団をはいで、時間を確認して、それから気持ちを切り替えるため、リビングへ行くことにしている。温かいお湯を飲みながら、やかましくないテレビをぼうっと見て、苛立った気分が大人しくなるのを一人で待つ。そのつもりでリビングへ行くと、既に母がいて、こたつに入って、テレビを見ていた。母の「眠れないの?」の問

    深夜におかあさんといっしょ
    guldeen
    guldeen 2019/12/22
    仕事での悩みを聞いてくれる親族、という得難い存在は、話し合えるうちに大切にせねばならん事を、改めて考え直す。それにしても、増田の勤務先のクソ上司たるや…(-_-;)
  • おじさんはね、

    おじさんはね、今年主任になったんだ。 部下ができたんだけど、彼らはこないだまで同僚だったので違和感がある。 仕事は連絡調整承認評価が増えたぐらい。順調に行くと再来年には課長だ。 奥さんが身籠っていて、来年には父になる。 楽しみで仕方ない。毎日お腹に話しかけてる。 早く生まれてこないかな。予定通りしっかり大きくなって出てきてほしい。 今年のボーナスで洗濯機を買い換える。冷蔵庫は次の賞与で買い替えたい。 そういえば、今年初めて新車を買ったんだ。よく走るコンパクトカー。 最近はいろんなことがうまくいってる。 だからこのままうまく生きていけるようにがんばる。

    おじさんはね、
    guldeen
    guldeen 2019/11/22
    今の自分の歳より若い頃に、父は管理職となり海外赴任してた。今、自分はふたたび無職となり、父はボケて(認知症)いる(増田と関連しない話でスマン)
  • 僕の12年にわたるブログライフを振り返って(寄稿:フミコフミオ) - 週刊はてなブログ

    キャンペーンは終了しました。たくさんのご応募、ありがとうございました。 僕はフミコフミオ。「はてなダイアリー」と「はてなブログ」で長年くだらない文章を書き続けてきた会社員のオッサンだ。このたび「はてなブログ」をきっかけにKADOKAWAさんより『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる』という長いタイトルのエッセイを出すことになった。それにあわせて株式会社はてな様のご厚意により、このような場所をいただいたので、僕なりのブログ・ライフの総括とブログを書くことの楽しさについてお話したい。皆さんのブログ・ライフの充実のお力になれたらうれしい。 なぜブログだったのか? まず、僕がブログをはじめたきっかけについて。僕がはてなブログの前身であるはてなダイアリーをはじめたのは2003年の年末。はてな歴は実に16年。当時はyoshi_aqua

    僕の12年にわたるブログライフを振り返って(寄稿:フミコフミオ) - 週刊はてなブログ
    guldeen
    guldeen 2019/09/26
    えっ、あの長い文章をぜんぶガラケーで書いてるの!?そっちのほうが意外▼フミコさんの業務ネタだが、よく訴えられないなと感心する。自分がやると、他人の個人情報などで『踏み抜く』危惧がありそうなので。
  • 12年勤めたNTTを退職しました(ワーママ編)

    「6年勤めたNTT退職しました」http://kumagi.hatenablog.com/entry/exit-from-ntt 「10年勤めたNTT退職しました(無能編) 」https://anond.hatelabo.jp/20181126192228 に寄せて。 大きな会社なので、皆さんいろんな理由で退職しているかとは思うのですが、女性のエントリーが無かったのでワーママ編書かせてください。 自分は12年豊洲の会社で開発・PMなどをしていました。その間、産休・育休・復帰を経た後に3年ほど前に転職しました。 少し前の事情になるかとは思いますが、女性の立場から見たNTTについて書いてみます。 若手は割と男女平等子供が出来るまでは、女性でもかなりしっかり仕事をさせて貰っていたと思います。 「女の子だから」と手加減されることは少なく、女性でも必要であればガンガン出張などもあります。 また、

    12年勤めたNTTを退職しました(ワーママ編)
  • 仕事を好きになる必要はない。でも誠実であれ。|中年会社員から君へ(寄稿:フミコフミオ) - はたラボ ~パソナキャリアの働くコト研究所~

    こんにちは。僕は品業界で働く中年サラリーマン、フミコフミオである。十数年間、インターネットの片隅で、勝手気ままにブログを書いてきたので、ひょっとすると僕の名を知る奇特な方もおられるかもしれない。今日は縁あって、仕事人生に漠然とした不安を抱く若き皆さんへ、44歳の中年サラリーマンの立場から、「居場所の作り方」について話をしてみたい。まとまりのない話になるし、ウザいのは重々承知の上である。 僕は2017年の夏からお世話になっている今の職場で、近く営業の責任者を任されることになっている。2016年の末に管理職を務めていた会社を何の考えも見通しもなく退職し、8カ月間のアルバイト生活を経ての中途入社というしょうもない経緯を考えると、逆転満塁ホームランのような昇進だ。もし、この文章を読んでいる方の中で近く退職を考えている方がおられるなら、いったん深呼吸をして、将来について考えてみてほしい。計画はある

    仕事を好きになる必要はない。でも誠実であれ。|中年会社員から君へ(寄稿:フミコフミオ) - はたラボ ~パソナキャリアの働くコト研究所~
    guldeen
    guldeen 2018/04/15
    『「誠実に働く」とは、「好きじゃない仕事でもどうせ働くなら、せめて丁寧な仕事をしよう」というスタンス』フミコ氏はゲーム攻略に例えてるが、俺も『自分なりの面白みを見出せるか』と解釈して捉えてた。
  • 地元にいつか帰りたいですか? 「小田原」、そこは東京から一番近い田舎町 - SUUMOタウン

    著: くいしん このページを開いたあなたは、今、生まれた地元で暮らしていますか? はたまた生まれた場所を離れ、東京や大阪や福岡といった都市で暮らしていますか? 僕は今、東京で暮らしています。 20代前半のころ、都内で初めて就職した音楽雑誌出版社を辞めて、出身地である「神奈川県小田原市」に戻って実家に住んでいました。 仕事の内容はまさにこの記事のように文章を書く仕事でした。 憧れだった雑誌編集の仕事に就けたのについていけず、数年で辞めてしまって、当時は落ち込んでいました。 目の前にやるべき仕事はいくらでもあったにも関わらず会社を辞めたので「もう書き仕事をこの先やらせてもらう機会はないかもしれない」と思っていました。 今こうして文章を書く仕事をできているのは間違いなくあのころ、自分の生まれた小田原で充電して、再び東京へ出ていったストーリーがあるからだと感じます。 もしこれが、生まれた場所が東京

    地元にいつか帰りたいですか? 「小田原」、そこは東京から一番近い田舎町 - SUUMOタウン
    guldeen
    guldeen 2017/11/29
    自分の場合は30代で『ニート脱出』の意味で大阪から170kmの田舎へ単身Iターンしたが、ワープアになって借金を作っただけだった。ただ南紀白浜近辺は『お天気カメラ』等で、大阪民には普段から身近な位置ではある。
  • 29歳。美容師退職します。

    2013年に増田で低学歴と高学歴の世界の溝がヒットしたけど。 当にその通りだと思う。少し昔話をさせてくれ。 うちの家は決して裕福な家庭ではないけど、貧しくもないような家庭だった。 中学校の途中で両親の離婚。私立の高校入学。と重なって子供ながらになんとなく自分にお金がかかることを申し訳ないと思うようになる。 高校卒業後、通信制の美容専門学校へ。(来なら大学に行きたかったが言えなかった) 働きながら、美容学校に通い学び資格習得した。 美容師の仕事は肉体労働だ。 アシスタントの頃は朝から版まで燧なしにお客様のシャンプー・カラーをする。お昼がべれないこともよくある。 スタイリストになってからは神経使いまくる。数字が全ての世界であるために『お客さまに喜ばれる。支持されるには』をずっと考えてる。 思ったように数字が伸びなくて苦しむこともある。来店スパンと新規顧客率を考えると結果はすぐには出ない。

    29歳。美容師退職します。
    guldeen
    guldeen 2017/10/13
    「肉体労働タイプの勤労は充実感はあるけど、『その上』を目指す気持ちが沸きにくい」のは、たしかに。▼ちなみに、美容師なら今後は『インバウンド狙い』というテもあるよ。
  • 20年間引きこもりしている友人に会って思わず絶句した。 - Everything you've ever Dreamed

    場違いすぎて自分がエイリアンに思えてくるような若い女性と子供のペアばかりの平日昼間のスーパーマーケットで懐かしい顔を見かけた。20年間実家に引きこもり続けているF。Fは僕と同じ歳なので現在43~4才。僕とFは小中高と同じ学校に通っていたけれど、同じ部活に所属したことはなく、数回にわたるロシアンルーレットじみたクラス替えを経ても《奇跡的に》一度も同じクラスになったことがない。誰にでもあると思うけれども、親友とは少し違う、一定の距離を置いて付き合っているような、ある種の緊張感漂う友人関係だった。唯一の共通項は子供の頃からピアノを弾いていたこと。一度だけ、どういう経緯でそんなことになったのか覚えていないのだが、高三の秋の放課後に音楽室に置いてあった埃の被ったピアノで、たまたま楽譜のあった「くるみ割り人形」を連弾したのは覚えていて、それはメタリカやガンズ&ローゼスで灰色に彩られた僕の高校生活のなか

    20年間引きこもりしている友人に会って思わず絶句した。 - Everything you've ever Dreamed
    guldeen
    guldeen 2017/05/24
    『仕事の事を抜きにして語り合える」間柄・まして同級生という関係は、勤め出すと作るのが本当に難しい。フミコさんも、F氏との関係を今後も大切にされますように。
  • 我が社の「凶悪犯」マサさんの話 - 警察官クビになってからブログ

    ぼったくりキャバクラ?の一件の後 何も無かったかのように3人でバーで飲んでいると マサさんは自分の事を少し話してくれました。 ここでは、そんなマサさんの事を中心にお話したいと思います。 🔻この記事は、一応コチラの記事の続きになっています。 注意:この話を読む前に まず、頭に入れて頂きたい事があります。 マサさんは「悪人」だと言う事です。 彼は人間的魅力に溢れる男性ではありますが・・・・ 多くの犯罪に携わり、 法を犯し、 彼が「人生を終わらせた人間」は一人や二人ではないでしょう。 ただ、人にも迷惑がかかる事ですし、 あまり詳しい内容が書け無いことを先に謝らせて下さい。 彼がまだ生きているのであればの話ですが・・・・。 マサさんという男 マサさんについて私が一番驚いた事は 彼が「大学」を卒業していた事です。 そこだけは(さすがに冗談でしょ?)と思ってしまいました。 元犯罪者だらけの私達のブ

    我が社の「凶悪犯」マサさんの話 - 警察官クビになってからブログ
    guldeen
    guldeen 2017/02/27
    『人たらし』の能力は、天性のものだしなあ。こればかりは真似しづらい。
  • 伸びるのは、「必死」にやる人ではなく「夢中」でやる人

    ケニア・ナッツ・カンパニー創業者、オーガニック・ソリューションズ代表取締役社長。1939年生まれ。宮城県志津川町(現・南三陸町)で幼少期をすごす。1963年、東京外国語大学インド・パキスタン語学科を卒業後、アフリカ独立運動の父、クワメ・エンクルマに憧れて日人初の留学生としてガーナ大学で学び、修了後はケニア・東レ・ミルズに現地職員として入社。31歳で退職子を連れて日に一時帰国。「やっぱり、アフリカで何かやりたい」と決意し、32歳で単身ケニアに戻り、鉛筆工場、製材工場、ビニールシート工場など、小規模なビジネスを次々と立ち上げ、うち一つを最終的にケニア・ナッツ・カンパニーとして世界5大マカダミアナッツ・カンパニーに成長させる。2008年に同社をタダ同然でケニア人パートナーに譲渡したのちは、微生物を活用した公衆衛生・肥料事業をケニア、ルワンダで展開。 アフリカで25万人の生活を変えた日

    guldeen
    guldeen 2016/11/04
    モチベーションが何によってもたらされるか、の問題。さまざまな困難を『面白がれる』人は起業すれば強いだろうが、万人が体得できる手法では無いのでオススメはしづらい。
  • メンタル不調で激務系メディア企業を辞めて10年以上経つ

    東大卒の電通の女の子が過労自殺した事件で、自分の20代の頃を思い出した。新卒で入った大手出版社、給料はとてもよかったのだが、研修が終わった6月くらいから残業は月100時間を超えた。セクハラ・パワハラもあった(当時パワハラという言葉はなかったけど、あとから思うとそうだったと思う)。 そのころ、まだSNSはなかったが、ブログ(当時はweb日記と呼ばれていた)に日常のことを書いて、友人とコメント欄で楽しくやり取りしていた。名や会社名は出していなかったし、仕事のことはメインではなく、たまに書いていた程度だが、仕事で疲れたとか電話取りが辛いとかぼやいていたら、上司に呼び出されて個人サイトを消すように言われた。その夜、帰宅してから泣きながらFTPソフトを立ち上げて全部削除したのは忘れられない。 でも、大手メディア企業、商社、官僚、経営コンサルなど、給料はよくて激務だけどやりがいがあるとみなされている

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    guldeen 2016/10/11
    「リテイクごとに料金追加」とかの条件を定めるのが難しいゆえか、現場が追い込まれる事になるんよね。
  • リフォーム業者の営業が仕組みや値段について書くよ

    最近読んだいくつかの業界小話増田が大変興味深いものでした。 私も弊社のリフォームについて紹介させていただきたいと思います。 九州の小さい会社のやり方だから、業界全てに当てはまるわけではありません。 改めて書くと非定型商材にはよくある話です。 しかしリフォームを考える人はこういう裏事情も知って損じゃないと思います。 どういう仕組みの業界か? どういう値段の決め方をしてるのか? 乱文ではありますが、お付き合いいただければ幸いです。 atk ・訪問契約率20%のブラック企業の真っ黒な営業手法を書いてみる http://anond.hatelabo.jp/20160526110823 ・なぜ家電量販店で凄まじく値引ける(ことがある)のか教えてやる http://anond.hatelabo.jp/20160412234807 (5/31 20:26 ブックマークありがとうございます。 ブコメを拝読

    リフォーム業者の営業が仕組みや値段について書くよ
    guldeen
    guldeen 2016/05/31
    実家の床や壁紙を(居間だけ)リフォームしたが、要は「段取り計画屋・職人さんの手配師」やね。アフター付きで粗利3割なら、そこそこ良心的な商売ではと俺は思う。