避難の過酷さは、当事者でないと見えにくい。災害関連死として数値にあらわれるものや、報道や知人等から漏れ伝わってくるものから想像するしかないわけですが、そもそも自分に近い問題でないと関心も低いのでそういう機会もない。個別の状況によっても過酷さの程度も種類も違うでしょうね。
「おれの田んぼが……」。斎藤正一さんは自分の水田の前で言葉を失った=22日、宮城県亘理町、鈴木写す内陸の塩害、自粛の水田の位置 東日本大震災の津波は、丹精込めて耕してきた水田を一気にのみ込んだ。海水につかった田んぼが塩害で使えなくなっただけでなく、浸水を免れたのに、下流のがれき除去作業などへの影響を考慮して水を張れない田んぼも。「どうやって生きていけというのか」。農家は途方に暮れる。 海岸から2キロほど離れた宮城県亘理(わたり)町吉田の田んぼには、今も茶色い海水がよどむ。乗用車、瓦ぶきの屋根、海べりから流されてきた松の木などが散らばる。 「おれの田んぼに津波が来るのをあそこから見てるしかなかったんだ」。50メートルほど離れた町役場支所の屋上を指さしながら、専業農家の斎藤正一さん(65)はため息をつく。 町内に点々と計2.9ヘクタールの田んぼを持つ。イチゴが収入の主役になったが、先祖
東日本大震災の津波で、仙台名物・笹かまぼこの老舗店3代目の父親を亡くした長男が、後悔の日々を過ごしている。4代目を継ぐか、別の道を歩むか-。答えを出しあぐねている間に、長年積み上げた老舗の味が津波とともに奪い去られてしまったからだ。「結局、親に甘えていただけだった」。失って初めて分かった価値の大きさをかみしめる。(市岡豊大) 地元では活気あふれる朝市で知られる宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。創業60年の笹かまぼこ店「丸一」で、家業を手伝っていた菅野大輔さん(35)は、いまは市立名取第一中学校で避難所生活を送る。自宅と笹かまぼこ工場は3月11日の津波で流され、3代目の父、仁さん(62)と母、悦子さん(59)を亡くした。 地区内に笹かまぼこ工場が建ち並ぶなか、唯一の家族経営。両親は「値段を上げずにうまい物を」という思いで1日1千枚以上を生産した。冷やしても柔らかい絶妙な歯応えが人気で、直売
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