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人>美術意匠と世俗>軍事に関するhozhoのブックマーク (2)

  • 上田毅八郎 - Wikipedia

    上田 毅八郎(うえだ きはちろう、1920年8月30日 - 2016年6月18日)は、日の画家である。海洋船舶画家として[1]、模型メーカー・タミヤの「ウォーターラインシリーズ」をはじめとするボックスアートで知られる。 人物[編集] 生い立ち[編集] 静岡県藤枝市鬼岩寺に生まれ、静岡市千代田で育つ。上田は子供のころから「子供の科学」「航空少年」といった少年雑誌を見ながら、船舶や飛行機の絵を盛んに模写していた[1]。 従軍体験[編集] 1941年(昭和16年)、徴兵の為帝国陸軍の高射砲連隊(浜松市)に入営。後に船舶部隊(暁部隊)の船舶砲兵に転科、陸軍徴用船である軍隊輸送船に乗船し備砲たる高射砲の操作要員(船砲隊員)となり(船舶砲兵第1連隊)、太平洋戦争における数々の輸送任務に従軍。 初の実戦経験は1942年(昭和17年)3月1日に行われたジャワ島上陸作戦(蘭印作戦)であり、輸送船「神州丸」

    hozho
    hozho 2014/01/21
    「上田 毅八郎(うえだ きはちろう、1920年8月30日 - )は、日本の画家である。海洋船舶画家として、模型メーカー・タミヤの「ウォーターラインシリーズ」をはじめとするボックスアートで知られる。」
  • 93歳・軍艦プラモデル絵師 自身が乗った艦は6回撃沈された

    紺碧の海に白波を立てて突き進む軍艦。その姿は勇猛ながら、滅びの運命を感じさせる悲壮さをも漂わせている。ここに紹介した絵に見覚えのある人は多いだろう。静岡県在住の画家・上田毅八郎氏(93歳)が軍艦プラモデルの箱絵に描いた作品の数々である。 上田氏は大正9(1920)年生まれ。20歳で軍に召集され、陸軍船舶高射砲第一連隊に配属された。戦時下、計26隻の輸送船に乗船してジャワ島やアリューシャン列島などを転戦し、3年8か月にわたる兵役の間、6度にわたって乗艦が撃沈された。 1944年11月には、マニラ湾で敵250機から3日にわたる空襲を受け、乗船していた輸送船・金華丸が爆発・炎上。上田氏は海に飛び込んで救助されたが、大半の乗員が犠牲となった。戦争で利き腕の右手が不自由になり、復員後は慣れない左腕で絵を描き始める。 その胸に宿るのは常に戦地への思いだった。50年来の絵画の弟子である伊藤正明さんが語る

    93歳・軍艦プラモデル絵師 自身が乗った艦は6回撃沈された
    hozho
    hozho 2014/01/21
    「作画時は資料を徹底的に集め、細かな装備まで理解して描く。その絵が評判となり、1971年ごろから、世界の有名艦を集めた模型「ウォーターラインシリーズ」の箱絵を描くようになった。」
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