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場所>関東>神・横浜と文系>歴史に関するhozhoのブックマーク (21)

  • ゲーム感覚で歩く! 鉄道廃線跡の意外に楽しい歩き方 [鉄道] All About

    ゲーム感覚で歩く! 鉄道廃線跡の意外に楽しい歩き方今や世代・性別を問わず、鉄道を趣味とする人が増えた。「乗り鉄」「撮り鉄」に加え、「もじ鉄」「着鉄」なんていう人もいる。筆者のおすすめは「廃線散歩」。廃止された路線の歴史を調べたり、鉄道の遺構や痕跡がないか探しながら歩いたりと、ゲーム感覚で楽しめる。 一昔前、いや二昔前は男性の、しかもマニアに限られた趣味と思われた鉄道は、今や世代・性別を問わず、趣味とする人がとても増えた。「乗り鉄」「撮り鉄」などの王道的なものに加え、駅の看板の文字が好きな「もじ鉄」、車両の色に合わせて服をコーデする「着鉄(きてつ)」なんていう人たちもいるらしい。 筆者がおすすめしたいのは、廃止された鉄道路線の跡を歩く「廃線散歩」。「なぜ、ここに鉄道が敷かれたのか」「なぜ、廃止になったのか」といった路線や沿線の歴史を調べたり、鉄道の遺構や痕跡がないかを探しながら歩くのだ。ちょ

    ゲーム感覚で歩く! 鉄道廃線跡の意外に楽しい歩き方 [鉄道] All About
    hozho
    hozho 2024/02/19
    “首都圏の鉄道廃線跡の中から、多くの人が楽しく歩けそうな3路線をピックアップし、鉄道廃線めぐりの世界へとご案内したい。”
  • 「貨物鉄道輸送150年」神奈川県横浜・川崎エリアの貨物線跡を歩く

    我が国における鉄道貨物輸送は、新橋~横浜(現・桜木町)間で旅客輸送が始まった翌年、1873(明治6)年9月15日に旅客と同じ新橋~横浜間で貨物列車が走ったのが始まりである。今年は「貨物鉄道輸送150年」の記念すべき年にあたる。 神奈川県の横浜・川崎エリアでは、明治期から戦後にかけて、貨物線が著しく発達した。写真は現役当時の神奈川臨海鉄道水江線(「神奈川臨海鉄道50年史」より) その後、神奈川県の横浜・川崎エリアでは、横浜港・川崎港の貨物量増加、臨海工業地帯の発展などにともない、貨物線が著しく発展。埠頭や工場をつなぐ専用線まで含めると、数えきれないほどの路線が敷設された。しかし、モータリゼーションが伸展し、トラック輸送が台頭すると、1970(昭和45)年頃をピークに鉄道の貨物輸送は斜陽化。数多くの貨物線が姿を消していった。 今回は、横浜・川崎エリアに存在する貨物線の廃線跡を探索する。 ■最古

    「貨物鉄道輸送150年」神奈川県横浜・川崎エリアの貨物線跡を歩く
    hozho
    hozho 2023/09/18
    “今回は、横浜・川崎エリアに存在する貨物線の廃線跡を探索する。”
  • 横浜の街中に100人の武者行列 4年ぶり小机城址まつり 鉄砲隊の発砲演技を披露も(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース

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    hozho 2023/04/24
    “戦国時代に小田原北条氏が拠点にしたという小机城の歴史を伝える「小机城址(じょうし)まつり」が23日、横浜市港北区のJR小机駅周辺で開かれた。”
  • 二俣川古戦場:畠山重忠だまし討ちの代償、息子の義時らに追放された北条時政(8)

    鎌倉幕府内の権力争いで、ライバルの比企能員(よしかず)を追い落とした執権・北条時政の暴走は止まらない。若き後の牧の方に振り回されたこともあり、幕府に尽くした畠山重忠を討たせたり、3代将軍・源実朝の首をすげ替えようと画策したりする。しかし、その代償は大きかった。息子の義時は姉・政子とともに、「不孝」のそしりを恐れず父親と継母の追放を決意する。 幕府の忠臣である畠山重忠は、武蔵国男衾(おぶすま)郡の自邸、菅谷館(現在の埼玉県嵐山=らんざん=町)から家人らを率いて鎌倉に向け、馬を走らせていた。幕府の使者から「謀反人の討伐があるから参集されたし」との報せを受けたからだ。 ところが、鎌倉街道を南下して二俣川の鶴ヶ峰(現在の神奈川県横浜市旭区)に差し掛かった辺りで、北条義時率いる数万騎超の大軍勢が待ち構えているのに遭遇、異変に気が付いた。「謀反人」と名指しされたのは重忠自身のことだと悟ったのだ。これ

    二俣川古戦場:畠山重忠だまし討ちの代償、息子の義時らに追放された北条時政(8)
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    hozho 2022/07/22
    “合戦の跡は、相鉄・鶴ヶ峰駅周辺にいくつも残っている。駅の北西部辺りが主戦場とみられ、重忠公碑や首塚があるほか、幕府軍の矢が地面に突き刺さり矢の畑のように見えたことから「矢畑」と呼ばれる地がある。”
  • 根岸・旧柳下邸周辺に点在するお屋敷の歴史に迫る! - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    ココがキニナル! 根岸の旧柳下邸付近には古くからありそうな、武家屋敷風の家が沢山あります。門構えが立派で雰囲気は抜群ですが、どうしてこの辺りにはそんな旧家が多いのか、歴史的な背景が知りたいです。(しげさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 旧柳下邸付近のお屋敷風の旧家には江戸時代以前にさかのぼる歴史が秘められていた。その代表的な一軒を訪ねると、貴重な古文書などが次々と目の前に現れ、さらに敷地の中にはいくつもの驚きの光景が! 「旧柳下邸」って何? JR根岸駅から徒歩10分足らずの「旧柳下(やぎした)邸」は、正確には磯子区下町(しもちょう)に位置する。 この付近は根岸の丘の裾野に沿ってちょうど区境になっているのだ。崖の上は中区、崖下は磯子区。とはいえ、もとをただせば同じ久良岐(くらき)郡根岸村だ。根岸駅も根岸小・中学校も磯子区に属することからも、古くからの「根岸」という土地は現在、二つの区にまた

    根岸・旧柳下邸周辺に点在するお屋敷の歴史に迫る! - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
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    hozho 2022/06/20
    “旧柳下邸付近のお屋敷風の旧家には江戸時代以前にさかのぼる歴史が秘められていた。その代表的な一軒を訪ねると、貴重な古文書などが次々と目の前に現れ、さらに敷地の中にはいくつもの驚きの光景が!”
  • 元気の出る写真展 - 冬桃ブログ

    横浜市市史資料室で開催されている写真展、 「戦後の風景 占領から復興へ」を観てきた。 展示されている写真は、横浜の郷土史家であり 「宮川香山 真葛ミュージアム」の館長も務める山博士さん所蔵のもの、 及び、山さんのコレクションの中から市史資料室に寄贈されたもの。 戦後すぐの光景というとモノクロ写真を思いうかべるが これは明るいカラー。 だからというわけではないがカルチャーショックを受けた。 この時代の横浜に関して、私はこれまで、暗い面のほうを 多く見たり読んだり聞いたりしてきた。 でもこの写真展の横浜は違う。 大空襲で焼け野原になってから、まだ数年しか たっていないというのに、活気が凄い。 人々が大挙して街に繰り出している。 表情にも暗さはない。 店はちゃんと営業している。 お祭りに行く子供たちは可愛い浴衣姿。 数々の展示写真は撮影禁止だったので紹介できないが このチラシだけ見てもそれが

    元気の出る写真展 - 冬桃ブログ
    hozho
    hozho 2022/05/19
    “横浜市市史資料室で開催されている写真展、 「戦後の風景 占領から復興へ」を観てきた。7月9日まで。横浜市市史資料室(中央図書館地下)”
  • 幻の力士調査からよみがえる磯子区・岡村天満宮の幻の遷座 - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    ココがキニナル! かつて力士として存在した磯子山は、以前、磯子区の岡村町付近にあった磯子山と関係しているのでしょうか?ぜひ調べてください。(hidekunさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 力士・磯子山との関係は不明。だが、旧・磯子山に近い岡村天満宮と大相撲は深~い結びつきが。さらにそこから、戦争によって途絶えた岡村天満宮の幻の遷座がよみがえる! そもそも磯子山ってどこだ? hidekunさんのキニナル投稿には、さらりと「磯子区の岡村町付近にあった磯子山」と書いてあるが、現在の地図で見てもその場所はわからない。 赤枠内が磯子区岡村町 また、図書館に行って分厚い磯子区の郷土資料に目を通しても「磯子山」の記述はなかなか見当たらない。 こんなとき、ニッチな地域の歴史を調べるのにとても役立つのが、その地域の小学校の周年記念冊子だ。横浜市立磯子小学校の『創立130周年記念資料集 わたしたちのまち磯

    幻の力士調査からよみがえる磯子区・岡村天満宮の幻の遷座 - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
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    hozho 2022/04/17
    “岡村天満宮に、今から80年以上前の1937(昭和12)年、「幻の遷座(せんざ)」計画があった。社殿が老朽化したため、新社殿を今ある敷地から丘の最高部に移転・新築しようとするものだった。”
  • 旭区 二俣川で「重忠」情報発信 「大河ドラマ」放送に伴い | 旭区 | タウンニュース

    旭区ゆかりの武将・畠山重忠が登場することでも注目が集まる、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。旭区はドラマを契機に区の魅力を発信するため、重忠の情報を紹介するコーナーを1月17日、二俣川駅直結の商業施設「ジョイナステラス二俣川」に開設した。 『鎌倉殿の13人』は1月9日から放送が開始された、今年のNHK大河ドラマ。物語の主人公は小栗旬さん演じる北条義時だが、鶴ヶ峰付近で非業の死を遂げた畠山重忠を若手人気俳優の中川大志さんが演じることもあり、地元旭区では注目を集めている。 区内の魅力を紹介 重忠情報発信コーナーが設置されたのは、二俣川駅改札を出て直進した先の「ジョイナステラス二俣川」施設内。パネルやパンフレットなどで、重忠に関する区内の史跡などが紹介されている。初日の1月17日には、オープニングセレモニーを実施。権藤由紀子区長、旭区連合自治会町内会会長で旭区観光協会会長を務める山岸弘樹氏、(

    旭区 二俣川で「重忠」情報発信 「大河ドラマ」放送に伴い | 旭区 | タウンニュース
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    hozho 2022/01/20
    “鶴ヶ峰付近で非業の死を遂げた畠山重忠を若手人気俳優の中川大志さんが演じることもあり、地元旭区では注目を集めている。”
  • 日本にコーヒーを広めて100周年! 立役者が創業地に立ち上げた新ブランドとは?|さんたつ by 散歩の達人

    KEY COFFEEの始まりは、コーヒーがまだまだ日人に浸透していなかった大正時代。「コーヒーは日人の新しい文化の扉を開く鍵だ」を合い言葉に、全国にコーヒーの魅力を広めていった。そして2020年12月11日、創業100周年を機に立ち上げた新店舗が『COFFEE BEANS Clé de YOKOHAMA by KEY COFFEE』(「Clé」はフランス語で「鍵」の意)。老舗が次の100年に向けて新たなスタート地点に選んだのは、創業地の横浜だった。

    日本にコーヒーを広めて100周年! 立役者が創業地に立ち上げた新ブランドとは?|さんたつ by 散歩の達人
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    hozho 2020/12/21
    “創業者の柴田文次が横浜でKEY COFFEEの前身、コーヒー商「木村商店」を創業したのは、1920年のこと。”
  • 神奈川区・神大寺の「塩の道」はどこへ続いていたのか? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

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    hozho 2020/03/21
    “神大寺に神大寺はない”
  • 【PDF】鶴見臨港鉄道の過去・現在・未来

  • 横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅 | GetNavi web ゲットナビ

    おもしろローカル線の旅~~JR高島線(神奈川県)~~ 神奈川県の横浜市内を走るJR高島線。通る列車はほとんどが貨物列車だ。湾岸を突っ切るこの短絡線があることで、東海道線の横浜駅周辺の過密ダイヤを乱すこともなく、貨物列車が旅客ホームを通過する危険性が避けられている。たぶん多くの方が知らないと思われる路線ながら、有効に活かされているのだ。 そんな高島線だが、実は輝かしい歴史をもつ。横浜港に入港する国際航路の船客を連絡列車で送迎した、いまでいう空港アクセスラインの役目をもっていた。栄光の歴史の面影は、現在の沿線のみならず、ベイエリアの各所に残されている。今回はJR高島線の「今」と、国際アクセス路線として輝いた面影をたどろう。 ↑JR高島線はJR東海道線の鶴見駅〜新子安駅間で分岐(京浜急行電鉄生麦駅付近)、横浜の港湾部を走り、JR根岸線の桜木町を結ぶ路線だ。途中、東高島駅(貨物専用)がある。【

    横浜の湾岸を走る貨物線「JR高島線」の“花形路線時代”の面影をたどる旅 | GetNavi web ゲットナビ
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    hozho 2018/10/07
    “今回はJR高島線の「今」と、国際アクセス路線として輝いた面影をたどろう。”
  • 桜木町事故 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "桜木町事故" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年5月) 桜木町事故(さくらぎちょうじこ)は、1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、神奈川県横浜市の日国有鉄道(国鉄)東海道線支線(京浜線。現在の京浜東北線及び根岸線の一部)の桜木町駅[注釈 1]構内で発生した列車火災事故。死者106人、負傷者92人に及ぶ被害を出した。 出火原因は電気工事作業員のミスにより垂れ下がっていた架線に列車が接触してショートしたことであるが、乗客は非常時にドアを自力で開けることができず、また隣の車両へ移ることも、窓から脱出すること

    桜木町事故 - Wikipedia
    hozho
    hozho 2018/08/25
    “桜木町事故(さくらぎちょうじこ)は、1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、神奈川県横浜市の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線(現在は根岸線の一部、京浜東北線)桜木町駅構内で発生した列車火災事故である。”
  • 横浜線(東神奈川—八王子間)「開業110周年記念イベント」開催|鉄道イベント|2018年7月27日掲載|鉄道ファン・railf.jp

    JR東日 横浜支社では,2018(平成30)年9月23日(日祝)の横浜線(東神奈川—八王子間)開業110周年を記念して,各種「開業110周年記念イベント」を開催します. 写真:JR東日E233系6000番台  編集部撮影  国府津車両センターにて  2014-2-12(取材協力:JR東日) ※写真はイメージです. ■ヘッドマーク掲出列車の運行 横浜線E233系の1編成に,横浜線開業110周年記念ロゴマークをもとにデザインしたヘッドマークを掲出して記念列車として運行します.なお,開業日である9月23日(日祝)には,ヘッドマーク掲出列車のセレモニーが実施されます.

    横浜線(東神奈川—八王子間)「開業110周年記念イベント」開催|鉄道イベント|2018年7月27日掲載|鉄道ファン・railf.jp
    hozho
    hozho 2018/07/27
    “JR東日本 横浜支社では,2018(平成30)年9月23日(日祝)の横浜線(東神奈川—八王子間)開業110周年を記念して,各駅で「開業110周年記念イベント」を開催します.”
  • 第958話【横浜真景一覧図絵徹底研究】第三話 – YOKOHAMA xy通信

    初代横浜駅前の様子 「横浜真景一覧」には他のエリアとは異なり少々おざなりな描かれ方の初代横浜駅が描かれている。 初代横浜駅構内全景 横浜に初めて鉄道が開業したのは1872年6月12日(明治5年(旧暦)5月7日)のことだ。維新直後の明治2年には鉄道敷設が決定され、衣替えのように<近代化>が進んだ背景には、近世江戸期の文化技術の奥深さがあったことを再認識しなければならない。 それでも相変わらず厳しい<攘夷思想>が渦巻く明治初期に全く経験値のない鉄道を設計・敷設・指導した英国人技師モレルに対しては改めてその偉大な成果、努力に敬意を表したい。山師の様な、詐欺まがいの外国人もいた中、優秀で正直、謙虚なモレルには感謝しかない。また彼を支えた日人パートナー達の努力も同じく敬意を表したい。 中でも<現桜木町ネタ>的に紹介するなら、 鉄道敷設の起点となった<野毛浦地先海岸埋立地(吉田橋北詰から野毛浦.・

  • 第957話【横浜真景一覧図絵徹底研究】第二話 – YOKOHAMA xy通信

    この「横浜真景一覧」を現在と比較してみると、運河筋の正確さに気づく。 大岡川・派大岡川・中村川・堀川の形状は概ね正確に描かれていることがわかる。元資料となった地図があったのかもしれない。 ところがこの絵図の凄さは その観察力である。 クローズアップしてみると運河に描かれた船類がきちんと種類を区別して描写されているのがわかる。 ここで描かれている和舟、汽船等々は別途調べてみることにする。 今回は<橋>に注目してみる。 この「横浜真景一覧」の描写の中で橋や岸壁に注目するとその描写力に驚かされる。 ■大岡川弁天橋付近 まず大岡川河口あたりからたどってみよう。 初代横浜駅構内は不正確で、かなり乱暴に描かれている。 鉄道敷地の中に入って確認することができなかったのではないか。 鉄道の腕木信号だけがデフォルメされているのが面白い。作者にとってこの形状は印象的だったのかもしれない。大岡川河口に注目してみ

  • 第956話【横浜真景一覧図絵徹底研究】第一話 – YOKOHAMA xy通信

    明治中期に描かれた地図に「横浜真景一覧」という実に見事な鳥瞰地図がある。測量による近代地図的描法が取り入れられ平面図が主流になった時期の珍しい都市鳥瞰図である。 横浜真景一覧 この地図を詳細に見ていくと様々なことが見えてくる。今回から数回に分けてこの「横浜真景一覧」を徹底分析してみたい。 ■都市鳥瞰図 近代の歴史をさかのぼる有効な資料に「写真」や「地図」がある。 近世以前にはほとんど無かった領域の史料の登場である。 「写真」や「地図」、 明治期まで遡ると現存する「写真」の数は限られてくる。地図も測量技術の輸入により正確な位置関係は判るようになったが、町の姿はなかなか見えてこない。 しかも横浜は震災と戦災を経て多くの資料が失われてしまった。 ここに紹介する「横浜真景一覧」は絵図である。作図なので作者のフィルターを通してどこかを<省略>しているのだが、描かれた<ところ>と両者に注目していくと、

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    hozho 2018/07/10
    “明治中期に描かれた地図に「横浜真景一覧」という実に見事な鳥瞰地図がある。測量による近代地図的描法が取り入れられ平面図が主流になった時期の珍しい都市鳥瞰図である。”
  • 第951話【横浜の地図】東京横浜電鉄 – YOKOHAMA xy通信

    1930年(昭和5年)に発行された「東京横濱電鐵」の沿線案内を兼ねた路線図の一部です。 1930年(昭和5年)に発行 この路線図をネタにこの時代を少し読み解いてみます。 現在と異なっているのが、 ○国鉄線の「程が谷」→「保土ケ谷」 一昔前は「保土ヶ谷」でしたが近年は「保土ケ谷」表記要請もあり変更されています。 この駅は1887年(明治20年)7月11日に東海道線が開業し「程ヶ谷駅」として開業し、1931年(昭和6年)10月1日に保土ヶ谷に改称します。 現在「保土ケ谷駅」は横須賀線の駅で、東海道線は止まりません。 1930年(昭和5年)3月15日に横須賀線が電化されたことをきっかけに通過駅となりました。 ○湘南電車黄金町駅→「京浜急行黄金町駅」 この路線図が発行された1930年(昭和5年)がポイントです。この年の4月1日に湘南電気鉄道が黄金町を始発駅として浦賀駅まで、また同時に金沢八景駅か

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    hozho 2018/03/27
    “1930年(昭和5年)に発行された「東京横濱電鐵」の沿線案内を兼ねた路線図の一部です。”
  • 京急の駅名「金沢八景」とは? 歌川広重が描いた浮世絵の舞台を探せ!

    「快特」も停車する京急電鉄の主要駅「金沢八景駅」。普段、何気なく目にし、耳にする駅名だが、その名前の由来を知る人は意外に少ないのではないか。金沢八景とは、この付近の平潟湾周辺の優れた風景、8カ所を選んだもので、江戸時代には、歌川広重の浮世絵などで広く知られるようになり、関東地方を代表する景勝地として、多くの物見遊山客が訪れた。 「金沢八景駅」の名前の由来とは? そこで今回、横浜市金沢区で名所等の案内役として活動している「横濱金澤シティガイド協会」のガイドさんに案内してもらいながら、金沢八景を巡ってみることにした。あわせて、冬限定の景色や、金沢八景巡りにぴったりなお土産も紹介しよう。 (右から)「横浜金澤シティガイド協会」の池田さんと伊藤さん そもそもなぜ「金沢八景」なのか 金沢八景のように、美しい景色8カ所を選んで"八景"として数えるのは、日各地で見られる。その元祖は、古くから山水画など

    京急の駅名「金沢八景」とは? 歌川広重が描いた浮世絵の舞台を探せ!
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    hozho 2018/02/13
    「金沢八景とは、この付近の平潟湾周辺の優れた風景、8カ所を選んだもので、江戸時代には、歌川広重の浮世絵などで広く知られるようになり、関東地方を代表する景勝地として、多くの物見遊山客が訪れた。」
  • 第905話 【占領下の空】 – YOKOHAMA xy通信

    終戦直後の福富町 この写真は約7割が空となっています。 カメラマンは何故? 敢えてこの広い空を構図の中に取り込もうとしたのでしょうか? 撮影場所は野毛山中腹(現在の西区東ケ丘あたり)かプール(今無い)あたりか? <風景を読む> 手前に京浜急行が走り、日ノ出町駅舎は隠れて見えません。 高架線の途中にある構造物は京急の変電所でしょう。 その先には大岡川が流れ、アーチ橋長者橋、左側に桁橋宮川橋が見えます。 福富町の殆どが空襲で焼失し、米軍によって整地され、接収の準備が始まっています。 後にこのエリアには第八軍宿舎(カマボコ兵舎)が立ち並びますが まだ臨時のテント設営段階のようです。 横浜関内外エリアは戦後、ほとんど接収となり戦後復興が滞りました。 このエリアは、開港後の「慶応の大火」以降 「関東大震災」「横浜大空襲」「戦後接収」と地域の機能不全の中から立ち上がってきた経験があります。 遠景のスカ

    第905話 【占領下の空】 – YOKOHAMA xy通信
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    hozho 2017/08/05
    「撮影場所は野毛山中腹(現在の西区東ケ丘あたり)かプール(今無い)あたりか?撮影時期は昭和20年の秋か21年の初めあたりと推定しました。」