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趣味>建築土木と場所>九州>大分に関するhozhoのブックマーク (6)

  • 耶馬渓ダム貯水率低下続く 25%切れば取水制限強化 農工業用は過去最大 | 西日本新聞me

    貯水率低下が続く耶馬渓ダム(中津市耶馬渓町)を管理する国土交通省山国川河川事務所は6日、現在31・3%(同日正午現在)の貯水率が25%を切った時点で、上水道25%をはじめとする過去最大級の取水制限を実施することを決めた。週末にはまとまった降雨も予想されているが、同事務所は「降雨次第では、さらなる取水制限に至る可能性もある」と話す。 ダムの関係自治体や土地改良区など約20の団体を集め同日開かれた会合では、ダム貯水率が25%を切った時点で、上水道25%、農業用水45%、工業用水90%の取水制限を実施することを申し合わせた。特に、農業、工業各用水の取水制限は1985年のダム運用開始以来、最も厳しい水準となる。 各土地改良区などの農業団体からは「水の配分を巡るいがみ合いは実際起きている。今後の人間関係もあるのでなんとかなだめている」など切実な声も聞かれた。耶馬渓ダムでは既に上水道で20%、農業用水

    耶馬渓ダム貯水率低下続く 25%切れば取水制限強化 農工業用は過去最大 | 西日本新聞me
    hozho
    hozho 2018/09/07
    “耶馬渓ダム(中津市耶馬渓町)を管理する国土交通省山国川河川事務所は6日、現在31.3%(同日正午現在)の貯水率が25%を切った時点で、上水道25%をはじめとする過去最大級の取水制限を実施することを決めた。”
  • 明治の石橋「大肥橋」撤去へ 「流木など引っ掛かる」 日田市夜明地区 | 西日本新聞me

    大分県は日田市夜明地区にある石造アーチ橋「大肥橋」を撤去する方針を決めた。明治期に造られ、1953年の筑後川大水害など幾多の災害に耐えてきたが、増水した川の流れを阻害し周辺に水があふれる一因になったと判断、昨年の九州豪雨に伴う河川改良工事で撤去する。「眼鏡橋」の愛称で親しんできた住民たちは「残念だが仕方ない」と複雑だ。 石橋は筑後川との合流点近くの大肥川に架かる。同地区の歴史を調べている夜明史談会によると、かつてあった石橋が洪水で流されたため、熊の石橋職人らによって1899(明治32)年に造られた。長さ27・6メートル、幅4・6メートル。 1945年に地区を襲った大洪水では大肥川にかかる四つの橋が流失したが、石橋は無事だった。さらに53年の筑後川大水害でも流失を免れ、その後も豪雨や地震に耐えてきた。 昨年の豪雨で石橋自体に大きな損傷はなかったが、流木やがれきが橋に引っ掛かるなどして周辺に

    明治の石橋「大肥橋」撤去へ 「流木など引っ掛かる」 日田市夜明地区 | 西日本新聞me
    hozho
    hozho 2018/03/13
    “大分県は日田市夜明地区にある石造アーチ橋「大肥橋」を撤去する方針を決めた。明治期に造られ、幾多の災害に耐えてきたが、増水した川の流れを阻害し周辺に水があふれる一因になったと判断。”
  • 大分川ダム2月試験貯水 大分市、道の駅や広場整備へ 観光、地域の拠点に活用 | 西日本新聞me

    大分川流域の洪水対策や大分市内の水道用水確保を目的とした国営大分川ダム(同市下原)は体工事が終わり、2月下旬に試験的に貯水を始める。完成は2019年度末の予定。完成に合わせて、大分市はダム湖近くに「道の駅のつはる」(仮称)、山側に「のつはる天空広場」(仮称)を整備し、観光や地域の拠点として活用する。 同市によると、道の駅はダムに面した国道442号線沿いに約3億円かけて建設する。わらぶきの屋根に木造平屋で昔の農家をイメージした建物を計画。同市野津原地区の農産物を使ったレストランや直売所などを設け、建物のダム側の壁は全面ガラス張り、建物外にはウッドデッキの休憩スペースを設置して湖面が一望できるようにする。今年夏に着工し、来年夏の開業を予定している。 天空広場は、ダム体に使われた土を採取した跡地に整備する。3万2千平方メートルの敷地に土や芝のグラウンド、屋外ステージをつくり、音楽や農業イベン

    大分川ダム2月試験貯水 大分市、道の駅や広場整備へ 観光、地域の拠点に活用 | 西日本新聞me
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    hozho 2018/01/19
    「国営大分川ダムは本体工事が終わり、2月下旬に試験的に貯水を始める。完成は2019年度末の予定。大分市はダム湖近くに「道の駅のつはる」、山側に「のつはる天空広場」を整備し、観光や地域の拠点として活用。」
  • 夜明ダム - Wikipedia

    ダム湖(2007年8月) 夜明ダム(よあけダム)は、福岡県うきは市浮羽町三春地先と大分県日田市夜明地先に跨る、筑後川川に建設された発電専用ダムである。 概要[編集] 筑後川水系では、1913年(大正2年)の女子畑発電所建設以来、筑後川(大山川)・玖珠川に水力発電所を建設していたが、第二次世界大戦後の拡大する電力需要を見越して、筑後川中流部の夜明地点にダム式発電所の建設を図った。1952年(昭和27年)より建設に着手し、2年という短期間で完成させた。ダムの型式は重力式コンクリートダム、高さは15.0mである。 ダムの建設された場所は、筑後川の両岸に国道386号と国道210号が並走し、大分自動車道やJR九州久大線も近傍を通ることから、福岡県、佐賀県、長崎県と大分県を結ぶ交通の要衝である。故に山間部であるが交通量は多い。下流には保木公園があり、春には100のサクラが咲く花見スポットである。

    夜明ダム - Wikipedia
    hozho
    hozho 2017/10/13
    「福岡県うきは市浮羽町三春地先と大分県日田市夜明地先に跨る、筑後川本川に建設された発電専用ダムである。」
  • 川底から「筑後軌道」の遺構、鉄道ファン集まる : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    夜明ダム上流の筑後川に姿を現した「筑後軌道」の遺構。川左岸の森林の真下に、高さ約5メートルの軌道敷の石積みが約1キロにわたって続く。手前は舟が通ったとされる水路(小型無人機から) 夜明ダム(大分県日田市)上流の筑後川で、大正・昭和初期に日田市と福岡県久留米市を結んだ軽便鉄道「筑後軌道」の遺構が姿を現した。 7月の九州北部豪雨の影響で、ダムの水門が開放され、水位が下がったためだ。今月下旬頃には水位が戻る予定で、鉄道ファンらが珍しい光景を求めて集まっている。 地元の市民団体「筑後軌道調査会」によると、筑後軌道は1916年(大正5年)に日田―久留米間約45キロが全線開通した。蒸気機関車が約3時間半で結んでいたが、国鉄久大線の延伸に伴い、昭和初期に廃線となった。54年にダムが完成し、遺構の一部は水没した。 露出した遺構は、高さ約5メートルの軌道敷の石積みで、川の左岸に約1キロにわたって確認できる。

    川底から「筑後軌道」の遺構、鉄道ファン集まる : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    hozho
    hozho 2017/10/13
    「夜明ダム(大分県日田市)上流の筑後川で、大正・昭和初期に日田市と福岡県久留米市を結んだ軽便鉄道「筑後軌道」の遺構が姿を現した。」
  • 比叡山で最強の厄払い! 神仏両方、延暦寺と日吉大社で「やくばらい散歩」 - 朝日新聞デジタル&TRAVEL

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    比叡山で最強の厄払い! 神仏両方、延暦寺と日吉大社で「やくばらい散歩」 - 朝日新聞デジタル&TRAVEL
    hozho
    hozho 2017/01/16
    「現存する天守は1666(寛文6)年頃に建造されている。世は、4代将軍・徳川家綱の統治下。戦乱の世は終わり泰平の世へと移り変わっているため、戦うことを前提につくられていない。」
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