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LifeとHistoryに関するkenchan3のブックマーク (2)

  • 江戸食文化紀行-江戸の美味探訪- no.87「麦湯」

    麦湯は麦茶とも呼び、殻つきのまま煎った大麦をせんじた飲み物で、現在も夏の飲み物として親しまれています。 麦湯の名は『料理伊呂波庖丁』(1773)にも見られ、煎茶の普及していなかった江戸前期から庶民の飲み物だったようですが、麦湯の店が江戸の街頭の夏の夜の景物となったのは、文政(1818~30)の頃からといいます。 江戸後期の風俗を記した『江戸府内風俗往来』には、「夏の夜、麦湯店の出る所、江戸市中諸所にありたり。多きは十店以上、少なきは五、六店に下らず。大通りにも一、二店ずつ、他の夜店の間に出でける。横行燈に「麦湯」とかな文字にてかく。また桜に短尺(たんざく)の画をかき、その短尺にかきしもあり。 行燈の(もと)は麦湯の釜・茶碗等あり。その廻りに涼み台を並べたり。紅粉を粧うたる少女湯を汲みて給仕す。」とあります。 麦湯店には、桜湯、くず湯、あられ湯などもあり、価も安く、家の中の暑苦しさを逃れて

    kenchan3
    kenchan3 2009/09/18
     冷たくはなかったんだろうな。 当然だが。
  • 昭和初期のこどもー髪型: 気がつけば82歳

    小学生の時の日の思い出を書いたら、あの頃の自分や友達の姿が鮮明に現れた。 服装も、髪型も、気持だって今とは随分違う。ちょっと書き留めたくなった。  完全に追憶モードにハマっている! 地方によって随分違ってたはずだから昭和初期の風俗と一くくりにはいえないと思う。 あくまで私の個人的な記憶です。 女の子はオカッパが主流だった。小学生で前髪を上げたり横分けにした子は一人もいなかった。 短めのオカッパーーー後ろの生え際は4~5センチ剃る。 刈り上げ -----坊ちゃん刈りに似てるがずっと長い。 日人形風 ----踊りを習ってた子? 少数派。 私は後ろの生え際を剃った感じが嫌いで刈り上げにしていた。 関西ではサンパツヤさんと呼ぶ。月に1度くらい小銭を握りしめて行った。 椅子に腰かけると首に薄い脱脂綿の包帯状のを巻いて白いケープを掛けられた。 年配の小父さんが散髪してくれて奥さんがこまごまと手伝っ

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