石上純也氏の作品 「Architecture as air: Study for château la coste」 が第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を受賞した事に端を発する建築とアートに関わる議論。 ※発言はトピック毎に纏めているので必ずしも時系列順にはなっていません。 続きを読む
「自明性」をめぐって 2010年7月27日 カルチャーメディア コメント: トラックバック (0) フィードカルチャーメディア (これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら) 最近「自明性」ということについて考える……というよりは、それを「問題にせざるを得ないのではないか」と感じてしまうことが多い。 なんだか知らないが、漠然と「これって当然そうでしょ」と思われていることを調べてみたら「じつは全然そういうことではなかった」という事例につきあたったり、「こんなの普通知ってるよね」的な態度でいわれていることに対して「そんなの説明されなきゃ絶対わからねえ」と思ってしまったりすることがやたら多いのである。面倒くさいから私だってそんなことに突っ込みをいれたくはないのだが、そういう場合、どうもまずそこを問題にしないと話が通じない気がする。 先日これと似たような感覚について千野帽子が、
※編注:文章中に一部性的な表現がありますが、アーティストの作品との関係からそのままの表記となっております。予めご了承願います。 ルー・リードの妻でもあるメディアアーティスト、ローリー・アンダーソンのJ-POPバージョンを目指すという「スプツニ子」さん。彼女はマシンを作り、プログラムを書き、そしてネットに自作の音楽も投稿する、新しいタイプのアーティストだ。 1985年生まれで、現在はロンドン在住。日本人の父、英国人の母を持ち、両親はともに数学者だ。自身もロンドン大学のインペリアル・カレッジで数学を専攻し、現在はロイヤル・カレッジ・オブ・アートの大学院で勉強している。 2009年には、メディアアートの世界的イベント、アルスエレクトロニカで、セザール原田さんとの共同作品「Open_Sailing」がゴールデン・ニカ賞を受賞した。 ▲ 右側でプレゼンテーションしているのが尾崎ヒロミ(スプツニ子)さ
アニメ批評が育たないのはなぜか、ライターが既得権益を守っているからだ、編集者が怠慢だからだ、というのはやさしいけれど、本当の原因はぼくはそこにはないと思う。アニメ批評の読者が育っていないことこそが、問題なのです。批評というだけでヒステリーを起こし、くだらない揚げ足取りをするひとばかりが目立つのでは、だれもアニメについて批評なんかしなくなるに決まっている。 東浩紀の渦状言論: 山本寛氏と対談 東浩紀氏による「アニメ批評」批判、というか、批評の根付かないアニメ文化批判。異論が出るのも当然でしょうが、概ね正しいと僕は思います。しかし、批評家に問題がないのかと言えばそうでもないし、一般的にイメージされる「批評家」像はすでに耐用年数が切れているのでそれも更新しなければいけないでしょう。そもそも日本においては、どのようなジャンルであれ欧米と比べて批評家に権威がありません。例えば演劇だと「上演中に朝日新
概要 NHKブックス別巻 思想地図 vol.1 特集・日本 おそらく私たちは、萌えアニメを中心とするキャラクターアニメのなかで、キャラクターと逆遠近法的な関係を結んでいる。 美術家・黒瀬陽平氏が寄せた、『思想地図vol.1』の公募論文「キャラクターが、見ている。――アニメ表現論序説」について考察する。 黒瀬氏は、日本アニメに関する言説が、物語論に偏在しており、表現論が不在だと主張する。そこで表現論によって、ポスト・エヴァの萌えアニメの系譜を捉え直そうと試みる。 そして、カメラアイが構成する「遠近法的空間」と、キャラクターが構成する「データベース的空間」という図式を提示する。 アニメの視聴者は、キャラクターと「逆遠近法的」関係を結ぶのだという。それは、アニメのキャラクターに「目を合わせる」ことができず、一方的に見られている、ということだ。 少し疑問を提起したい。 疑問1・遠近法を使うとデータ
special issue for the summer vacation 2008 2008夏休み特別企画! web sniper's book review 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評 『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 著者=宇野 常寛 【前編】 文=さやわか 『DEATH NOTE』、宮藤官九郎、よしながふみ……格差・郊外・ナショナリズム、激震するゼロ年代に生まれた物語たちの想像力は何を描いてきたのか。時代を更新するサブ・カルチャー批評の決定版。 昨年、『SFマガジン』誌上で連載が開始され、ネットを中心に大きな話題となった宇野常寛『ゼロ年代の想像力』がついに単行本化された。つまり、これは話題の本である。 連載開始当初から宇野が注目された理由とは、まずはやはり彼が「決断主義」という言葉によってゼロ年代のフィクションの特徴を抉り出すことに成功したからだろう。その達成は単行
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