タグ

思想と都市に関するlaislanopiraのブックマーク (63)

  • 凄い本だ。人類史に関しては『サピエンス全史』が先例だが、専門家による人類史再検討書・素描書が『万物の黎明』の話→興味津々の声が集まる

    正木伸城 @nobushiromasaki 凄いだ。 今後数十年は書が人類史に関する議論の土台になるだろう。ビッグ・ヒストリーは万人にウケる。『サピエンス全史』もその先例だが、著者のハラリは専門家ではない。一方で、書は専門家による人類史再検討書・素描書である。このを読めば、『サピエンス全史』のヤバさがよくわかる。→ pic.twitter.com/Q7pMdsvSwB 2024-04-30 18:28:46 正木伸城 @nobushiromasaki 人類史は長らくこう捉えられてきた。長い先史時代があり、農耕革命や定住革命はじめさまざまなテクノロジーの革新があり、さらには都市や国家の誕生などを経て共同体も巨大になる中で現在のグローバル社会が誕生したと。ハラリもジャレド・ダイアモンドもスティーブン・ピンカーもこの路線を基的に→ 2024-04-30 18:29:36 正木伸城 @n

    凄い本だ。人類史に関しては『サピエンス全史』が先例だが、専門家による人類史再検討書・素描書が『万物の黎明』の話→興味津々の声が集まる
  • 都市論のすすめ/シノドス・オープンキャンパス03 / 近森高明 - SYNODOS

    はじめに――都市論とは何か? 都市論とは何か?――それが扱う中身とともに、そこに含まれるニュアンスを初学者に簡潔に伝えるのは、やや難しいところです。が、とりあえず、互いに近い分野である「都市社会学」と「都市論」の違いから考えてみましょう。都市社会学は、社会学のひとつの分野で、都市をフィールドとして生じる社会現象を実証的に扱う学問分野です。具体的なトピックとしては、コミュニティ、ネットワーク、階層、エスニシティ、等々があげられます。それに対して都市論は、社会学のみならず、地理学、都市計画、建築、都市史、現代思想、メディア論、美学、文学、等々、さまざまな分野の知見を参照しながら、都市という領域それ自体の現在的特性を批評的に扱う言説分野です。 ……と、いきなり辞書的に抽象的な話をしてもわかりにくいですよね。もう少し具体的な話をしましょう。たとえば「中華料理」というお題について、都市社会学と都市論

    都市論のすすめ/シノドス・オープンキャンパス03 / 近森高明 - SYNODOS
  • 都市の緑地開発問題を「倫理学」で斬る――公正、分配的正義、賢慮の観点から/吉永明弘 - SYNODOS

    稿は、2017年10月にシノドスに掲載された「都市に「緑地」はなぜ必要か――「市街化調整区域」を真面目に考える」(以下、2017年記事と呼ぶ、https://synodos.jp/opinion/society/20444/)の続編である。この記事では主に、横浜市の瀬上沢緑地の開発問題を取り上げたが、その後、都市の再開発に伴う樹木伐採、緑地減少、公園の再整備などが、日各地で問題視されるようになった。 例えばChange.orgという署名サイトでは、この間、神宮外苑再開発(イチョウ並木景観の変容と樹木伐採、神宮球場建て替え、秩父宮ラグビー場建て替えを含む)を筆頭に、都立日比谷公園の樹木伐採、都立井の頭公園の樹木伐採、横浜市上瀬谷で開催予定の「花博」に伴うソメイヨシノの伐採、兵庫県明石公園の樹木伐採、京都府立植物園の再整備、千代田区神田警察通りのイチョウの伐採、茨城県つくば市の洞峰公園のグ

    都市の緑地開発問題を「倫理学」で斬る――公正、分配的正義、賢慮の観点から/吉永明弘 - SYNODOS
  • 海の家としての公園のカフェ(石川初:大学教授)

    石川初 1964年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部教授。著書=『ランドスケール・ブック──地上へのまなざし』(LIXIL出版、2012)、『今和次郎「日の民家」再訪』(共著、平凡社、2012)、『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い──歩くこと、見つけること、育てること』(LIXIL出版、2018)ほか。 http://hajimelab.net/ どこまでが都市? 「都市の際」はどこにあるのだろうか。 「際」のあらわれかたは、都市をどう定義するかによって違うだろう。 土地の状態に注目するなら、そこが人為的に操作可能な施設で覆われている範囲を都市、操作不能な現象が卓越する範囲を非・都市とまずは言うことができるだろう。 そのようにみなせばたしかに都市は明快な際をもっている。 たとえば海岸である。 海の近くに発達した都市の土地は海岸で果てている。 舗装され建築され照明が当たる陸側は都市

    海の家としての公園のカフェ(石川初:大学教授)
  • 建築家が「日本の大規模再開発は恐ろしい」と警鐘を鳴らす深い理由 "ローマを守る"イタリアとは大違い

    「外観は公共のもの」という考え方 ――コロナ禍に見出すポジティブな面ということでいうと、日は「自粛の要請」というかたちで中国や欧米のように都市をロックダウンせず、私権を極端に制限しないで対応してきたことを政府は誇っています。もちろん、これは評価が分かれるところですが……。片や、書の3章のリレー・エッセイでお二人とも触れているように、日の都市は欧米に比べて規制が緩く、自由なデザインの建築が多いという面もありますよね。そこで、あらためて公と私の関係や、「自由」というものについてご意見をお願いいたします。 【井上】青木さんが書の3章で触れていた、フランスから来た留学生のエピソードが印象的です。ファサード(外観)は設計者のものじゃなく、公共のものだというふうに彼らは考えている。これには、ああなるほどと思いました。 【青木】ロンドンで、水上に建つ建築を建て替えるというプロジェクトを設計したこ

    建築家が「日本の大規模再開発は恐ろしい」と警鐘を鳴らす深い理由 "ローマを守る"イタリアとは大違い
  • パンデミックの時代を経て、都市の価値は再現性の低い「神秘性」に宿る

  • パンデミックの夜に|特別掲載・大疫病の年に|重田 園江|webちくま

    新種のウイルスという見えない恐怖や先の見えない不安、そして氾濫する真偽不明な情報……。そうした奔流のただなかで、私たちは何を、どう考えるべきなのか。「分けるべきものを分け、結びつけるべきものを結びつける」──そうした思想史家の視点から、いま世界で起こっていることを理解するための糸口について、ご寄稿いただきました。ぜひご一読ください。 情報の氾濫と錬金術師 パンデミックをめぐって大量の言説が出回っている。情報の大波に、まさに溺れかけている人も多いだろう。新しい現象が起きたときというのは、確実なものと不確実なものを誰も明確に分けることができない。こうした振り分けは、未来においてはじめてある程度可能なことだ。時間を飛び越えられない人間存在の限界からすると、たとえば冷静に判断し「正しくおそれる」という台詞は、現状では空疎に響く。「正しく」がどうすることか明確に分からないなか、むしろ人々の不安を煽る

    パンデミックの夜に|特別掲載・大疫病の年に|重田 園江|webちくま
  • 『「不法」なる空間にいきる:占拠と立ち退きをめぐる戦後都市史』(大月書店) - 著者:本岡 拓哉 - 武田 砂鉄による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

    著者:岡 拓哉出版社:大月書店装丁:単行(256ページ)発売日:2019-04-17 ISBN-10:4272521128 ISBN-13:978-4272521128 その土地の歴史をも消す危うさ街を健全なものにするため、不健全と称される場所や人を消すことを急ぐ。来年開催される東京オリンピックに向けて新設される国立競技場の建設が進む前、真っ先に追いやられたのは、近隣の公園で暮らすホームレスだった。 都市計画は街を漂白することから始まる。かつてのオリンピックの頃から変わらない。戦後、都市にバラックが増殖して形成された「『不法』なる空間」が、やがて消滅するまでの全体像に迫った書が知らせるのは、その地域が「さまざまな社会的抑圧からのアジール」であり、「独自の『生きる方法』が展開する場」だったという史実。 高度経済成長期に多くの「不法占拠」が消滅するが、都市の経済性に見合う地域のバラックは

    『「不法」なる空間にいきる:占拠と立ち退きをめぐる戦後都市史』(大月書店) - 著者:本岡 拓哉 - 武田 砂鉄による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
  • 『辺境の思想 日本と香港から考える』 - HONZ

    中国化」する日と香港 中国返還から20年がすぎ、「中国化」(大陸化)がじんわり進む中で、かつてのイギリス植民地下で育まれた自由の気風が減じている香港。しかし2014年の民主化デモ・雨傘運動以降、足もとでは新たな変化も起きています。一方、2011年の東日大震災を経てオリンピックを控える東京には、どこか表層的な雰囲気が漂い、政治と社会の底ぬけが感じられるのではないでしょうか。 そうはいってもしかし、トランプ大統領の誕生以後、「中心」が抜け落ちてしまった世界で、今後必要とされるのは「中心」からは程遠く、想像力たくましく生きてきた「辺境」の知恵ではないか? 虎視眈々と「中心」の動きを見ながら、斜め上をゆく新たな変革の芽を育てていたのは、いつの時代も辺境だったのではないか? さらには、世界的な行き詰まりを突破する方途は、複数の「辺境」の知恵をつなぎ合わせてまだ見ぬ星座を形作ることにあるのではな

    『辺境の思想 日本と香港から考える』 - HONZ
  • アメリカの実験的な「ユートピア建設計画」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    理想主義者が作った「素晴らしき共同体」とは 一般的にはコミューンと言われますが、何か先鋭的な社会の仕組みが発明された時、それが実際に人々が生活を営む社会でどうワークするかを実験する小さな共同体が作られる場合があります。 大抵、現在の社会と離れた山奥や孤島などに作られ、経過が観察されるのですが、当然ながら上手くいくケースのほうが少ないです。もし仮に上手くいったとしても、実際に社会に適応した時に上手くいく保証もありません。関係する因子が多すぎて、どのような因果関係でワークするのか、誰も証明できないのです。 社会とは偶然や感情や各種しがらみのなかで、とても理性的とは思えない形で作られていくのですが、実際に自らが理想とするユートピアの実現を目指した者たちがアメリカには数多く存在します。 1. フルーツランド・コミューン Photo by victorgrigas 聖書のエデンの園を再現しようとした

    アメリカの実験的な「ユートピア建設計画」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 「物乞い」の行為をデザインする

    Summary*English report here ストリート・ディベートは路上で問題提起をし、世論を硬貨で可視化する職業である。これは、路上での「ものごい」に代わる行為でもあり、尊厳を損なわずにお金を稼ぐことができる誰もが出来る方法である。 路上で暮らすことを余儀なくされた人々が、友好的な会話を通して社会へ対等な立場で再接続する最初のステップとなることを目指している。 ロンドンではストリート・ディベートで1時間に平均13.5ポンドを稼ぎ、12.5人を議論に巻き込むことが明らかになっている。 Why I started designing the act of beggingもしあなたが、ロンドンやパリといったヨーロッパの都市を訪れたなら、道端で「ものごい」を行なう人を見ることは、そう珍しいことではないだろう。

    「物乞い」の行為をデザインする
  • タグ : 私たちの気付かない漫画のこと 一覧ページ|Zing!

    情報コンテンツサービス終了のお知らせ 2020年9月30日(水)をもちまして、以下コンテンツを終了いたしました。 【終了するコンテンツ】 Zing! 長らくご愛顧いただきました皆さまに感謝を申し上げますとともに、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 トップページ - サイトマップ - お問い合わせ

  • NYのアートシーンで今起こっていること、あまりにも特殊な故郷、東京のこと | milieu(ミリュー)

    Introduction by 塩谷舞(milieu編集長) 「NYにアート・イン・レジデンスに行かれるなら、現地の様子を私のメディアに書いてくれませんか?」 アーティストのAKI INOMATAさんにそうお願いしたのは、2016年の末。このメディアmilieuがオープンするよりも、少し前のことだ。 非常に真面目で、思慮深く、それでいて大小あらゆる実験を繰り返しながら作品を創る彼女の文章は、これまでにも度々目にしていたのだが、私は編集者として、どうしてもその思考や、そこから見える景色を、しっかりメディア上に留める必要があると思った。 ここは小さなメディアなので、留められる言葉には限界がある。milieuで記事を書いているのは、今のところは私と彼女だけなので、日々メッセンジャーで編集会議をしている唯一のパートナー、と言ってもいいかもしれない。 彼女に唯一のオファーをした理由としては、AKI

    NYのアートシーンで今起こっていること、あまりにも特殊な故郷、東京のこと | milieu(ミリュー)
  • lutemedia.com - このウェブサイトは販売用です! - lutemedia リソースおよび情報

    This webpage was generated by the domain owner using Sedo Domain Parking. Disclaimer: Sedo maintains no relationship with third party advertisers. Reference to any specific service or trade mark is not controlled by Sedo nor does it constitute or imply its association, endorsement or recommendation.

    lutemedia.com - このウェブサイトは販売用です! - lutemedia リソースおよび情報
  • 小松理虔+藤田直哉+影山裕樹:地域アートとローカルメディア 「結局、地方にクリエイティブな発想やスキルがないと、食い物にされるだけなんです。」- DOTPLACE

    地域で開催される芸術祭、アートプロジェクトの情況を批判的に検証する、SF・文芸評論家の藤田直哉氏の編著『地域アート ――美学/制度/日』(堀之内出版)は、その発売以降、多種多様な議論を呼びました。一方で、地域振興や移住支援などの情報発信が地方行政にとって重要なテーマとなりつつあることもまた、「地域アート」の盛り上がりとつながりがあるかもしれません。地方で発行・編集される「ローカルメディア」の作り手たちを取材して一冊にまとめた『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)を2016年5月に上梓した影山裕樹氏もまた、十和田奥入瀬芸術祭をはじめ、各地の芸術祭やアートプロジェクトに編集者として関わってきた一人です。 これら2冊の著者のお二人に加え、福島県いわき市で「UDOK.」というオルタナティブスペースを運営するかたわら、地域に根ざした様々な情報発信に携わっている小松理虔氏をゲストに、「地域

    小松理虔+藤田直哉+影山裕樹:地域アートとローカルメディア 「結局、地方にクリエイティブな発想やスキルがないと、食い物にされるだけなんです。」- DOTPLACE
  • 渋谷のハロウィンは何の夢を見たか――スクランブル交差点から考える/社会学者・南後由和氏インタビュー - SYNODOS

    30年前、東京、渋谷。そこではたくさんの若者たちがファッションに身をつつみ、消費の戯れに興じていました。そして当時、その若者文化を分析するべく、学者たちが難しい言葉を使って都市について語る文化が存在していたのです。 明治大学4年生の私、白石がいままでずっと気になっていた先生方にお話を聞きに行く、短期集中連載『高校生のための教養入門特別編』の第3弾。熱狂するハロウィンについて、私たちは何を考え、何を見出すことができるのでしょうか。社会学者の南後由和先生に、『君の名は。』の都市論的解釈まで聞いてみました。(聞き手・構成/白石圭) ――都市論とはどのような学問なのでしょうか。 都市論とは、日常生活の場であると同時に、文化・芸術・政治・経済などの営みが重層的に展開される場である都市を、様々なアプローチを駆使して通時的、共通的に捉えようとする領域横断的な学問です。僕のような社会学者のほかに文学者や歴

    渋谷のハロウィンは何の夢を見たか――スクランブル交差点から考える/社会学者・南後由和氏インタビュー - SYNODOS
  • Amazon.co.jp: 学術都市アレクサンドリア (講談社学術文庫): 野町啓: 本

    Amazon.co.jp: 学術都市アレクサンドリア (講談社学術文庫): 野町啓: 本
  • なぜいま都市は「デザイン」を必要としているのか:森美術館館長・南條史生

  • いま必要なのは、”ソフトのリノベーション”。寺井元一さん、新野圭二郎さんに聞いた、「まちづくり×不動産×アート」の可能性

    1/11(木)開催|熊県荒尾市で地域メディアの編集者(SNS運用担当者)として働く|グリーンズジョブの60min説明会 partnered with Anbai株式会社 greenz.jpの連載「暮らしの変人」をともにつくりませんか→ いま必要なのは、”ソフトのリノベーション”。寺井元一さん、新野圭二郎さんに聞いた、「まちづくり×不動産×アート」の可能性 2015.08.06 hidaemi hidaemi ここ最近、地域の空き家や空き店舗を活用して、新たな事業やイベントなどを生み出す試みが注目を浴びています。わかりやすい枠組みなので、きっと「自分のまちでもやってみたい」と思う人も多いのではないでしょうか。 とはいえ、まちづくりはさまざまな人が関わるもの。実際に何かを生み出しそれを継続していくにはかなりのエネルギーが必要です。 そこで今回は、数年前から「まちづくり×不動産×アート」の分野

    いま必要なのは、”ソフトのリノベーション”。寺井元一さん、新野圭二郎さんに聞いた、「まちづくり×不動産×アート」の可能性
  • about

    「社会の芸術フォーラム」設立趣意 現在、さまざまな場所でアートと社会との関係性をめぐる議論が提示されています。 地域系アートは地域社会のあり方を、アートを通して、アートにおいて問い返していく試みであり、また、「社会」との接触においてアート自身が変容を迫られる、そうした再帰的な実践であるといえます。というか、そうであるはず、そうでなければならないはずです。アートによって社会の日常に異和をもたらし、日常そのもののあり方を問い返していくとともに、アートそれ自体が社会との関係を「アートであるがゆえに可能である」という自律性を踏まえながら捉え返していく契機。そうしたものが、地域系アート、あるいは特定の地域を舞台としたリレーショナル・アートの眼目であると考えます。いうまでもなく、様々な地域でその実践は「成功」を収め、今では把握しきれないほど数多くの取り組みが、日全国の至るところで行われるようになって

    laislanopira
    laislanopira 2015/05/26
    なぜアートが町おこしや福祉をしなければならないのか、アート以外の分野が手掛けたほうが成功するのではないか、アートが社会とかかわるあり方はこれだけなのか