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科学と思想に関するlaislanopiraのブックマーク (302)

  • 小林秀雄の言う常識www | やねうら王 公式サイト

    大学受験ときに現代文のための勉強として、小林秀雄『考えるヒント』や柄谷行人『隠喩としての建築』などを誰もが読んだと思います。批評家や哲学者というのは、すぐれた思考を出来るはずの人ですが、時として結論を間違えます。 例えば、『考えるヒント』には次のようにあります。 (全知の存在が二人で勝負したら、将棋という遊戯は成立しなくなる、という中谷宇吉郎との対話の後で) ポオの常識は、機械には、物を判断する能力はない、だから機械には将棋は差せぬ、と考へた。(略) (電子計算機の原理や構造についても)ポオの原理で間に合う話だ。(略)ほんの少しでも、あれかこれかを判断し選択しなければならぬ要素が介入して来れば、機械は為すところを知るまい。これは常識である。常識は、計算することと考へることとを混同してはゐない。将棋は、不完全な機械の姿を決して現してはゐない。熟慮断行といふ全く人間的な活動の純粋な型を表してゐ

  • 誤解されるEBM|TAKESAN

    オカーシャによる科学哲学のを読んで気になった所。因果推論について解説している部分です(強調は引用者による)。 医学では通常,RCTが因果関係を見定めるための標準的方法とされている.いわゆる「根拠にもとづく医療」(EBM)運動の支持者にいたっては,RCTだけが治療法の因果的効果の有無を判定できるとさえ唱えている. オカーシャ[著]、直江・廣瀬[訳]『哲学がわかる 科学哲学 新版』(P36)EBMをよく勉強した人が見れば、そんなわけあるかと感ぜられる文でありましょう。この文は、EBMの支持者であってもそういう人がいる、のような表現ではありません。それが代表的あるいは多数の意見である、と読めるものです。一部が唱えているだけであれば、敢えて運動の支持者などと強調する必要は無いからです。 EBM方面において、臨床的証拠の確実さや推奨の程度について評価する、GRADEシステムなるものがあります。 こ

    誤解されるEBM|TAKESAN
  • 矛盾に満ちた実在/科学者としての オッペンハイマー | 科学史家による映画『オッペンハイマー』考 | 伊藤憲二 | WEBみすず

    クリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』は劇場で繰り返し鑑賞するに値する傑作だ。映像と音響による物理学的内容の表現、複数の視点の交差、時間軸を行き来する叙述、主人公の心象の映像化など、『メメント』『インセプション』『インターステラー』『テネット』といった作品でおなじみのノーラン監督の技法にいっそう磨きがかかっている。名優が次々と登場して繰り広げる印象深い場面の数々、多数の伏線が配置された複雑な展開、『ダークナイト』にも増して深刻な問いを投げかける重厚なテーマ。これらが合わさって感覚と理知の両方を刺激し、3時間の長さでも緊迫感が続く。 この映画を観たとき、筆者は不思議な感覚に包まれた。それはまず、物理学史上のさまざまな登場人物がこのように注目を浴びている映画の中に当たり前のように登場していることだ。現代物理学史というマイナーな研究分野にいて人知れず研究しているつもりだったのに、

    矛盾に満ちた実在/科学者としての オッペンハイマー | 科学史家による映画『オッペンハイマー』考 | 伊藤憲二 | WEBみすず
  • 読んで学べる論理学を探しているひとへ――古典命題論理から様相命題論理まで - sho__yamaguchi’s blog

    論理学を基礎から〈テキストを読むこと〉だけで独習しようとするひと――こうしたひとにとって役立つかもしれない講義テキストを置いておく。これは某大学で私が担当している論理学の講義のテキストであり、その授業では安井邦夫『現代論理学』(世界思想社、1991年(新装版2021年))も教科書に指定されている。ただし、以下のテキストは、安井の教科書がなくても読むことができる(他方で、「論理学Ⅰ」のテキストを読み終えた後に、その続きとして安井で述語論理などを学び進めることもできる)。 ちなみに、論理学をまなぼうとするひとの中には《ふつうの散文は却って読みにくく、とりあえず記号を並べてほしい(あとは自分で考えるから)》という方もいると思う。そうした方にとっては、残念ながら、私のテキストは却って読みづらいだろう。なぜなら私のテキストは――最近はこうした言葉づかいがあるらしいが――形式化の背景にある「お気持ち

    読んで学べる論理学を探しているひとへ――古典命題論理から様相命題論理まで - sho__yamaguchi’s blog
  • 「線形代数で何を学ぶのか、何に役立つのか」大学や高専で線形代数を学び始めた人へ送るポスト→「学生時代に読んでみたかった」「意味や繋がりが理解できて初めて面白い」

    三谷 純 Jun MITANI @jmitani 筑波大学 システム情報系 教授('75生)CG/折紙/幾何/プログラミング,一風変わった折り紙の設計,制作をしてます.令和元年度文化文化交流使としてアジア諸国をまわってきました.主に数学と折紙と日常のことについてツイートします.折紙作品の写真をこちらで公開しています instagram.com/mitani.jun/ mitani.cs.tsukuba.ac.jp/ja/ 三谷 純 Jun MITANI @jmitani 理工系の大学生1年生の多くは まずはじめの数学で「線形代数」を学ぶことになると思います。 僕が学生だった頃、 「結局これって何を勉強しているの?」 という疑問がずっと拭えなかった記憶があります。 同じような疑問を持っている学生向けに、線形代数で何を学ぶのか説明する文章を作ってみました pic.twitter.com/1j

    「線形代数で何を学ぶのか、何に役立つのか」大学や高専で線形代数を学び始めた人へ送るポスト→「学生時代に読んでみたかった」「意味や繋がりが理解できて初めて面白い」
  • 量子力学に「観測問題」は存在しない|Masahiro Hotta

    前世紀には観測問題を論じる人が多かったのですが、標準的な量子力学にはそのような観測問題はなかったことが現在では分かっております。例えば以下のように理解されています。 (1)波動関数の収縮について: 量子力学は情報理論の一種であり、波動関数は古典力学の粒子のような実在ではなく、情報の集まりに過ぎません。測定によって対象系の知識が増えることで、対象系の物理量の確率分布の集まりである波動関数も更新されるのが波動関数の収縮です。 「系を観測をすると、その波動関数(または状態ベクトル)は収縮し、その変化はシュレディンガー方程式に従わない」と聞いて、前世紀の「観測問題」に目覚めてしまって、「波動関数とは?収縮とは?」と懊悩してしまっている物理学徒は、まず箱の中の古典的なサイコロの目の確率を考察してみて下さい。 各目の出る確率は1/6で、一様分布でしたが、箱をとってサイコロを観測して3の目が出ていれば、

    量子力学に「観測問題」は存在しない|Masahiro Hotta
  • 科学研究はどこまで信用できるか『あなたの知らない研究グレーの世界』『サイエンス・フィクションズ』

    研究不正について、私の認識が間違っているのかもしれない。もし誤っているのであれば、指摘してほしい。 まず、2つのケースを紹介する。次に、私の判断を述べる。 ケース1 薬剤Xがタンパク質の血中濃度を上昇させるという仮説検証のため、動物実験を行った。薬剤Xの投与で濃度の平均値は増加することが判明したが、統計学的検定ではp=0.06と、有意水準の0.05にわずかに届かなかった。教授に相談したところ、追加実験を行うこと、さらに実験のたびに検定をして、p<0.05を得た時点で実験を終了するよう指示を受けた。 ケース2 疾患Yの重症化因子を調べるため、診療録から収集した疾患Y患者のデータを元に、臨床検査値と生活習慣の関連性を分析したところ、生活習慣Zを有している患者の予後が不良となる結果を得た。そこで「生活習慣Zを有する疾患Y患者は予後不良である」と学会発表した。 私の考えはこうだ。 ケース1は、 「

    科学研究はどこまで信用できるか『あなたの知らない研究グレーの世界』『サイエンス・フィクションズ』
  • 技術倫理学と技術哲学はどう違うのか――金光秀和『技術の倫理への問い』/吉永明弘 - SYNODOS

    2023年末に刊行された金光秀和『技術の倫理への問い』は、技術倫理学と技術哲学の中身とその違いを知る上で非常に有益なである。さらにはこのの論述を通じて、技術(者)倫理と技術倫理学との違いを知ることもできる。 私の専門分野は環境倫理学だが、「環境倫理学とは何か」と聞かれるのと同じくらい、「環境哲学と環境倫理学はどう違うのか」と聞かれることが多い。さらに、「環境倫理と環境倫理「学」はどう違うのか」と聞いてくる人もいる。 環境倫理と環境倫理学の区別は曖昧な場合も多いのだが、基的に、「倫理」が規範(べき)そのものであるのに対して、倫理学は倫理・規範(べき)に関する反省的考察といえる。端的に言えば、倫理学は「学問」である。経済学が経済そのものとは違って経済に関する学問であるのと同じことだ。 経済に強いことと経済学に強いことはまったく別であるのと同様に、倫理をわきまえることと倫理学に精通すること

    技術倫理学と技術哲学はどう違うのか――金光秀和『技術の倫理への問い』/吉永明弘 - SYNODOS
  • 数学は哲学? - Sokratesさんの備忘録ないし雑記帳

    「大学で数学は哲学になる」と主張する人がいる*1.特におもしろくもないし,適切な比喩とも思えないんだが,一部の頭がフワフワしている層や視野の狭い人々,数学を神聖なものに祭りあげたい何とかコミュニケーターなどには受けるらしく,ごくまれに信じている人がいる*2. ただ,実際問題,違いを説明しろと言われるとワリと困る.「リンゴとゾウの違いは何ですか」と聞かれているようなものなので,当然なのだが,「いや,見た目も大きさも全然違うじゃん」と言いたくなる.問題は「リンゴとゾウ」なら一目瞭然なのだが,「学問」は目に見えないので,どちらもわかっていない人には誰かが説明しないと違いがはっきりわからない点にある*3.「リンゴの触り心地はツルツルだし,ゾウも(牙が)ツルツルだから,きっと似たようなものだろう」と言う盲人のようなものである*4. この記事の目的は「数学と哲学の違い」という直観的には明らかだが,ちゃ

    数学は哲学? - Sokratesさんの備忘録ないし雑記帳
  • 美しいと感じるとき|東京藝術大学お嬢様部

    はじめにP. S チャーチランドという哲学者が書いた『脳がつくる倫理』というは、執筆者にとってかなりの衝撃でした。 このは脳の認知研究で倫理の基盤を見ていこうというで、それまで読んできた倫理学のが「カントは~」などの引用と長い論述に支えられていたのとは全く違います。 例を挙げると、「道徳的」とされるものは、それを守るとオキシトシンが分泌されるようなもの、と語られ根拠として実験データが説明されます。 社会的行動はオキシトシンといったホルモンの、つまり私たちの生物学的あり方に基づくというところから倫理を考えるというものです。 科学は決して芸術や人文学に取って代わろうとしているわけではない。とはいえ物事の性に関する哲学的な主張、たとえば道徳的直観のようなものは脆弱であり、科学と哲学、つまり証拠が思弁に勝つべきなのである。 P.S チャーチランド『脳がつくる倫理』序より要は「哲学者なる昔

    美しいと感じるとき|東京藝術大学お嬢様部
  • リベラルとQアノン・陰謀論者の融合は近い という話

    反ワクチン・科学的根拠の無視東大の『人はなぜワクチン反対派になるのか ―コロナ禍におけるワクチンツイートの分析―』(https://research-er.jp/articles/view/130519)から明らかにされているように、「コロナ禍以前からワクチン反対派であった人々は政治への関心が高くリベラル政党とのつながりが強い」という傾向が存在していた。 実際に立憲民主党のあべともこ氏はコロナ禍以前より子宮頸がんワクチン反対運動をして(http://www.abetomoko.jp/data/archives/167 )おり、コロナ禍突入後も同党の原口氏がワクチンに関するデマを発信し続けたり、中島氏からもイベルメクチンの承認薬化を求める質問が出されている(https://cdp-japan.jp/news/20210217_0758)。また「自民党と創価学会USA、ワクチン接種で協力」とさ

    リベラルとQアノン・陰謀論者の融合は近い という話
  • エンタメの恐怖はニセモノなのか『恐怖の正体』(春日武彦著、中公新書)

    ネットで肝試しするなら「蓮コラ」画像が手軽だ。ちょっと検索するだけで簡単にゾワゾワできる。「集合体恐怖症(トライフォビア Trypophobia)」で検索するのもあり。生理的にダメな、見てはいけないものを見ている感覚を味わえる。 あるいは、youtubeで「フライングスーツ flyingsuits」を検索してもいい。ムササビみたいな恰好をして滑空する映像を「一人称で」見ることができる。スカイダイビングとは異なり、切り立った崖から飛び降りるのがスタートだ。だから映像は、飛び降り自殺する人が見ている(見ていた)視点と重なる。 Wingsuit Flight - straight & steep line より 高所恐怖症なら、「Raw Run」で検索しよう。スケボーで長い坂道を延々と滑り降りる映像なのだが、背筋ゾゾゾとなるのを請け合う。乗ってる人はほぼ丸腰で、ヘルメットもしていないのもある。公

    エンタメの恐怖はニセモノなのか『恐怖の正体』(春日武彦著、中公新書)
  • 科学の名著を再読しよう! 『科学革命の構造 新版』 - HONZ

    トマス・クーンという名前を聞いたことがある人は少なくないだろう。『科学革命の構造』 という科学古典の著者だが、ちゃんと読んだ人は意外と多くない。 科学の歴史を見ると、天動説から地動説、またニュートン力学から量子力学へというように、革命的に大きく見方が変わるイベントが何回もある。 今から60年ほど前、マサチューセッツ工科大学の科学史教授の著者は、こうした革命の構造を「パラダイム」と「パラダイム転換」と言う言葉で鮮やかに分析した。 パラダイムとはある時代に当然のことと考えられている認識方法や価値観で、それが劇的に変化するのがパラダイム転換である。 科学者は自然界の観察や実験から知識を積み上げて世界を理解していくが、こうした「通常科学」の時代が長く続いた後、既存のパラダイムではうまく説明できない事象がたくさん見つかり危機的な状況が現れる。 そこで全く新しいパラダイムが提案され「科学革命」が起きる

    科学の名著を再読しよう! 『科学革命の構造 新版』 - HONZ
  • 『遺伝と平等 人生の成り行きは変えられる』刊行記念 翻訳者:青木薫さんに聞く! - HONZ

    青森から、HONZメンバーの青木薫さんが上京されると聞き及んだ。骨太な新刊『遺伝と平等』の翻訳について、日の代表的な書店のひとつ、紀伊國屋書店新宿店にて語り尽くすという(青木薫の推薦フェアは3階人文書コーナーレジ前で開催中 期間はお店に確認してください)。何を隠そう、聞き手は私、HONZ副代表の東えりかである。『フェルマーの最終定理』を始めとるするサイモン・シンの著作は累計122万部だそうだ。2023年度日翻訳家協会賞〈翻訳特別賞〉を受賞したばかりの青木さんに、新刊について、そして、翻訳の極意について、聞いてみた。普段は人前で話す機会が少ないからと遠慮がちだった青木さんだが、聞けば止まらないそのトーク、お届けします。 東 みなさんご存知のように青木さんは科学書の翻訳家として多数のベストセラーを出しておられます。特にサイモン・シンの翻訳では、多くのファンを獲得しました。『フェルマーの

    『遺伝と平等 人生の成り行きは変えられる』刊行記念 翻訳者:青木薫さんに聞く! - HONZ
  • 1833夜 『日本の数学 西洋の数学』 村田全 − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

  • 優生思想と伴走した知能検査(立命館大学総合心理学部教授:サトウタツヤ) #誘惑する心理学|「こころ」のための専門メディア 金子書房

    知能検査は個人を理解し、必要な支援を提供するのに役立ってきました。しかし、知能検査は、そもそもの開発者の意図から離れて使われたという過去もあります。社会にとって、知能検査とはどのようなものだったのでしょうか。学問と社会のあり方を考える一つの視点がそこにあります。今回は、優生思想とともにあった知能検査の歴史、および社会と学問のあり方をテーマに、サトウタツヤ先生にご執筆いただきました。 学問が社会のためになる、ということに反対する人はいないだろう。 役にたつことだけが学問ではないとか、いつか役に立つことを考えれば良いのであって今役立つかどうかだけを考えてはいけない、などという考えもありうるだろう。社会のため、というとき、私たちは社会がまっとうなものだという前提を置いている。しかし、社会がまっとうでないとすればどうだろうか? 社会に役立つということ自体、それほどお気楽に宣言できるものではない。そ

    優生思想と伴走した知能検査(立命館大学総合心理学部教授:サトウタツヤ) #誘惑する心理学|「こころ」のための専門メディア 金子書房
  • 「禅とオートバイ修理技術」をプログラマが読んだ - Software Transactional Memo

    「禅とオートバイ修理技術」これら2つの間にどのように関係があるのかまるで見当が付かず、タイトルだけ聞くとキワモノのようだがWikipediaによるとアメリカでは一番良く売れた哲学書とされている。 海外エンジニアのブログを読み漁っていた時にオススメされていたのでKindleで買って読んだのだが想像以上に良かったのでメモを残したい。と言ってもwikipediaで説明されている内容を改めて説明しても面白くないのでソフトウェアエンジニアとして響いた部分を引用して僕の感じた事を書き連ねていく。 大都市の重工業地帯に一歩でも足を踏み入れてみれば、そこにはその全てが存在している。テクノロジーである。正面には有刺鉄線を施した高い塀が立ちはだかり、門は常に閉ざされ、「立入禁止」の札が掛かっている。そしてその向こうの薄汚れた大気の中には、金属や煉瓦で造られた醜い建物が立っている。その目的は不明であり、またそ

    「禅とオートバイ修理技術」をプログラマが読んだ - Software Transactional Memo
  • 1812夜 『方法への挑戦』 ポール・ファイヤアーベント − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

  • ジューディア・パール『因果推論の科学』を読む:統計を、AIを、そして科学について考える人は、ぜひ一読を! - HONZ

    ジューディア・パール『因果推論の科学』を読む:統計を、AIを、そして科学について考える人は、ぜひ一読を! 英語圏ではすでにして評価の高い、ジューディア・パールの大著『因果推論の科学--「なぜ?」の問いにどう答えるか』(原題はThe Book of Why)が、ついに翻訳刊行された。実は私は原書を読みかけて挫折していたのだが、このたび邦訳が出たのを機に、ついに読み通すことができた。そして、書を読み通したことで得たものは大きい。 ジューディア・パールは、人工知能への確率論的アプローチの導入と、ベイジアンネットワークの開発により世界的名声を確立し、「人工知能分野の巨人」とも呼ばれる人物である。ベイジアンネットワークなんて初めて聞くという人もいるかもしれない。人口知能研究の歴史という観点からざっくりその位置づけを説明すると、かつてAI研究は、「エキスパートシステム」と呼ばれるアプローチを採ってい

    ジューディア・パール『因果推論の科学』を読む:統計を、AIを、そして科学について考える人は、ぜひ一読を! - HONZ
  • 「地政学」そのものを認めない”反地政主義”(造語)派っているよね…「どいつじんのおしごと!」氏(※微妙に違う)のコラムで思い出す。 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    「どいつじんのおしごと!」…じゃねえ、ドイツ人屋さん…でもない、「職業 ドイツ人」ことマライ・メントライン氏の小泉悠紹介が話題になっている。 qjweb.jp そこで、冒頭にこう書かれている。 ……まず、戦後日にて軍事アレルギー的な感性から必要以上に忌み嫌われていた「地政学」の復権がみごとに成された点が重要だ。小泉氏は地政学的な思考を前提に話すし、予備知識がない人にもその必然性と有用性がわかるように説明する能力が高い。 なおそこで、「地政学=ファシズム軍国主義者の学問」みたいな見解をもつ昭和的リベラル言論人への怨念みたいな気配がもし彼にあったら、いろいろ上手くいかなかったと思う。 で、こう言うと「いやオレは! 小泉悠のブレイク以前から! 地政学の重要性をアピールしていたッッ!」と主張する人が絶対出てくるのだけど、それっていわゆるダ・ヴィンチ・コード裁判の問題と同じで、概念の開発というのは

    「地政学」そのものを認めない”反地政主義”(造語)派っているよね…「どいつじんのおしごと!」氏(※微妙に違う)のコラムで思い出す。 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-