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たい焼きに関するlstyのブックマーク (3)

  • 金花糖の歴史について

    金花糖のちょこっと歴史です。 【金花糖・金華糖】についての 古い記述については下記を参考にして下さい! 【名】アルヘイ糖の一種。白砂糖を練って、型に入れて焼き、刷毛(はけ)などで彩色を施し、鯉、鮒 (ふな)、竹の子などの種々の形につくったもの。 * 随筆・守貞謾稿(1837~53)二八「有平は専ら種々の形を手造りにするもの多し。然るに、近年京坂にて鎔製にするものあり。 白砂糖を練り、鎔形を以て焼き、而後に筆刷毛等にて彩を施し鯉、鮒、うど、竹の子、蓮根、其他種々を製す。 真物の如し。 号けて金花糖と云。嘉永に至り江戸にも伝へ製す」 * 改正増補和英語林集成(1886)  「K i n k w a t キ ン ク ヮ ト ウ」 * 銀の匙(1913~15)<中勘助>一三「あっちこっち菓子箱の蓋をあけてみせる。きんか糖、きんぎょく糖、てんもん糖、微塵棒(みぢんぼう)」  [発音] キンカトー

    lsty
    lsty 2009/01/14
    鯛の意匠は金華糖からかも。「近年京坂にて鎔製にするものあり。 白砂糖を練り、鎔形を以て焼き」と守貞漫稿にあるということは、当時から金属製の型があったということか。打ち出しの型だったのかもしれない。
  • アイシン高丘株式会社:鋳物(いもの)の歴史 第3章 1.昭和初期の発展

    lsty
    lsty 2009/01/14
    江戸末期から明治初年にかけて鋳造技術が発達し、コストも下がったことから菓子製造への採用が盛んになったのではないか。一匹焼きのたい焼き器があるというのは、同じパターンの繰り返し技術がなかった頃の名残か。
  • 二重焼き、大判焼きに関連した歴史年表

    国内で砂糖づくりがはじまったのは、江戸時代、八代将軍吉宗が琉球(沖縄)からサトウキビをとりよせ、江戸城内で試験的に栽培をはじめたのが始まりとされています。

    lsty
    lsty 2009/01/14
    たい焼きより紅葉饅頭の方が歴史は古い。たしか初期の今川焼きはセルクルのようなもので焼いていたはずだから、その後鋳物の技術発達につれていろいろな形が作られたのだろう。しかしなぜ鯛なのかとは思う。
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