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差別と文化に関するpon-zooのブックマーク (4)

  • 米議会乱入、暴徒のタトゥーや旗は何を意味するのか

    1月6日、トランプ支持者が米議会議事堂の前に組み立てた絞首台。暴力と白人至上主義のシンボルのなかには、誰が見てもそうとわかるものもあれば、一般の人には意味が通じないものもある。(PHOTOGRAPH BY SHAY HORSE, NURPHOTO/GETTY IMAGES) 2021年1月6日、米連邦議会議事堂へ乱入した暴徒たちは、さまざまなシンボルを携えていた。 その中には、テレビでこの異様な光景を見ていた人々にも一目で意味がわかるシンボルもあった。赤地に青いX印、その中に白い星が並ぶ旗は、南北戦争時代に奴隷制維持を支持して合衆国からの独立を図った南部連合の旗で、今も奴隷制や白人至上主義の象徴になっている。絞首台と首のしめ縄も同様に、人種隔離政策であるジム・クロウ法時代の黒人リンチや、西部開拓時代の無法地帯を思い起こさせる。(参考記事:「リンチ殺人が横行した米国、暗黒の歴史」) だがその

    米議会乱入、暴徒のタトゥーや旗は何を意味するのか
  • アリアナ・グランデのタトゥ「七輪」は文化の盗用か? - wezzy|ウェジー

    アリアナ・グランデが自身のヒット曲『7 Rings(七つの指輪)』にちなんで手のひらの指の付け根に漢字で「七輪」とタトゥを入れた。このタトゥが大論争を引き起こし、大の親日家であるアリアナが「もう日語の勉強を止める」と発言するまでに至った。経緯とその論点をまとめていく。 アリアナは1月29日に「七輪」のタトゥを入れ、インスタグラムにアップ。途端に「それは7つの指輪じゃなくて、日の焼肉グリルだ」と言うコメントが飛んだ。間違いを知ったアリアナは翌日、「七輪」に「指」「♡」のタトゥを追加して写真をアップしたところ、これがさらに「意味を為してない」と批判された。 日では1月29日にアリアナ・グランデJP公式ツイッター・アカウント(@ariana_japan)が以下のツイートを行った。 【Instagramより】 アリアナがまた日語のタトゥーを追加!今度はなんと漢字で「七輪」😳 「みんなこれ

    アリアナ・グランデのタトゥ「七輪」は文化の盗用か? - wezzy|ウェジー
    pon-zoo
    pon-zoo 2019/02/15
    白人が真似ると「カッコイイ」と言われるのに日本人がおにぎりを持っていくと「気持ち悪い」と言われる。これ分かりやすい。文化そのものではなく自分達がピックアップしたものに(することで)しか価値を認めてない
  • 「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治/亀井伸孝 - SYNODOS

    文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治 亀井伸孝 文化人類学、アフリカ地域研究 社会 #アパルトヘイト#曽野綾子 ・曽野綾子氏の産経新聞コラムには、第一の誤謬「人種主義」と、第二の誤謬「文化による隔離」の二つの問題点がある。 ・現状において、より危険なのは、第二の誤謬の方である。 ・文化人類学は、かつて南アフリカのアパルトヘイト成立に加担した過去がある。 ・アパルトヘイト体制下で、黒人の母語使用を奨励する隔離教育が行われたこともある。 ・「同化」を強要しないスタンスが、「隔離」という別の差別を生む温床になってきた。 ・「異なりつつも、確かにつながり続ける社会」を展望したい。そのために変わるべきは、主流社会の側である。 2015年2月11日の『産経新聞』朝刊に、曽野綾子氏によるコラム「透明な歳月の光:労働力不足と移民」が掲載された。 「外国人を理解するために、

    「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治/亀井伸孝 - SYNODOS
    pon-zoo
    pon-zoo 2015/02/25
    差別に関する英知の蓄積がよく分かる。第一の「僅かな事例を人種に結びつける悪意」は偏見を煽る基本で反差別教育の基本なのだが、荻上チキ氏が指摘しても全く意に介さない曽野氏が元教育再生会議委員とは。
  • asahi.com:高度な近世アイヌ農耕 遺跡から畝や鉄製農具 - 文化一般 - 文化・芸能

    高度な近世アイヌ農耕 遺跡から畝や鉄製農具 2008年01月22日10時28分 ヒグマ狩りやサケ漁などのイメージから、「狩猟・漁労の民」と見られることが多いアイヌの人々。そんな彼らが、近世以前にかなり高いレベルで農耕を営んでいたことが最近の研究で明らかになってきた。江戸時代の文献などに「畝(うね)も作らず、放置したままの粗雑な農業」と記された姿は、実は現地を支配していた松前藩などによって抑圧された結果である可能性が高いという。 研究をまとめたのは、北海道開拓記念館の山田悟郎・学芸部長。 サケや昆布を採り、それらを交易することで、米や漆器、刀、鉄鍋などを手に入れる――。私たちが考えているような、いわゆる「アイヌ文化」は、13世紀末(鎌倉時代後期)に生まれたと考えられている。 母体となったのは、ほぼ同じ地域に広がっていた「擦文(さつもん)文化」(7〜13世紀)だ。表面にハケ目のある土器を使うの

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