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ギロン議論に関するtakoponsのブックマーク (76)

  • 「で、みちアキはどうするの?」 - ちょっと良かった本

    だまされない〈議論力〉 (講談社現代新書) 作者: 吉岡友治出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/08/18メディア: 新書購入: 4人 クリック: 65回この商品を含むブログ (36件) を見る 先週買ったやつ。少しでもモノ書くコトが上手になりたい、という気持ちがあるのでこの手のは比較的買うのですが。もちろん、議論とはそもそも何か、みたいな基的なことも解りやすく書かれてますが、いやまたそのパターンかよ、というのが出てきたときの対処法が具体的にいろいろ書かれててよかった。 自分にとってとくに参考になりそうだったのは、相対主義を持ち出されたときの打破の仕方と、なぜころ問答の弁証法的?解決、ですね。なぜころの方は、TVの討論番組での若い人の発言に対してノーベル賞作家があれこれ言った、って例の件が取り上げられてて(そしてその作家の論が「議論として欠陥がある」とバッサリ切り捨てられてて

    「で、みちアキはどうするの?」 - ちょっと良かった本
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    takopons 2006/09/02
    だます議論が少なくない(≒多い)から、このテの本が必要なのかも。
  • スペースアルク:英辞郎検索結果

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    takopons 2006/08/28
    議論のアンチ・パターン:red herring=議論に関係ない話題を持ち出すこと。
  • 続々:重いコンダラ - takoponsの意味

    前記事 takoponsの意味 - 重いコンダラ takoponsの意味 - 続:重いコンダラ id:rag_enさんへのお返事 質問文に質問で返すとテスト0点になるのは知っていますが、そのように考えなくても良い理由を、よかったら教えてください。 「トップページ=家の玄関/個別ページ=各部屋」と考えなくても良い理由――考えないほうが良い理由は、Webサイトをホームページと称していることが問題であり、「ホーム=家」と連想させてしまっているのが誤解の元だと考えているからです。 実際、Webサイトを表すアイコンに、家の絵(シンボル・マーク:)が使われていることも誤解に拍車をかけている要因だと思います。 ホームページは自分の家なのか? それで、開設したWebサイトを「自分の家」だとカンチガイして、家なのだから玄関(トップページ)から入るべきだ、との現実感覚そのままに持ち込んだ結果、「個別ページ(P

    続々:重いコンダラ - takoponsの意味
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    takopons 2006/07/29
    Webサイトは家か?本か?で議論中。/(追記)遣り取りに疲れました、すみません、終了とさせてください。
  • ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その3: ラオスー

    前回のお話 ↓ ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その2 ■ネッタとマージの兄弟げんか ネチケット墓地群のかわいそうなお坊さんたちのお寺を後にしたコポンチたちは、次の目的地である正論港を目指して出発しました。しばらく歩いていくと、道の途中で2人の男が何やらもめているようです。コポンチたち(主にコポンチ)は気になって、思わず近寄ってしまいました。 男たちはコポンチたちに気づく風も無く口論をしています。 「だから、いくら兄弟だからって、死ねばいいのになんて滅多に言うもんじゃないよと言ってるんだよ。何でお前はいつも話をはぐらかすんだネッタ?」 「マージ、ネタにマジレスするなんてマジでかっこ悪いぜ。兄弟なんだからよ、そんなちいせえこと気にすんなよ」 「何回も言わせるなネッタ。俺が言ってるのは、たとえ冗談でも人に向かって死ねというようなことは言うなと

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    takopons 2006/05/21
    正論の奴隷って、クリリンのことかー!
  • http://yuki19762.exblog.jp/4476674/

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    takopons 2006/04/28
    批判する側の冷静さを高めるための1つの道具として黒木ルールは使えるかもしれない。 が、冷却しすぎて冷めてしまったら議論する気も失せるだろう。 意見を抑圧しすぎるのも良くないなあ、と思った。
  • 議論とケンカ

    WEB上で他人を批判するコトは自由だと思うし、それが議論に発展するのも大いに結構・・・ってのは以前にもちょっと書いたコトがあるんですけども。しかし、批判する側が批判される側に対して議論を望んでも、批判される側は議論に応じる義務は無いワケです、コレが。従って片方が議論を望む場合は、相手を議論の土俵の上に引っ張り出すタクティクスが必要となります。・・・なんてコトをここんとこ盛り上がっている(?)えっけんさんのブログを見て思ったんですが。 批判するのは簡単か?(ekken♂) (コメント欄に注目) 最初からえっけんさんには議論する気が無いのに対し、はむはむさんが「はぐらかすなよえっけん!」みたいなカンジで叫び続けている図になってしまっているのですが、まあどう見ても「議論」と呼べるものではないし、生産的なものにもなっていないように見えます。はむはむさんの目的が「えっけんさんに自身の間違いを認めさせ

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    takopons 2006/04/19
    議論もケンカも、ひとりぢゃできない。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    takopons 2006/04/01
    意見と感想、思考と感情。
  • 「嫌な人は見ないでください」 - TETRIS 3

    ウェブで公開されている文章で「嫌な人は見ないでください」というフレーズをたまに見かける。 この一文は、文章を「嫌」だと感じる人に対する親切な警告ではない。 書き手の想定する「嫌な人」とは、文章に対し否定的な意見を持つ人間である。書き手が「肯定されることを望む」場合、そのような人間からの意見を書き手は「否定的でネガティブな意見」として受け取り、そのような意見を目にしないことを望む。 このため、書き手は「嫌な人」に対しあらかじめ警告を行い、「嫌な意見」をシャットアウトすることを試みる。 実際に警告を無視し、ネガティブな意見を書き込むものに対してはこのようなレスポンスを返す。 「嫌な人は見ないでくださいと警告したはずです。」 「嫌な人は見ないでください」とは、反論や批判をシャットアウトするためのレトリックである。 このような前置きを置いてしまうのは、反論、批判が「嫌」という感情的な反応であるとし

    「嫌な人は見ないでください」 - TETRIS 3
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    takopons 2006/03/23
    正確に、「あたしにとって嫌な人は来ないでください。」 「異論・反論はイヤだから見ないでください、意見しないでください。」と、ホンネを書けばいいのかな?
  • 感情論の否定について - 妄想科學倶樂部

    私は理想論として「感情ではなく理性に基づいて判断が下されるべきだ」と考えているので、基的に感情面については一切考慮していない。無論、感情に基づく反応というものがあると言うことを否定はしないし、感情的であることが「悪」だとは言わない。が、私は自らの立場を理論面に置くし、またその立場から時に感情論を「理論的でない」という理由で批判することがある。 感情論は悪ではないが、理論的に見て「望ましくない」。何故なら、感情は正確に「共有」されないからだ。特に、善悪のような判断を行なう場合、感情に基づき判断するのは非常に危険なことだ。 ある事柄について「悪い」と断じる場合、その理由が感情に根ざしたものであるならば、その感情を共有できない他人は同じく自身の感情を理由にその言説を否定することができる。感情は根的なレベルで共有できない*1ので、「自分はこう感じる」以上の言とはなり得ず、よって全ての感情論は等

    感情論の否定について - 妄想科學倶樂部
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    takopons 2006/03/21
    感情という暴れ馬をいかに乗りこなせるか? 感情を否定するのではなく、うまくコントロールできたらいいに。
  • ノンテリブロガーの主張: あんたジャージでどこ行くの

    ・論壇系ブロガー、インテリブロガー、そのほとんどが嫌いだ。 ・何が嫌いって ・彼らもポカをする。感情的に、ヘンテコなことを書いてしまったりする。 ・それにツッコミが入った時の、奴らの言い分が嫌いなのだった。 ・「そんなことは書いていません」、「誤読だ」、「よく読め」 ・気でそう思っているのであれば、彼らのコミュニケーション能力に欠陥があるのだと思う。 ・しかし、彼らは多分、心では「やっちゃったかな」とか「書きすぎたかな」、「誤解を受けるような事書いたな」とか思ってるんだよ。 ・でも、インテリ故にそれを認めない。 ・「そんなことは書いていません!よく読んでから反論してね!」である。 ・僕は知識もないノンテリブロガーなので、そういう時はごまかしてしまう。 ・「そういう意味じゃなかったんだけど、ごめんなさい、エヘヘ」と。 ・謝らないインテリってのは、アホにとって一番恐く、始末に負えない存在な

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    takopons 2006/03/18
    教養とは何か? 小さなプライドにしがみついてることを見抜かれてしまうのを恐れて、それで自分の間違いを認めない、というのは教養ではない。(←二重否定を使いました、すみません。謝罪して訂正しません。)
  • 哲学の初歩:事実から当為は導出できない

    何故人を殺してはならないか、への答えらしきもの(id:ululun さん) これなんですがね、「何故、人を殺してはならないか、何故自殺してはならないか」を倫理を入れずに答えよという命題に無理がある。哲学の初歩的な知識として、「事実を積み重ねても当為命題は導かれない」というものがあります。つまり、いくら事例を集めても、「**が正しい」という結論は得られない、ということ。 id:ululun さんの結論は人は誰かを殺してもならないし、自殺をしてもならない。何故なら殺した人以上の存在を産み出す事は出来ないから。なのだけれど、「殺した人以上の存在を生み出すことができない」ことと、「だから人を殺してはいけない」という主張の間には飛躍があることに気付いてほしい。「どんどん世界から価値あるものを減らしていって、何がいけないの? 別にいいじゃん」という主張を倫理的に否定していればこそ、そのような結論が導か

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    takopons 2006/03/11
    倫理とか哲学とか。
  • 忘れられた町クレドより愛を込めて やさしさはあまくないほうがいい、ほら「あまくとろける」って言うじゃなあーい?

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    忘れられた町クレドより愛を込めて やさしさはあまくないほうがいい、ほら「あまくとろける」って言うじゃなあーい?
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    takopons 2006/01/28
    「いい人」論
  • http://blog.livedoor.jp/oreshijou/archives/50347333.html

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    takopons 2006/01/03
    のタネ? 議論のネタさえあれば反射的に喰いつくヤツら、ってのはいるよ。 でも、すぐに飽きるから安心してね。
  • 『ブログ上の議論が不毛な結果に終わりがちな理由: 啓蒙かまとと新聞』へのコメント

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    『ブログ上の議論が不毛な結果に終わりがちな理由: 啓蒙かまとと新聞』へのコメント
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    takopons 2005/12/30
    共感と反感から生じるエネルギーは軽視できない。 しかし、好き嫌いの感情が人の心を支配している間は、人類に進化はないだろう。 でもやっぱり好きなのキライなの♪
  • takoponsの意味 不毛な議論とは?

    議論を有益なモノに近づけるためには、反面教師である「アンチ・パターン」を知っておくと便利。 ただし、相手のやり方がアンチ・パターンだと分かった場合、安易に「それはアンチ・パターンだ!」と指摘するのもアンチ・パターンとなる恐れがあるので要注意。 実にシンプル。相手を或いは誰かを罵倒すれば良いのです。「アホ」「馬鹿」等がティピカルですね。 知性の低そうな文章の書き方 議論の場だけでなく、気軽な会話においても、相手に対して「アホ・バカ・死ね」等の発言をした時点で発言者の知性が問われる。 確かにその通りだろう。 しかし、相手の言動に明らかに問題があり、バカとしか言いようのない場合は、率直に「あんたはバカだ。」と言ってあげたほうが良いような気もする。 まあ、それを言ったところで問題は解決しないのだが。 いや、解決どころか、逆に、火に油を注ぐだけになるかもしれない。 真実は、人の心を傷つける。 この人

    takoponsの意味 不毛な議論とは?
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    takopons 2005/10/22
    詭弁を詭弁と見抜けない人に対して詭弁は有効な手法なので、詭弁のガイドラインは詭弁者には不利益かと。
  • 知性の低そうな文章の書き方

    こんにちは。のぶたんです。platanusから改名しました。 インターネットが普及し、それにつれて日のインターネット人口も増加の一途を辿っています。すると当然色んな人がネットをするようになるわけです。皆さんも一度くらいはネットで見掛けた人物に「コイツ頭悪ィなぁ」って感じたことありませんか? BBS、チャット、webページ…。あらゆる場所で垂れ流される大量のテキストの中からでも一際光るその特殊な知性。それは果たして何なのか?その正体を突き止め、分析するのが今回のコンセプトです。嘘です。 知的レベルの低い方も、真のインテリゲンツィアにも御一読をお勧めします。前者にはより高みを、じゃなくて低みを目指して戴きたいです。そして後者には、「低い」人間と会話する時のコツを掴んで戴きたいです(多くの場合、平均と同じように対応すると何らかの障害が発生する為)。 では、逝きましょう。 1:罵倒用語を

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    takopons 2005/10/17
    ぢゃないよ、コレは。アンチ・パターンですね。
  • 砂上のバラック - 今も昔も会話の成立しない人最強

    めんどくさいから端的に書いちゃうけど、この人の態度、言動はおかしいぞ、というのがあからさまに見て取れるようだったら、対等に話をできない相手だと見なしてそれ相応に扱うのが一番楽でいいんじゃないかと思います。ネットの世界では判断材料が限られていて、しかもその大部分が文字情報だからか、どうにも過剰に「議論」(そして往々にしてそれは言論ゲームに過ぎなかったりする)が大事だとされてしまっているのだけれど、最低限のレベルでそれが成立しない相手というのはいくらでもいるわけであって、そんな人たちを相手に理論立ててどこがどう変かを説明しようと試みるのはたいていの場合ただの徒労に終わります。 こういう態度は「ちゃんと説明できないから逃げている」などと言われることもありますが、この物言いからしてすでに一つの言論ゲームテクニックでしかないので、気にする必要はありません。気になるのなら一応説明して終わらせるのがいい

    砂上のバラック - 今も昔も会話の成立しない人最強
  • WEBでの議論は成立しにくい?

    クリップしそびれて、どこにかかれてたか完璧に忘れちゃったんですが、 「Web(インターネット)というのは議論には向いていない」 ということが、確か複数のブログで書かれていた記憶があります。 その原因として、いろいろかかれていた記憶があるのですが…何しろ元記事の場所忘れちゃったんで…この件については深入りせずに…。 で、それを読んで思ったのが、 「私は逆にWebじゃないと議論できないかも…」ということ。 一番の理由が、顔をあわせての議論って、 「即時性」がかなりの重さを持っていると思うんですよ。 「メラビアンの法則」を信じるつもりはさらさらありませんが、(*1) こと「議論」となると、その内容以外の部分が結構大きなウェイトをしめるような気がして…。 それが声の大きさとか、何より、切り返しの速さだと思うんですよ。 その内容の信憑性とかより、反論に対する切り返しがどれだけスムーズに行えたかが顔を

  • すちゃらかな日常:ファンクラブ志向と議論志向

    SNSとブログのちがいは何か? mixiに代表されるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、「あいづちコミュニケーション」の世界だ。趣味や職業、価値観が同じ人たちがコミュニティに集い、「うんうん、そうだよね」と他人にあいづちを打つ。一方、ブログの性格はトラックバックが象徴している。ブログは自分の意見を表明し、トラバを使って「あなたはどう思いますか?」と問いかけるのに向いている。つまり議論志向である。 まずmixiとブログを機能のちがいで分析してみよう。 mixiでは「プロフィール」がとても重要な意味をもつ。プロフィール欄には「趣味」、「職業」、「自己紹介」、「好きな映画」、「好きなスポーツ」、「好きな音楽」などの細かいカテゴリーがある。で、ユーザはそれぞれのカテゴリーに自分の嗜好をくわしく書き込む。 ユーザはプロフィール欄で「自分はこんな人間です」とキャラクターを明かし、自分の

    すちゃらかな日常:ファンクラブ志向と議論志向
  • たたかうということを考えてみたり - 日々是好日?かささぎなくらし

    おはようございます (うさと) 2005-09-22 08:36:53 かささぎさん、おはようございます。当地の今日は冷たい雨です。 「たたかうコトバ」もしくは「コトバでたたかう」 貴記事、読ませていただきました。 私は、自ブログの中で、よく「たたかう」と書きます そうすると、「たたかうのは賛成できません」というようなコメントをいただきます。 私は申し訳ないけれど、そのコメントに、少し違和感を持ちます。「たたかう」というのに、当に敵が要るんでしょうか。「たたかう」ということはそんなにもギスギスぴりぴりしたものなのでしょうか。私にとって、「たたかい」は尊いものです。それはいつも自分に向かっているからです。その場で相手があるように見えて、当は、目に見える相手など、仮想敵に過ぎません。「真実の戦い」はいつも自分に向かっています。 >イノチによってイノチでたたかう イノチをたたかわす >カタチ

    たたかうということを考えてみたり - 日々是好日?かささぎなくらし
    takopons
    takopons 2005/09/22
    はじめに言葉があった、言葉は神とともにあった。