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中国と考古学に関するtimetrainのブックマーク (6)

  • 三星堆にまつわる幾多の謎、解明はどこまで進んだのか

    この写真にはショッキングな表現、または18歳以上の年齢制限の対象となる内容が含まれます。 ご覧になる場合にはご了承の上、クリックしてください。 【3月26日 Xinhua News】中国国家文物局が20日に発表した四川省(Sichuan)広漢市(Guanghan)の三星堆(さんせいたい、Sanxingdui)遺跡での新発見は、人々の目を再びこの神秘の地へ向けた。 1986年に1号祭祀(さいし)坑と2号祭祀坑が相次ぎ発見されて以来、三星堆に関する議論はやむことがない。祭祀坑から出土した大量の神秘的な文化財は、さらに人々の臆測を呼んだ。三星堆に関する伝説は多々あり、中には荒唐無稽と思われるものもあるが、ひとまず専門家の意見を聞いてみよう。 ▽伝説その一:三星堆は異星人の文明なのか 巨大な耳、前方に大きく突き出た目、耳のつけ根まである大きな口…。ネットユーザーの中には、三星堆が異星人の文明であり

    三星堆にまつわる幾多の謎、解明はどこまで進んだのか
    timetrain
    timetrain 2022/02/20
    ほんとこれのデザイン好き
  • ロンドンの古代遺跡から“中国人”の骨が出土! 古代ローマ世界の通説を覆す発見に衝撃広がる (2016年10月4日) - エキサイトニュース

    ロンドンにあるローマ時代の墓地から、22体の人骨が発掘された。それらを分析したところ、その中の2体の骨は何と中国人らしい。マルコポーロがアジア文化を初めて西欧に持ち込んだといわれていたが、この発見によれば、それよりもはるか1000年も前に古代ローマには中国人が住んでいたことを示しているのだ。 【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2016/10/post_11081.html】 ■古代ローマ帝国と漢王朝 古代ローマ帝国と漢王朝は8000キロ以上離れた場所に存在していたが、共に強力な古代帝国であった。エジプトを制圧したローマの征服者は、中国との交易が盛んな様子を目の当たりにした。その後も漢王朝は、かの有名なシルクロードを使い、絹、スパイス、その他の贅沢品を西洋に送り、裕福なローマ人たちを喜ばせていた。 ローマ人にとってその時代の中国は東に位置する神秘的な文明、かつ競争相手

    ロンドンの古代遺跡から“中国人”の骨が出土! 古代ローマ世界の通説を覆す発見に衝撃広がる (2016年10月4日) - エキサイトニュース
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    timetrain 2021/03/08
    マルクス・アウレリウス・アントニウスの使節が後漢に来てたって言うしなあ/訂正、どうも使節とは詐称の可能性があるらしい。でも甘英はシリアまで来てたというから十分ありかな
  • 考古学における画期的発見、吉備真備直筆の書が北京で公開_中国国際放送局

    の遣唐使で、奈良時代の高級官僚である吉備真備(きびのまきび、695-775)の筆跡とされる書が25日、北京で公開されました。北京にある「文物出版社」と筆跡の書かれた墓誌を収集した「望野博物館」(深セン)が共同主催した記者会見で発表しました。 発表会の様子 ■日人直筆の「日国」としては最古の書 筆跡は734年(唐玄宗皇帝、開元22年)6月、52歳で洛陽で逝去した官僚で、外国からの留学生や使節の接待などをつかさどった役所である「鴻臚寺」の丞(現代でいう「秘書長」)を勤めた李訓の墓誌に残されています。328文字の墓誌の落款には、「日国朝臣備」の文字がくっきりと読み取れます。古代日人の直筆による「日国」の文字としては、最古の記録とされています。また、遣唐使ゆかりの遺物の中では、吉備真備が最も高い官職の人物であったと見られています。 望野博物館・閻焔館長 2013年、深センにある民間博

    timetrain
    timetrain 2019/12/26
    顔真卿が26歳の頃、と言われると、吉備真備が当時の最高峰の一角だったのかと思ってしまう。すげえ
  • 中国の唐の時代の墓誌 日本から渡った吉備真備が書いたものか | NHKニュース

    中国で発見された唐の時代の官僚の墓石に刻まれた墓誌が、当時、唐に渡っていた吉備真備によって書かれたとみられることが分かりました。専門家は、吉備真備が書いた文字は日国内でも見つかっていないとして、貴重な発見だと注目しています。 25日、北京で公開されたのは、中国の唐の時代の官僚で、遣唐使など外国からの使節の受け入れを担っていた李訓という人物の墓石に刻まれていた328文字の墓誌です。 墓誌は、6年前に河南省洛陽で見つかり、李訓の生前の経歴などが記されていて、文章の最後に「日国朝臣備書」と刻まれていました。墓誌を発見した広東省深※センにある博物館の閻焔館長によりますと、日の「朝臣備」という人物が書いたことを意味し、文字が書かれた年代から、「朝臣備」は遣唐使とともに留学生として唐に渡っていた吉備真備を指すとみられるということです。 吉備真備は、奈良時代に2度にわたって唐に渡り、当時の中国の政

    中国の唐の時代の墓誌 日本から渡った吉備真備が書いたものか | NHKニュース
    timetrain
    timetrain 2019/12/26
    とんでもない大発見なんだけど、これを安倍総理の訪中まで伏せカードにしてたのか。習近平さんのお父さんが唐代の書籍研究か何かをしてて、以前日本から関係古書を習近平さんに送っていたはず。その礼か。
  • 壁に竹林の七賢図、昭明太子の墓か 異例の規模に脚光:朝日新聞デジタル

    中国江蘇省南京市で、墓室の壁に絵が描かれた大型の壁画墓がみつかり、南北朝時代の南朝、梁(りょう、502~557年)の皇太子、昭明太子(しょうめいたいし、蕭統〈しょうとう〉、501~531)の墓の可能性が高いことが分かった。昭明太子は、日の平安文学などにも影響を及ぼした詩文集「文選(もんぜん)」の編纂(へんさん)者として知られる。中国で皇帝陵クラスの墓が発掘調査されるのは異例で、日中の研究者は注目している。 調査を指導した南京大学歴史学院の張学鋒教授(考古学)によれば、南京市博物館考古部(現南京市考古研究所)が2013年1~6月、南京市北東部で発掘調査。れんがを積み重ねた大型墓2基(南京獅子沖南朝大墓)が出土した。東側の1号墓の墓室は全長14・2メートル、幅6・4メートル。西側の2号墓は全長15・2メートル、幅6・48メートル。いずれの墓も大きく破壊されていたが、その規模は南朝のほかの皇帝

    壁に竹林の七賢図、昭明太子の墓か 異例の規模に脚光:朝日新聞デジタル
    timetrain
    timetrain 2018/02/23
    太子の墓というのは概ねわかっていたけど、壁画がいい状態で出てきたからニュースになってるのかな??美しい。
  • 三星堆遺跡 - Wikipedia

    三星堆遺跡(さんせいたいいせき)は、長江文明に属する古代中国の遺跡の一つである。1986年に中国の四川省徳陽市広漢県の三星堆で発見された。 概要[編集] 紀元前2000年頃もしくはそれ以前と考えられる極めて古い時代に属する三星堆遺跡とその文化は、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀文化のものである[1]。三星堆遺跡自体は、1929年の春に当地の農民が溝を掘っていた際に玉器を見つけたことで、1931年にイギリス人牧師であるVyvyan Henry Donnithorneによって発見されていた[1]。しかし、長く格的な発掘はなされず、1980 - 1981年に、初めて四川省文物委員会等により格的な発掘調査が行われて、大規模な住居跡が発見された。以後、発掘が継続して行われ、1985年10月までに、東・西城壁跡が発見されて、遺跡が古蜀王国の都城跡と見られるようになった。さらに、19

    三星堆遺跡 - Wikipedia
    timetrain
    timetrain 2015/01/30
    何これ、もんのすごくわくわくさせられる仮面!三千から五千ってやっぱり中華文明半端ない
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