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地理と大阪に関するtimetrainのブックマーク (3)

  • 地味に読めない大阪の地名を巡りました

    自由律俳句と路上観察をしています。大阪在住。私家版の自由律俳句集『麦わら帽子が似合わない』『ブルマ追いかけて八位』『待ち受け画像がちらし寿司』も販売しています。 前の記事:滑り台の多様な進化を集めました > 個人サイト note 1、守口市金田町 まずは金田町から。 金田町は守口市の中でも寝屋川市寄りで、守口ジャガータウンという商業施設が近くにあります。 それでは、読みが書いてあるところを探していきたいと思います。 ただうろうろするのも何なので、見つかるまでは道中で気になったものも紹介していきます。 では、スタート。 守口門真子ども音頭の看板。 逆に作曲者が誰か気になる。 守口の忍者掲示板が真っ白。 やっぱり忍者じゃないと読めないのでしょうか。 田舎の米が売ってました。 「田舎の米」という品種なのか、ガチで店主の田舎の米なのかは不明。 装飾テントを避けるポール。 優しい。 お、公園に地図が

    地味に読めない大阪の地名を巡りました
    timetrain
    timetrain 2020/09/09
    大阪人なのに全滅しましたorz
  • 「難波」ラブホ街は、いかにして「ファッションストリート」になったのか<ラブホテルの地理学> « ハーバー・ビジネス・オンライン

    ラブホテル街はどこにできるのか――。 連載では、「部屋数」や「料金」などの視点から、大阪市のラブホ街について考察してきた。今回は、「歴史」という切り口でラブホ街を見てみたい。舞台となるのは、大阪で、そして西日最大のラブホ街《難波》である。性と歓楽の街は、どのような場所の系譜を経て現在に至ったのだろうか。 日にラブホ街ができ始めるのは第二次世界大戦後のことである。しかし、性の街としての《難波》の歴史は江戸時代にさかのぼる。近世の大坂には、「大坂四花街」と呼ばれる花街があった。その1つが、現在のミナミ周辺に存在した「南地(なんち)」である。南地は、さらに細かく宗右衛門町、櫓町、坂町、九郎衛門町、難波新地という5つの花街に分かれ、「南地五花街」と総称された。このうちの九郎衛門町と難波新地が、現在ラブホテルが密集しているエリアと重なる。 1912年、難波新地で「ミナミの大火」と呼ばれる火事が

    「難波」ラブホ街は、いかにして「ファッションストリート」になったのか<ラブホテルの地理学> « ハーバー・ビジネス・オンライン
    timetrain
    timetrain 2020/04/10
    なるほど、こんな風に変遷していってああなったのか
  • 道修町・立売堀・喜連瓜破...大阪の難読地名、いくつ読めますか?

    あなたはいくつ読めますか?

    道修町・立売堀・喜連瓜破...大阪の難読地名、いくつ読めますか?
    timetrain
    timetrain 2015/06/02
    「交野」「郡津」も追加で(by京阪民)
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