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日本会議と戦争に関するtimetrainのブックマーク (2)

  • 第2次世界大戦の英雄と、日本の過去との向き合い方 - BBCニュース

    小野田少尉は1974年3月9日、やっと自らの剣を引き渡した。29年間、フィリピンのジャングルで持ちこたえた。日に帰国後のインタビューや手記では、日が降伏したことを受け入れられなかったと述べた。 部外者には小野田は狂信者に見えた。しかし帝国時代の日では、彼の行動は完全に理にかなっていた。小野田は決して投降せず、天皇のために死ぬと誓っていた。女性を含めた他の国民も全員、同じ事をするはずだと彼は信じていた。 だがもちろん、そんなことはなかった。1945年8月15日、日の最高神である裕仁天皇は、天皇として前例がなかったことをした。ラジオに現れたのだ。原子爆弾が広島と長崎を破壊していた。2つ目の原爆が投下された日、ヨシフ・スターリンが日に宣戦布告した。ソビエト連邦軍はすでに、満州を席巻していた。数週間以内に、ソ連軍は北海道に上陸するとみられた。裕仁はアメリカへの降伏が最善の選択だと受け入れ

    第2次世界大戦の英雄と、日本の過去との向き合い方 - BBCニュース
    timetrain
    timetrain 2020/08/17
    小野田氏が晩年に日本会議に属していたことを知らなかった。そのことを教えてくれただけでも記事に感謝する。やはりあれは亡霊の集合体だ
  • 日本会議のインパール作戦の記述に牟田口廉也中将がツッコム

    会議 誇りある国づくりへ 草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN 私たち地方議員は、かつて幕末の坂龍馬らが幕藩体制を倒幕した草莽の志士のごとく、地方議会から「誇りある国づくり」を提唱し、日を変革する行動者たらんことを期す。(平成17年5月30日~) 1944年-インパール作戦が始まる (中略) こうした酸鼻な敗戦だから、作戦を指導した牟田口中将は戦後あらゆる罵声を浴びせられた。負ければ賊軍は世の習いである。然し、幾らそんな評価をしても失われた生命は帰ってこない。 寧ろ戦争を知らない世代を生きる我々は、歴史を評価するのでなく「何を学ぶか」が大切なことだと思う。インパール作戦は戦争を知らない我々には不思議なことが幾つかある。 その基戦略に反してインドに撃って出ようというインパール作戦は最初に書いたようにその翌年3月である。なぜ、この時期にこういう作戦を立てたのか。 反対していた大

    日本会議のインパール作戦の記述に牟田口廉也中将がツッコム
    timetrain
    timetrain 2016/09/18
    極左と正反対なくせに一周回って同類のお花畑志向なのはなんとかならんのかアイツラ、と考えたところで、多分同質の存在なんだと思い至った
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