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歴史とあとで読むと映画に関するtimetrainのブックマーク (3)

  • 関東大震災映像デジタルアーカイブ

    『内務省検閲時報』によれば、1925年中に検閲を受けた作と思われるフィルムは、以下の6件である。 ・1925年8月21日/1344番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/新 ・1925年8月21日/1345番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複一 ・1925年9月18日/2458番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/282メートル/(製作者)岩岡商會/(申請者)八千代生命保険株式會社/複二 ・1925年10月14日/3400番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/302メートル/(製作者)東亞キネマ株式会社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複三 ・1925年10月14日/3401番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/

  • 私たちは「善良」だったか? 『エール』の終戦が“被害者意識”の日本人に突きつけるもの | 文春オンライン

    戦争が憎い」という言葉は、これまで何度も朝ドラの中で発せられてきた。戦争は自由を抑圧し、表現を検閲し、主人公の夢を阻むものとして描かれ、終戦の玉音放送はその抑圧からの解放として、美しい青空とともに描かれるのが定番だ。 だが『エール』では「僕は音楽が憎い」という言葉が象徴するように、戦争は主人公の夢の達成そのものが招き、実現したはずの夢が悪夢に変わる光景に主人公は立ち尽くす。 これまでの朝ドラが「表現の自由」を戦争の反対側に置いてきたとしたら、『エール』は戦争に加担した側のクリエイターの『表現の責任』について、この時代の自分たちへの問いかけとして置いているように見える。 『二十四の瞳』に対する大島渚の激しい批判 1954年に公開された『二十四の瞳』という美しい反戦映画がある。1928年、瀬戸内海の小さな島に赴任した新しい時代の価値観を持つ若い女教師が、12人の子どもたちに「おなご先生」と慕

    私たちは「善良」だったか? 『エール』の終戦が“被害者意識”の日本人に突きつけるもの | 文春オンライン
  • 「火垂るの墓のポスターの光は蛍だけじゃない」らしいので画像解析してみたら…「鳥肌立った」

    🍂静岡県富士市アニソン部🍠 @FUJI_ANIMESONG @comicloverhouse 蛍ではなく、火が(垂)たれるですもんね。 蛍を埋葬するシーンを見てタイトルと結び付けて捉えていますが、戦争中に空襲をうける生活の中で一生懸命に生きて死んでしまった節子と清太の物語ですもんね。 身寄りが無いからお墓はなく作品を通して弔いやお墓や埋葬を表現してるとも考えさせられますね。 2018-04-14 09:20:51 ろか@疲 @roka0510 ああ、これ火が垂れるという表現なのか……なんという。でもなんだか焼死ていうと苦しいけれど、火は浄化のイメージも伴うのでどちらの要素もくんでくれていたら救われるのにという身勝手な妄想を繰り広げざるをえない… 2018-04-14 12:57:11

    「火垂るの墓のポスターの光は蛍だけじゃない」らしいので画像解析してみたら…「鳥肌立った」
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