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移民と日本に関するtimetrainのブックマーク (2)

  • 中国人の街「西川口」の変貌っぷりが凄すぎる | 街・住まい | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

    東京から荒川を隔てた埼玉県南部に「西川口チャイナタウン」と呼ばれる一帯がある。JR蕨(わらび)駅からの徒歩圏内に位置する芝園団地に一歩足を踏み入れると、すれ違う人のほとんどが中国人だ。 隣のJR西川口駅周辺では、場の味が楽しめる中国料理店が雨後の筍のように誕生している。ここは中国なのだろうかと錯覚してしまうほどの生活感だ。この地域で根を張る中国人はいったいどこからやってきて、どこへ向かおうとしているのだろうか。現地を取材してみた。 芝園団地の中国人比率は50% 2013年に芝園団地に住み始めた王琳さん(39歳、人の希望により仮名)の顔には日人女性と見紛うような白いファンデーションと真っ赤な口紅が浮かんでいた。話してみると日語もほぼ完璧。それもそのはず、彼女が留学目的で東北部・遼寧省から来日してきたのはもう17年前のことだという。 この団地で暮らしている日人について聞いてみると、「

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    timetrain
    timetrain 2018/08/19
    中国の祖父母から見ると孫の日本人化を嘆く、という構図になるのか
  • 加来 耕三 - 新聞案内人 :新s あらたにす(日経・朝日・読売)

    忘れられたバンクーバーの慰霊碑(1/8) 連日、熱戦がくりひろげられたカナダのバンクーバー冬季五輪が閉会した。日人はこぞって、日人選手の健闘を手に汗して称えた。  だが、この「平和の祭典」の舞台で、同じ日人がかつて、生命(いのち)を懸けたもう一つの“物語”があったことを知る人は少ないようだ。 バンクーバーの代表的な公園スタンレーパークに、一種奇妙な記念碑が建っている。「日人義勇軍戦没者慰霊碑」とでも訳せばいいのだろうか。碑文は、英語でつづられていた。 この碑については、多少の噺(はなし)がある。ここにいう戦没者は、約70年前の第2次世界大戦の戦死者ではない。その前の第1次世界大戦のおり、日の大正4年(1915)にあたる年の11月、「加奈陀(カナダ)日人同胞の権利獲得と名誉のために」をスローガンに、募集された義勇兵に応募し、カナダ軍に身を投じて、連合軍側の一員として戦った日

    timetrain
    timetrain 2010/03/02
    大正の頃、排日吹き荒れるカナダに移民した日本人の市民権のために第一次大戦へカナダ軍義勇兵として赴いた日本人たちの話。……知らなかった。
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