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考古学と文化財に関するtimetrainのブックマーク (6)

  • [独自]韓国ソウル付近の百済遺跡で1600年前の日本人居住痕跡を発見

    1500年余り前に日からソウルに移ってきた技術者をはじめ、倭の移住民が工房などの生産活動に従事していた事実が明らかになった。最近、彼らが暮らしながら墓に使う葬儀用品として使ったと推定される日特産の土器が相次いで確認されたためだ。 大韓文化財研究院は6日、今日のソウルである漢城に百済王朝が都を置いた漢城百済時代(西暦18年~西暦475年)の官営土器窯関連遺跡(京畿道城南市福井洞(ソンナムシ・ポクジョンドン))から、古代日の権力層の大型墓を飾った土器装飾遺物の「埴輪(はにわ)」を初めて発見したと明らかにした。大韓文化財研究院は地中の文化遺産を発掘・調査する機関だ。 埴輪は5世紀前半の古代日の典型的な装飾型土器で、主に円筒形のものと動植物形の象形造形物、家などの住宅造形物などに分けられる。今回発掘されたのは円筒形で外壁に穴を開けた5世紀の造形物だ。 城南市福井洞の百済土器窯関連遺跡の廃棄

    [独自]韓国ソウル付近の百済遺跡で1600年前の日本人居住痕跡を発見
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    timetrain 2024/03/09
    十年前ならニュースになるまえに潰されていたかもしれん
  • ナニこれ?奈良市で出土した使いみち不明なものの展示会|NHK 奈良県のニュース

    奈良市の遺跡で見つかった、使いみちがよく分からず、研究者などが首をひねる出土品ばかりを集めた展示会が開かれています。 展示会は奈良市埋蔵文化財調査センターが開いていて、会場には奈良市の遺跡で発掘された、使いみちや目的が分からない出土品、310点が展示されています。 このうち、平安時代の井戸から見つかった「束ねられた人形」は、当時の男性の顔や名前が書かれた51枚の木片がおよそ8枚ずつにまとめられ、顔が見えない形で重ねられています。 木くぎが打たれるなどしていることから、一見すると呪いの道具にみえますが、病気の回復を願って作られた可能性もあるということです。 また、室町時代から安土桃山時代に作られたと見られる「犬形土製品」は、当時の大坂などで数多く作られていたとみられる、かわいらしい犬の形をした素焼きの土人形です。 犬は子どもを多く産むことから、安産のお守りやおもちゃとして使われていたという見

    ナニこれ?奈良市で出土した使いみち不明なものの展示会|NHK 奈良県のニュース
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    timetrain 2022/10/10
    あっ、これ鎌倉殿でやったやつだ!(進研ゼミの口調で
  • くぎ打たれた人形やミニ食器…平城京跡謎の出土品260点 説明難しい特別展 | 毎日新聞

    8世紀ごろのつぼ(奥)に封じられていた木の人形。中央の人形には腹と足に木のくぎが打ち込まれている=奈良市の埋蔵文化財調査センターで2020年8月31日午前10時43分、稲生陽撮影 平城京跡(奈良市)で発掘され、使い方がよく分かっていない出土品を集めた変わった特別展が、同市大安寺西2の市埋蔵文化財調査センターで開かれている。こうした「用途不明品」は市が収蔵する出土品でも約2割を占めるが、「説明が難しい」として全国でもあまり公開されていないという。【稲生陽】 人の顔が描かれたつぼ、内側で二つに仕切られたかめ、花の紋様をかたどった土器製スタンプ――。会場には変わった形などをした土器や木製品など約260点が並ぶ。 1980年に平城京跡の発掘調査を開始した市教委は、コンテナ3万個分の出土品を収蔵。一般的な土器や瓦であれば、周囲の出土品と比較しての考古資料となる。しかし、平城京跡でしか見つかっていない

    くぎ打たれた人形やミニ食器…平城京跡謎の出土品260点 説明難しい特別展 | 毎日新聞
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    timetrain 2020/09/07
    呪詛にしては綺麗すぎる気もするし、おもちゃかもしれないとか色々想像できて楽しい。
  • 文化財切り取り 学芸員が謝罪「所有者に説明できず」 岩手県立博物館会見 | 毎日新聞

    記者会見の冒頭で「不誠実な対応があった」と謝罪する千田貴浩副館長=盛岡市の岩手県立博物館で5日、日向米華撮影 岩手県立博物館(盛岡市)の学芸員が所有者に無断で金属製の文化財の一部を切り取っていた問題で、同館は5日、記者会見した。冒頭で千田貴浩副館長は「サンプリング(切り取りによる分析)を相手に伝えないまま行った。来であればコミュニケーションを取って進めるべきだった。不誠実な対応があった」と認め、謝罪した。 会見には千田副館長らのほか、切り取りをした赤沼英男上席専門学芸員も出席した。赤沼氏は「相手に説明し、納得してもらったうえでやらなければいけなかった。相手に説明が伝えられなかったのが大きな原因」と釈明した。無断切り取りの件数については「2001~14年の間に最大200点だが精査する必要がある。分かっている範囲では少なくとも80点はある」と語った。

    文化財切り取り 学芸員が謝罪「所有者に説明できず」 岩手県立博物館会見 | 毎日新聞
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    timetrain 2019/06/05
    赤沼英男氏、名前がやっと出た
  • 三星堆遺跡 - Wikipedia

    三星堆遺跡(さんせいたいいせき)は、長江文明に属する古代中国の遺跡の一つである。1986年に中国の四川省徳陽市広漢県の三星堆で発見された。 概要[編集] 紀元前2000年頃もしくはそれ以前と考えられる極めて古い時代に属する三星堆遺跡とその文化は、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀文化のものである[1]。三星堆遺跡自体は、1929年の春に当地の農民が溝を掘っていた際に玉器を見つけたことで、1931年にイギリス人牧師であるVyvyan Henry Donnithorneによって発見されていた[1]。しかし、長く格的な発掘はなされず、1980 - 1981年に、初めて四川省文物委員会等により格的な発掘調査が行われて、大規模な住居跡が発見された。以後、発掘が継続して行われ、1985年10月までに、東・西城壁跡が発見されて、遺跡が古蜀王国の都城跡と見られるようになった。さらに、19

    三星堆遺跡 - Wikipedia
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    timetrain 2015/01/30
    何これ、もんのすごくわくわくさせられる仮面!三千から五千ってやっぱり中華文明半端ない
  • asahi.com(朝日新聞社):江戸城建設の石引道路跡を公開 皇居東側 宮内庁 - 社会

    発見された石引道路の遺構=皇居  宮内庁は10日、皇居の石垣改修工事中に見つかった石引道路の遺構を報道陣に公開した。石引(いしびき)道路は、江戸城建設や改修の際に石垣用の石を運ぶのに使われたという。  遺構は、皇居東側の桔梗濠(ききょうぼり)付近にある。幅が約3.9メートルほどで、当時敷かれていた木材の痕跡も残っていた。宮内庁によると、道路は、元禄16年(1703年)ごろまで使われていたとみられ、船で運ばれきた石をここから城内に木製のそりで引き入れたという。  今回の遺構は、排水施設の工事に伴って石垣を解体した際に発見された。同庁は、調査をした上で、工事終了後に埋め戻す予定だという。

    timetrain
    timetrain 2011/02/11
    「宮内庁によると、道路は、元禄16年(1703年)ごろまで使われていたとみられ、船で運ばれてきた石をここから城内に木製のそりで引き入れたという。」やべえ、ワクワクする。
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