東海、東南海、南海地震などが同時発生する「南海トラフ巨大地震」で最大23・9メートルの津波が想定される高知県須崎市が、1946年の昭和南海地震を体験した当時の子ども107人の文集を1000部復刻したところ、著作権法が禁じる無断複製にあたることがわかり、配布を取りやめた。市は、80歳前後になった筆者を捜して復刻の承諾を集め始めたが、まだ30人。「先人の教訓を今こそ伝えたい」と、市は配布をあきらめていない。 作文集は「南海大地震資料」と題された3分冊で、2年前に地元公民館で原本が見つかった。地震3か月後の47年3月に旧須崎高等小学校の教諭が子どもらに書かせたとみられる。 市は1月、住民啓発用に、「海からの警告」(A4判257ページ)のタイトルで復刻印刷。配布直前に外部から「著作権侵害のおそれがある」との声が寄せられた。 著作権法では、個人名義の場合、死後50年間、団体名義で公表後50年間、著作
宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さん=当時(24)=が埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることが26日、分かった。
学内での活動とは別に、本学の教職員が各自治体や民間団体が主催するさまざまなボランティアや復興支援活動に参加しています。被災地の方々の一助となるべく、その専門知識や研究成果を被災地のために役立てています。
東日本大震災の発生から半年が過ぎたが、校舎の天井や壁が崩落するなど壊滅的な被害を受けた那須高原海城中学・高校(那須町豊原乙、茂木雅之校長)は再開の見通しが立っていない。豊かな自然の中で寮生活を送っていた生徒176人は今、高層ビルに囲まれた東京都内の姉妹校で学校生活を送っている。「那須に戻りたい」-。母校への思いは募る一方だ。 9日、東京都新宿区の海城中学・高校。一角にある3階建ての建物が那須高原海城中・高の仮校舎だ。教室からは教師と生徒の活気あるやりとりが聞こえてくる。 「当初は環境の変化に体調を崩す生徒も多かったが、すっかり落ち着いた」。塩田顕二郎教頭(38)は感慨深げに振り返る。 3月11日午後2時46分。定期試験を終え、ひと息ついた生徒たちを大地震が襲った。大半の教室で天井や壁が崩れ、「けが人が出なかったのは奇跡」(塩田教頭)の惨状。被害の少なかった教室に生徒を集め氷点下の夜を布団に
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