えぬびい @enuenuenubi 公園の一角にポツンと残された途中までしか存在しない謎の階段。かつての処刑台だのなんだのと心霊スポット扱いされてもいるがそんな事実は一切なく、戦時中に兵士が高所からの飛び降り訓練に使用していたものらしい。 当時の訓練中写真を見るとどうにも既視感のある懐かしい光景に思えた。これ、アレだ。小学生が休み時間に階段のどれだけ上の段からジャンプできるか競ってる時の風景! 2023-11-03 19:38:45
旧志免鉱業所竪坑櫓について知ったのは2005年、ワンダーJAPANの創刊号の表紙から。 冊子は出てすぐ購入したのだが、威圧感たっぷりの表紙だけで十分元をとった気になって、あまり読まずに本棚にしまいつつ、志免炭鉱跡にいつか行きたいとの思いを持ちつづけていた。炭鉱跡が福岡にあるところまでは確認していた。社会や道徳で筑豊炭田について習っていたので、やはり炭鉱というのものは九州北部にあるものなのだという認識を持ったのだが、表紙の写真の印象から、てっきり福岡と熊本の県境の山奥にあるのかなと思っていた。「空が赤くなっているようなところだから遠いところに違いない」という単純なイメージを持っていたのである。山奥の獣道を数時間歩いて、忽然と目の前に現れた平原と、崩壊寸前の櫓。見に行くとしたらそれなりの規模の旅になると思っており、その準備は今はまだできない……と思いながら18年が過ぎたのだが、先日、博多に用事
2023年2月4日に開催された「南池袋遺跡」の見学会に行ってきました! 到着したら、かなりの行列。 都会のど真ん中で発見された遺跡は注目度も高いですね。 地図ではここ↓ 豊島区南池袋2-40付近。 豊島区役所が近いです。 遺跡が発見されたのは南池袋二丁目C地区再開発南街区。 2021年8月から発掘調査が行われており、現在も調査は続けられています。 受付で資料もいただけました。 南池袋遺跡について詳細に説明されています。 発掘調査では、縄文時代や江戸時代〜昭和時代の生活の跡が見つかっていますが、特に重要な発見として、日本の写真産業の始まりとなった「東洋乾板株式会社」の工場の建物跡があげられます。 オフィス街や繁華街としてにぎわう現在の池袋から想像することは難しいですが、豊島区内には明治時代以降さまざまな工場がありました。 雑司が谷地域の歴史や産業を語るうえで東洋乾板の工場は重要な施設だといえ
某県に実在する物件。開けても開けても部屋。 映画の「キューブ」みたい。 https://t.co/l56pe6qfvi
自宅と仕事場を兼ねているケースが多い、小説家や漫画家、美術家など作家の家。生活の場であり、創作の場でもある家にはどんなこだわりが詰まっているのでしょう。 作家の家を訪ね、その暮らしぶりや創作風景を拝見する連載「作家と家」。第1回目は、『天才 柳沢教授の生活』『不思議な少年』『ランド』(全て講談社)などで知られる漫画家・山下和美さんの自宅を紹介します。 長年のマンション暮らしをやめて伝統的な日本建築である「数寄屋」を建てた山下さんは、その顛末をエッセイ漫画『数寄です!』(集英社)でも描いています。なぜ「数寄屋」だったのか。「和」の暮らしは、山下さんの心にどんな変化をもたらしたのか。こだわりの和室や仕事場をご案内いただきながら、お話を伺いました。 ※取材は、新型コロナウイルス感染症の予防対策を講じた上で実施しました 住んだら終い、じゃない。伸びしろが“できる”家 山下さんが家を建てたのは201
「なんなんだこれは?」 横に長い真っ白なマンション、ウネウネと曲がったり複雑に交差したりする通路、そして、その間から生えている鬱蒼とした植物が続けざまに目に飛び込んだ。 「どこが入口? どこが部屋? なにがどうしてどうなってるの?」 見れば見るほど疑問は増え続け、「これはなんとしても実物をこの目で見てみたい!」という気持ちが募っていった。 意外な場所にあった沢田マンション 早速、高知県高知市にある沢田マンションを訪れることにした。 ©iStock.com 初めての高知、高知龍馬空港からレンタカーを借りて、桂浜や龍河洞、ひろめ市場など高知の有名観光地を巡り、かつおのたたきを食べ、サンゴを買う。アンパンマン列車にも乗り、巨大なアーケード商店街や、有名なはりまや橋も見ておきたい。そんな1泊2日のプランの経由地に沢田マンションを組み込んだのだ。 沢田マンションは高知市の中心部からおよそ3キロ。JR
先日、僕が住んでいるマンションで、管理組合の総会が行われました。 総会、とはいっても、新型コロナウイルス感染予防への配慮もあり、基本的には事前に配布した議案に対する回答や委任状に基づいて、必要最低限の参加者で議決する……はずだったのです。 僕自身、何年か前に管理組合の役員の順番がまわってきたとき以来、ほとんど総会には参加していなかったのですが、今回、諸事情(というか、また順番がまわってきただけなのですけど)で参加してみて、現在のマンション事情を痛感することになりました。 僕が住んでいるマンションは、築十数年で、昨年、大規模修繕工事を終えたばかりです。 立地は良いほうだと思うし、修繕も終えて、まあ、しばらくは大丈夫だな、人口が減っていき、みんなが街の中心部に集まりつつある日本で郊外の一軒家に住むより、マンションのほうが便利だし、この先も安泰だろう、と思っていたのです。 ところが、マンションの
1978年東京生まれ。酒場ライター。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター・スズキナオとのユニット「酒の穴」としても活動中。 前の記事:池袋の中華フードコートがほぼ中国 まずは「老舗名東」へ…… 多摩地区東部に位置する、東京都東久留米市。市内に美しい2本の川、「黒目川」「落合川」が流れ、駅舎には富士見の名所「富士見テラス」が併設されるなど、東京23区内からほど近い場所にありながら自然豊かで、のどかな空気の流れる街だ。となれば当然、東屋が豊富であることは疑いようもない。 今回は、東久留米の街に東屋を求め、気の向くままに放浪してみよう。さて、どんな東屋に出会えることやら……。 「黒目川」 まずは、東屋通ならば誰もが知る名東を目指そう。西武池袋線・東久留米駅西口を出て北西に向かい、 3分も歩けば「黒目川」の美しい流れに行き当たる。川を超え、さらに少しゆくとたどり着くのが「小山
何となく古地図を見ているときのことだった。中野駅の近くに大きな建物を見つけた。調べるとかつてそこには大正時代からの刑務所があったらしい。しかもウィキペディアによると、跡地には今でもレンガ片や土塁が残っているらしい! ところが、レンガや土塁の跡について調べても何も情報が出てこない。ならば自分で調べてみよう。 実際に行ってみたところ、思った以上にいろいろな跡が残っていることがわかってきた。 謎の施設発見 はじまりは古地図だった。 まずはこれを見てほしい。左が大正5年、右が現在の地図だ。東京の中野駅あたりを表している。(今昔マップより) 南にある横線が中野駅だ。北側と南側に大きな施設がある。南側はかつての日本軍の用地。スパイ活動で有名な「陸軍中野学校」があったのもこの場所だ。 そして注目したいのは北側。左側の大正の地図に書いてあるのは「豊多摩監獄」。 監獄。つまり刑務所だ。まさか中野にあったとは
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