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社会と思想に関するImamuのブックマーク (124)

  • バーチャルYouTuberとはどんな労働か?:疲労するペルソナのおもちゃ的労働

    ただ遊んでいるだけ?バーチャルYouTuberはどのような種類の労働をしているのだろうか? 彼らはいっけんただ遊んでいるだけのようにみえる。YouTuberであれば、ふつうの人ができないようなふざけた企画を実行してみたり、バーチャルYouTuberであればもっぱらゲーム実況配信をしていたりしている。 しかし、彼らはしばしば疲れている。そのペルソナは疲れを隠しきれない。もし遊んでいるだけなら、疲れるということはない、疲れる前にやめられる。でも彼らは疲れても配信を止められない。それは配信が彼らの労働=仕事だからだ。では、彼らは配信という仕事の何に疲れるのだろうか? そのもっとも目立つ理由の多くは、彼らへの心ない誹謗中傷であろう。彼らへの何らかの理由に基づいた悪意や敵対心に基づいて、彼らのキャラクターの名前を使って、そのキャラクターをまとう人=中の人にまで貫通するような呪いがかけられる。 けれ

    バーチャルYouTuberとはどんな労働か?:疲労するペルソナのおもちゃ的労働
    Imamu
    Imamu 2023/09/16
    「おもちゃ的労働とは、周囲の人々がインタラクトするための表情や身体の動きを生み出すために感情・態度・存在のあり方を管理することで賃金を得る労働」「感情労働のなかでも特殊なタイプの疲労を」
  • ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか(酒井 隆史)

    効率化をうたうネオリベラリズムが、非効率で不合理なブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)の増産に帰結してしまうのはなぜか? 社会思想史家にしてデヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』の訳者でもある酒井隆史氏による、「日常的ネオリベラリズム」批判序説。 「効率化」が効率的だなんて実感はどこにあるだろう? いつごろからか、なにごとにも「効率化」「合理化」「スリム化」などなど、一連の似たようなワードが呼号されるようになった。「規制緩和」、無駄の削減、合理化の導入、競争環境の導入によるスリム化、IT化による簡素化などなど、こういったお題目によって、わたしたちの生活はさまざまに変えられてきた。 ところが、みなさん、それによって日常生活がより解放的で自由になったという実感がどれほどあるだろうか? この問いは前回のウェブ記事(https://gendai.ismedia.jp/articles/

    ネオリベラリズムはなぜブルシット・ジョブを生み出してしまうのか(酒井 隆史)
    Imamu
    Imamu 2020/09/19
    「数量化しえないものを数量化しようとする欲望」「わたしたちは労働者ではなく、一個の企業体であり、日頃から自己投資をおこない、教育資産を高め、契約によって業務をこなし、契約が終われば業務も終わる」
  • 安倍首相も小池都知事も「空虚だけど支持される」現実をどう理解するか(石戸 諭,ブレイディ みかこ) @gendai_biz

    今、日とイギリスで何が起きているのか? キーワードは「空虚」? SNS時代に私たちが忘れていることとは? 『ルポ 百田尚樹現象〜愛国ポピュリズムの現在地』著者でノンフィクションライターの石戸諭さんと、ベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者で、新刊『ワイルドサイドをほっつき歩け』も大きな話題となっているブレイディみかこさんが縦横に語り尽くす。 イギリスと日のおじさんたち 石戸 ブレイディさんの新刊『ワイルドサイドをほっつき歩け』(筑摩書房)をとても面白く読みました。ベストセラーになった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)は息子を通して見えてくるイギリスの格差や差別を描くというもの。それが、今回の主役は一転して周囲にいるおじさんたちです。 僕が非常に興味深かったのは、こので描かれたイギリスのおじさんたちと同様に、日のおじさんたちも一番のマイ

    安倍首相も小池都知事も「空虚だけど支持される」現実をどう理解するか(石戸 諭,ブレイディ みかこ) @gendai_biz
    Imamu
    Imamu 2020/07/29
    「ポピュリストは、正しい問いを発して結果が間違うと、非常に本質的なことを書いている。僕はこれがまさにポピュリズムだと思っています」
  • 速度が問題なのだ――技術と民主主義の未来

    刺激的、というよりは既視感のある対談だった。ユヴァル・ノア・ハラリとオードリー・タンの対談のことだ。対談の概要は冒頭に湯川鶴章さんがまとめてくれたもので把握できるが、僕らがかつて技術と社会思想の間で考えていたことの変奏であり、また21世紀に論じられてきた問題の最先端の知見が披露されていることがよく分かる。たとえば両者ともに、ローレンス・レッシグの『コード』を前提に話しているが、レッシグの名前はまったく出てこない。いま技術と社会の話をする上での基礎教養の水準がどの程度であるのかも、対談の見どころのひとつだ。 僕の見るところ、この対談でもっとも重要な論点となるのは、「技術は人の意思決定をコントロールするものになるのか、エンパワーするものになるのか」というものだ。ハラリは自らを、技術に対してデータを提供し、技術に「使われる」側に立ち、個人の意思決定のみならず、自己理解、そして民主的な決定までもが

    速度が問題なのだ――技術と民主主義の未来
    Imamu
    Imamu 2020/07/14
    「ほかならぬ技術者だけが、多くの人々のフィードバックをコードの設計に反映させなければならない」
  • なぜ日本に社会民主主義は根付かないのか?/近藤康史 - SYNODOS

    筆者は以前に、『深まる社会民主主義のジレンマ』というタイトルで、近年のヨーロッパ各国における社会民主主義政党の状況について考える論考を寄稿した(2019年3月26日公開)。今回はそこでの議論も踏まえ、その続編として「日における社会民主主義」について考えてみたい。 現在において「日の社会民主主義」を考える場合、まず思いつくのは、かつての日社会党の系譜を受け継ぐ社会民主党の存在であろう。しかし直近の参議院選挙(2019年7月)で社会民主党は比例区にて得票率2.09%で、かろうじて1議席を獲得するにとどまった。この選挙で話題となったれいわ新撰組と比べても得票数は半分以下である。また、同じく話題となったNHKから国民を守る会を、比例区ではかろうじて上回ったものの、その差は6万票程度、得票率にして0.12%の差であった。 もちろん、社会民主党だけが社会民主主義を体現する政党というわけではないだ

    なぜ日本に社会民主主義は根付かないのか?/近藤康史 - SYNODOS
    Imamu
    Imamu 2020/06/04
    "ヨーロッパ諸国~戦後にまず~経済的対立" / "日本社会党~当初から文化的対立軸"
  • 首都大学東京での、来年度大学院ゼミのシラバス - MIYADAI.com Blog

    2014年度(来年度) 大学院ゼミ シラバス ★授業方針・テーマ 【危険思想としての社会学】 社会システム理論は、ウェーバーやデュルケームやジンメルの時代から、右翼思想や保守思想や全体主義思想と極めて近縁である。そのことは社会学の欠点よりもむしろ長所と密接に結びついている。そのことを徹底的に理解した上で危険回避の方法を探求する。 ★習得できる知識・能力や授業の目的・到達目標 社会システム理論の最先端、ならびに政治哲学の最先端の議論を、習得する。それを通じて、全ての社会学ないし社会理論の政治性をチェックできるようになることを目指す。同時に、目下の政治状況を適切に記述し、マッピングするための能力を習得することをも目指す。キーワードは、全体主義、右翼、保守主義、社会化、ニューディール政策、パターナリズム、事実性、恣意性、非任意性、歴史性。 ★授業計画・内容 キーコンセプトは「危険思想としての社会

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    Imamu 2014/01/07
    "【危険思想としての社会学】社会システム理論は、ウェーバーやデュルケームやジンメルの時代から、右翼思想や保守思想や全体主義思想と極めて近縁~そのことを徹底的に理解した上で危険回避の方法を探求する"
  • 体育会系MCを探せ « SOUL for SALE

    2014年の仕事の抱負でも、と思ったのだけど、昨年はも出したし、学務も昨年ほどではないしというわけで、今年はインプットの年にしたいなという以外にたいしたことも浮かばなかったので、こないだ日のジレンマに出たときのことを思い出しつつ、今年はテレビ論壇とかどうなるんだろうね、と考えてみる。 とりあえず気になっていたのは「論客」というあの呼称だ。いやまあそういうテンプレであることは理解するし、言われてる方も「(笑)」としか返しようがないのだけど、さりとてそこには、いまの20~30代を集めてきてさてどんな括りにしましょうかって考えたときに出てくる、ある種の無理がにじみ出ている。 おそらくそこに込められた意味は、何かについて議論する人という意味なのだと思う。で、イデオロギー対立が議論のテーブルを結びつけられなくなって以降、議論というのはロジカルディスカッションのことではなく、それぞれの専門分野や現

    体育会系MCを探せ « SOUL for SALE
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    Imamu 2014/01/06
    「共感による人の動員は、常にどこか多様性を捨象する性質があるし」「データ的に裏付けられた「価値中立的(という価値を帯びた)」な選択肢を提示」「お互いをつなぐ車軸というものがない」
  • 「ガラパゴス化」する慰安婦論争 ―― なぜに日本の議論は受入れられないか/木村幹 - SYNODOS

    河野談話見直しの動きや、橋下大阪市長の慰安婦関連発言により、慰安婦問題に対する関心が、かつてないほど高まっている。しかし、それならわれわれはこの慰安婦「問題」についてどの程度知っているのだろうか。そこで稿では、この問題の歴史的展開過程を確認することにより、この問題について改めて考えてみることにしたい。 歴史問題と歴史「認識」問題 ―― 今は違う? 今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行ったときに司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいっていったんですよ。 よく知られている橋下大阪市長の発言である。この文章を引用したのは、彼の発言を糾弾するためではない。ここで注目したいのは、この発言が典型的にしめしているもう一つの重要な事実である。それは、慰安婦問題に代表されるような歴史認識問題が、じつは

    「ガラパゴス化」する慰安婦論争 ―― なぜに日本の議論は受入れられないか/木村幹 - SYNODOS
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    Imamu 2013/06/07
    「歴史があってから歴史認識があるのではなく、歴史認識があって初めてわれわれは歴史を「書く」ことができる」『「女性の人権問題」としての顔と、「歴史認識問題」としての顔の二つがあり』
  • キャラクターのかわいさとインタラクティビティについて | CiNii Research

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    Imamu 2012/07/19
    「かわいい⊂共感性に欠ける⊂意思の不一致⊂インタラクション」
  • SYNODOS JOURNAL : 正当性と正統性 大屋雄裕

    2011/6/2012:26 正当性と正統性 大屋雄裕 たとえば典型的な事例として、敗訴判決を受けて行政訴訟の原告側弁護団が「不当判決」という垂れ幕を掲げて出てくるような場面を想像してほしい。もちろん彼らは当該判決に不服であり、それが「正しくない」ものだと思っているのだが、しかしなおそこで否定されている「正しさ」と否定されていない「正しさ」の差異を、われわれは考えることができる。 ■ふたつの「正しさ」と「せいとうせい」 前者は、この事例において納得のいく結論を与えているかどうかという問題である。仮に彼らの満足行くような判決が出されていたとしたら、「正当な判断だった」とうなずくことになるだろう。このように、特定の判断が「正しい」か「正しくない」かを問題にするのが「正当性」(justness)である(なお、《正当であると証明できること》=「正当化可能性」justifiability、あるいはそ

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    Imamu 2011/06/20
    "特定の判断が「正しい」か「正しくない」かを問題にするのが「正当性」justness~具体的な決定が「正しい」権限に由来しているのか、「正しい」手続きによって形成されたかといった点を問題にするのが「正統性」legitimacy"
  • 『可視化された帝国-近代日本の行幸啓』原 武史(みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「想像の共同体」ではなく「可視化された帝国」」 「目からウロコが落ちる」という言葉があるが、私にとって、書を読んだ時の感想もそれに近いものがあった。 書の骨子は、ベネディクト・アンダーソン流の「想像の共同体」論を、近代日の実情に照らし合わせながら、批判していくところにある。 アンダーソンの『想像の共同体』は、近代史や歴史的な文化研究を志す者にとって、いわばバイブルの一つだが、その内容とは、国民国家の成立にメディアが果たした役割を指摘したものといえるだろう。 すなわち、それまで時空間的に独立していた国内の各地方が、新聞や書籍といった出版メディアが登場したことで、共通の言語を用いて、あたかも一つの問題関心を共有するような感覚を覚えるようになり、それが国民国家としての統一につながっていった、というものである。日においても、明治期の近代国家の成立過程を批判的にとらえ

    『可視化された帝国-近代日本の行幸啓』原 武史(みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    Imamu
    Imamu 2011/05/30
    「「想像の共同体」ではなく「可視化された帝国」「「人々を結びつける技術的な手段」という点においては、鉄道もメディアの一つである」
  • 『源氏物語』メモ14 - heuristic ways

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    Imamu 2011/04/22
    (「近代的」という訳語/仏教「末世」)『千年も前から「世の末」ということを人は言ってきたわけだが、私が思うのは、「世の末」という観念は、「近代的」という意識と裏腹のものではないかということである』
  • 時代の風:東日本大震災=精神科医・斎藤環、東京大教授・加藤陽子 - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災は被災者ケアや復興財源が長期の課題になっている。先週に続き「時代の風」執筆者につづってもらった。 ◇「復興」の10年を若者の希望に--精神科医・斎藤環 東日大震災から、早くも2週間が過ぎた。 私の故郷である岩手県も大きな被害を受けた。幼い頃から何度も通った宮古の海岸、陸前高田の砂浜、潮干狩りをした宮城県の気仙沼などに刻まれた津波の爪痕を見るにつけ、胸がつぶれる思いがする。亡くなられた方々のご冥福と、被災された方々が一日も早く日常を取り戻されることを祈りたい。 大きな災害は、人々の意識にも少なからぬ影響をもたらす。16年前の阪神淡路大震災がそうだった。あの震災の後、私たちは「トラウマ」や「こころのケア」といった言葉に敏感になり、被災して傷ついた心に配慮する作法も定着した。 いま気がかりなのは、若い世代に今回の震災がどのように受けとめられていくのか、という点である。震災によるダメ

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    Imamu 2011/03/28
    (原発を「許容していた」私-東京大教授・加藤陽子)大岡昇平「戦争」『戦争や軍隊について自分が書く時には、自分がそれらを「許容してい」たという、率直な感慨を前提として書かねばならない、と大岡は理解する』
  • ヒーローはいつも間に合わない | WIRED VISION

    ヒーローはいつも間に合わない 2011年3月22日 社会カルチャーメディア コメント: トラックバック (0) フィード社会カルチャーメディア (これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら) チェルノブイリ原子力発電所の事故は、東日大震災の渦中にあるいまから25年前、1986年4月26日に起きた。 それから1年が過ぎた1987年、アメリカの大手コミックス出版社、DCコミックスの人気タイトル『Justice League』誌で、バットマンをはじめとするスーパーヒーローたちがロシアの原子力発電所の危機を救おうとするストーリーが展開されている。 この物語は87年春にリニューアル創刊された同誌の2号から3号にかけて掲載されたもので、現在は『Justice League International』Vol.1に収録されており、比較的簡単に読むことができる(英語でだが)。 当時の

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    Imamu 2011/03/23
    『現実の不幸に対して物語のヒーローたちは常に「間に合わない」ものだからだ』「解釈や論評((先取りされた物語))の多くは宙に浮いたまま忘れ去られ」
  • ギャル演歌の世界へようこそ Part.2 « SOUL for SALE

    完全にノリで書いたのに、気づいたら速水さんの連載をはじめ、微妙な広がりを見せている「ギャル演歌の世界」。自分としては、批評的な距離感もなく、揶揄する意図もなく、ただ目の前にある風景――音楽があって、それが好きだというコがいて――について「わかるわかる!」の気持ちで書いたので、変に展開するのもどうかなと思ったのだけど、「オタク」の例を挙げるまでもなく、言葉の一人歩きは怖いし、最近某所でインタビューされたこともあったので、そこでの話を元にしつつ、簡単に。 まずギャル演歌の定義について。前のエントリでは「内向的でうじうじしていて、依存心が強く、当は男に引っ張ってほしいけど、でもそれが叶わないからがんばって一人で生きるんだってパターン」って書いたもんで、これが定義みたくなっているのだけど、さすがにざっくりしすぎなので、以下のような歌詞が特徴的な女性アーティストの楽曲、ということにしてみたい。 (

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    Imamu 2010/08/21
    『女性同士の友情を描いた作品も~男は裏切るけど、友情は裏切らない~ガールズトークとか女子会とかのブームともリンク』コギャル・ソング「ここはどこ?わたしはだれ?」系/ギャル演歌「幸せになりたい!」系
  • 書くという再帰性 « SOUL for SALE

    書くという行為は不自由だなと思う。商売で文章を書いていると、書くという行為は、常に誰かの求めに応じてなされるものになる。その時点で、相手と自分との間に生まれた社会観や時代観というものが、文章に反映されることになる。ワールドカップで盛り上がってた若者たちは、不景気のせいで世の中に不満を持っている層なんですか、と聞かれれば、不満の表れならもっと酷いことになっていたろう、と答えるけれど、雇用の問題で社会に対して怒っているのはごく一部の若者ですよね、と言われれば、そんなことはないですよと返すだろう。 それは、ブログやのように、自分の内発的な動機で文章を書く場合でも同じだ。ある社会観というか、前提として持っている想定があって、それに対する距離感が文章のトーンを決める。特にアカデミックな知識を用いながら一般に向けて書く場合には、異化効果というか「意外な驚き」みたいなものを盛り込もうとすることが多いの

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    Imamu 2010/06/26
    「その人が無自覚に前提にしている社会観~「客観的」な証拠を集めようと~揺るがない~自分がどのような「偏り」~自覚し~立つ足場を「選ぶ」~自分には理解できない前提を有した相手~想定反論~新しい自分への認識~可能性」
  • ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解 - on the ground

    私はリアルタイムで見ていたのですが、昨日の『朝まで生テレビ』に出演した東浩紀さんが、「インターネットがある現代なら、5〜10万人の規模でも直接民主政が可能だ」と力強く語っていました。この発言は、これまで彼が展開してきた一連の議論の延長線上にあるものなので、彼の読者にとっては特段新鮮な印象を与えるものではありませんが、その内容が刺激的なものであることは確かです。 過去に何度か採り上げているように、デモクラシーの新たな形についての東さんの提起に対して、私には賛成できるところとできないところがあります。明確に賛成できるのは、私たちが置かれている「ポストモダン」という社会状況についての認識と、「政治的意思決定の仕組みというものを原理的なところから考え直してみる必要がある」との問題意識に対してです。「ポストモダン」なる社会認識については、昨年「現代日社会研究のための覚え書き」と題したシリーズ記事で

    ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解 - on the ground
    Imamu
    Imamu 2009/10/25
    『「自治」はおろか、「代理」してもらうことさえできない主体が存在し、私たちがそれを切り捨てることができない以上*6、抽象的な「国民」が「代表」される契機を全廃することは不可能』
  • 米国での学会用の英語配付資料の日本語版 - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────── 1992年以降の日サブカルチャー史における意味論(semantics)の変遷 ──────────────────────── 序 『サブカルチャー神話解体』以降の2つの変化 【『サブカルチャー神話解体』以降】 私は『サブカルチャー神話解体』(1993)などの著作を通し、戦後日のサブカルチャーの変遷史を、社会システム理論の枠組を用いて記述してきました。社会システム理論の枠組は、従来の「上部構造と下部構造の二元論」から区別される「コミュニケーション一元論」の枠組で、コミュニケーション以外のものを要素としないシステムのダイナミズムを記述します。 戦後復興の時代から高度経済成長の時代まで、すなわち1970年代前半までは、日のサブカルチャーは、経済決定論や下部構造決定論によって説明しやすかったのですが、耐久消費財がゆきわたって「モノの豊かさ」

    Imamu
    Imamu 2009/03/09
    『「現実の至高性(paramountness of the reality)」が失~「現実の虚構化」と「虚構の現実化」の区別が実質を失い』『「この現実」がどんどん軽くなる~「オタク差別の消滅」「オタクの公認化」「総オタク化」の動きが、ぴったり
  • 2008-12-10

    現代思想の十八番のように「ポスト構造主義」はやりとりされているが、このアイデアは元々建築デザインを土壌にしたもので哲学の発想ではないということが、しばしば忘れ去られてる。そもそも芸術は、たとえ「反芸術」「非芸術」な「コンセプチュアル」であろうとも、作品というマテリアルに具象結実してみせて初めて成立するという唯物論に立つんだけど。>『リアルのゆくえ』騒動 批評は、事象を二分して批評する/されるの、主体/客体の決定から始まる。 かって表現における権威は、権力存在によって保護された。為政者権力のパトロンという支配/保護が薄れてきたモダンの平地で、自律しかつ表現権力として表面張力を保つには、批評性というある種の毒を芸術作品の内部として持ち合わせていることが必須であった。ブルジョアジーの欲望に添いながらも、最後の一線ではその欲望に痛烈な一撃を喰らわせる創造。その裏切りのような作為が有効であればある程

    2008-12-10
    Imamu
    Imamu 2008/12/10
    『そもそも芸術は、たとえ「反芸術」「非芸術」な「コンセプチュアル」であろうとも、作品というマテリアルに具象結実してみせて初めて成立するという唯物論に立つんだけど。>『リアルのゆくえ』騒動』
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    Imamu 2008/12/10
    『歴史学は「文字情報の相対性や弱さ」を自覚しつつ、「文字情報の絶対性と強さ」も知り、特にそれが政治的に利用される恐ろしさを』『全てが相対的なテクストなら、なぜ一定のテクストにコミットメントするのか』