フェミがキモいブスを不幸から解放したのはそうだとして、何故それで相対のキモオヤジが不幸になるのかと考えてみ。なぜ彼は解放されないのか? /ま、答えは簡単で「抑圧・搾取する側」だったからだがな。
フェミがキモいブスを不幸から解放したのはそうだとして、何故それで相対のキモオヤジが不幸になるのかと考えてみ。なぜ彼は解放されないのか? /ま、答えは簡単で「抑圧・搾取する側」だったからだがな。
遊んでそうな女でも、真面目そうな女でも、普段はのんびりで優しい女でも、初めて出会った瞬間には必ず「値踏みしてくる」。 そういう時の、女の鑑定士のような目が怖い。あの頭の上から足元までを1.5秒くらいで舐めるように観察する冷たい目。その雰囲気が怖い。 自分が男としての価値を査定される時の居心地の悪さ。恐怖。逃げ出したくなるようなあの感じ。 この事は、女性に話しても理解してもらったためしがない。 多分男同士なら分かる話だとは思うのだが。 男を瞬時にジャンル分けしたがる女っていうのは、どうしてあんなに怖いものなのだろうか。 人をモノにように査定するのはやめろ、と主張しようが、口上や社会的保護の観点で、男が女に勝てるわけがないのだ。だから余計、怖い。 いまこの瞬間に会ったばかりなのに、男が自分の視野に入った途端、査定モードに入る。 そういうのは気分が悪いから、苦笑いしてみたり、顔を背けたり、できる
去る2月11日、国連女子差別撤廃委員会が「日本における女性の権利を審議」における議題を発表し、話題になりました。 議題の筆頭は、「性的暴力を描写したビデオ※1や漫画の販売の禁止」という実際の被害者がいない表象に関するもので、つづく項目は、「雇用:セクハラ及び妊娠・出産を理由とした違法な解雇」「『慰安婦』問題」「障がいを持つ女性の意思に反する不妊手術に対する賠償」「福島※2事故後の被災地における女性への医療・保険サービス」「年金の男女格差」「高齢女性の貧困」となっていました。見方によっては、これは、ジェンダーギャップ指数世界101位の日本において、セクハラやマタハラや女性の貧困といった実在する女性の困難をなくすことよりも、ゲームや漫画といった二次元における性暴力表象をなくすことの方が重要であるととることができます。 ※1英語版ではvide games or cartoonsなので、性暴力を描
BLの中で男性がいくら酷い目に遭っても現実の男性とは切り離して考えられるけど,男性向けポルノで描かれる女性蔑視や加害は現実と地続きだし,同列には扱えないよなぁ。
2016.02.25 欲望という暴力について~なぜ、欲望という暴力の中で恋心だけが肯定され、祝福されるのか 今月はじめのことですが、少々Twitterが炎上いたしました。炎上の経緯や広がり方に関してここでは詳しく書きませんが、その際に、私の「欲望を肯定していこう」という旨の発言を、「ヘテロ男性の女性への欲望だけを肯定すること」と取り違えた上で、私を批判している方たちが少なくない数いると感じました。 「欲望を肯定すること」が、なぜ「ヘテロ男性の女性への欲望」、もっと言えば「ヘテロ男性の女性(自分)にとっては迷惑な欲望」のみを肯定することに取り違えられるのか、私は皆目見当がつきませんでした。 確かに、現在の日本で、男女二元論的に欲望の問題を考えると、男性的(とカテゴライズされる)欲望と、女性的(とカテゴライズされる)欲望は非対称的です。 「萌え興し」をはじめ、男性的とカテゴライズされる欲望の方
国際連合人権高等弁務官事務所(通称、OHCHR=Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights)は、日本が批准している女子差別撤廃条約(正式名称、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約。通称、CEDAW=Convention on the Elimination of All Forms of Discrimination against Women)の規定に則り、女子差別撤廃委員会が、日本における女性の権利を、2月16日付けで見直すことを発表した。議論の目的は、雇用における男女平等や、妊娠または出産を理由とする不当な解雇、職場でのセクシャルハラスメントなど、差別撤廃に向けた政策の施工状況を日本政府との間で再確認するものだが、女性に対する強姦や性的暴力の表現を含むゲームや漫画の発売禁止という項目が議題
正確には第3号被保険者(配偶者の扶養に入っている者)の人数で、仕事をしていても年収130万円の範囲内になる。 白河桃子の『「専業主夫」になりたい男たち』(ポプラ新書)は、日本ではまだ少ない「専業主夫」にスポットを当てた本。まずは目次を紹介しよう。 第1章 われ、いかにして主夫になりしか? 第2章 彼女、いかにして大黒柱になりしか? 第3章 主夫志望男性と主夫が欲しい働き女性のために 第4章 小島慶子×白河桃子対談「小島さん、女の大黒柱ってどうですか?」 第5章 あなたにも来るかも……ある日突然夫が主夫になる日 第6章 これからの主婦戦略とは? 専業主夫のとある1日 第1章では、実際に専業主夫をやっている男性たちを取材。彼らの家庭は、男性が家事や育児を担い、女性が外で仕事をしてお金を稼いでいる。よくある「専業主夫=ヒモ」という偏見とははっきりと違う(AV監督の二村ヒトシの定義では「ヒモとは女
ゲイは差別されてもしょうがないとは思わない。 だが、差別するゲイは多いと感じている。マジでしんどい。 ちなみに自分は20代前半でゲイ活動歴は浅い。二丁目は行かない。 想像以上にシビアな世界に疲弊し、うつ状態なうだ。これがSEKAI NO OWARIか。 これから話すことは日本国内でのこと。海外は知らん。 無論、自分が感じたことを書いているので参考程度に。かなり厳しい話もするが、俺(ゲイ)の本音を読んでおけ。 まず、外見について 驚くほど外見に厳しい。ノンケの何倍か想像がつかないくらいに、だ。 イケメンとブスで態度を変える。暴言を吐く人もまぁまぁいる。ゴキブリ扱いと言える。 ブサイクと言うことは少なく、ほぼブスと言う。自己防衛のためにブスと名乗る人は多い。オカマと同じ防御方法。 どんな人がモテるか 体を鍛えてて爽やかな人。系統で言うと、三代目J Soul Brothersや韓国アイドルっぽい
ゲイ増田です。 同性パートナーシップ条例が話に上がる時とかに、差別してはいけないという流れでいつも「多様性を認めよう」って話が出るんだけど、あれってゲイからするとちゃんちゃらおかしくて笑える。 そもそもゲイの世界は、多様性なんて全く認めない、徹底的なルッキズムで満たされている。マッチョとガチムチだけが発言権を持っているし、その上きちんと顔が良くないと「マッチョだけどブスじゃんw」と馬鹿にされる。デブも、デブとデブ好き同士で調子に乗ってるだけで気持ち悪い存在とされている。一番悲惨なのは痩せている人達だ。彼らは「キショガリ」と呼ばれ、まるでゴキブリのように扱われている。ノンケの世界みたいに「性格がいいから」なんて綺麗事では恋人なんてできない。身体と顔が全ての、完全なルッキズムヒエラルキーの世界。出会い系アプリでもルックスと身体で人気度合いがレベル付けされランキングされる非情な世界。だからみんな
ジェット・リョー @ikazombie 1940年代にいた「豚娘(ぶたむすめ)」と呼ばれる若い女性層が、現代のいわゆる「成人済み腐女子」の生活スタイルに似ていて面白い。豚娘たちが恋愛せずに金を費やす対象はおしるこやスタア雑誌だったけど。(荒俣宏「決戦下のユートピア」より) pic.twitter.com/Z2yutstDIe 2016-01-07 11:55:09 ジェット・リョー @ikazombie 大きく違うのは、40年代の「豚娘」は「女が結婚もせず自立した自由な暮らしをしやがって」という古い価値観の押し付けとともに世間が名付けた蔑称であるのに対し、「腐女子」は本人たちが自嘲交じり自称して一般化しつつあること。社会は少しずつだけどどんな人も生きやすくなっている…と信じたい。 2016-01-07 12:03:04
去年の夏前だったかいつものように、義父の家に行って庭の草取りをしていたら、近所の年輩の主婦の人がやって来て、垣根越しに「まあよくやってらっしゃること」と声をかけてから、「いいわねぇ、うちも嫁が欲しいわ」と独り言のように言った。そこの家の息子さんは実家を出て一人暮らしをしている。 こういう時に「嫁が欲しい」って言うのかと思った。「嫁」つまり息子の妻は、別に草取り要員ではないですよ。義父は高齢の独り住まいで、夫が単身赴任でこちらにいないので、私が時々来て手伝っているのです。私しかいないから、それは当然なのです。もちろん時間のある時しか来れません。別に「嫁」だから何でもする、できるってわけじゃないです。 ‥‥‥と言いたかったが、私は曖昧に笑った。さすがにそういう時にムッとしないでやりすごす世間知はある。 年末にお歳暮を贈った伯母(亡き義母の姉)から御礼の電話が来た時も、義父の家に行っていることを
レビュー 今、男に求められるのは"普通"にしがみつく手を放す勇気 - 『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』 現代において“普通”はもはや有害な思考停止ワード? 2002年に放映された傑作ドラマ『木更津キャッツアイ』で、余命わずかと宣告された主人公・ぶっさんは、"普通"と書かれた野球ボールを心のお守りにしていた。 何か特別なことを成し遂げようとしたり、ここではない非日常を渇望したりしなくても、私たちの生きる日常はすでに"普通に"充足と豊穣に満ちあふれているのだ、という素晴らしいメッセージが、そこには込められていた。 しかし今、世間の男性を苦しめているのは、むしろその"普通"にすらなれないコンプレックスではないだろうか。普通に会社に勤め、普通に恋愛・結婚をして、普通に嫁と子どもを食わせて定年まで働くことは、もはや贅沢な特権になりつつある。もちろん、正社員だけが働き方ではないし、恋愛・結婚
一連の「弱者男性」議論と関連した下の匿名ダイアリーを読んでいて、ある既視感に遭遇した。 フェミニズムは、「女性の地位向上」ではなく「ジェンダーの不平等を解消するための運動」(ジェンダーフリー)だと私は理解しているんだけど、その観点から考えれば、女性のジェンダー不平等だけではなく、男性のジェンダー不平等も解消する義務がフェミニズムにはあると思う。少なくとも、理念上無視していい話ではない。 半世紀ほど前までの社会では、男性優位が圧倒的だったから、女性の地位向上だけを訴えていればよかったのだろうけれど、現代社会では女性が男性よりも優位に立っている場面も多くあると思う。それが最も顕著に現れているのが「性愛」の場であり、それゆえ弱者男性論は「非モテ」論と相性がいい。 フェミニズムはジェンダーフリー、男女平等を志向する運動であり、恋愛の場では女性が優位だという論法、これには色々と思うところがある。 「
恋愛において、おそらく誰もが多かれ少なかれ、社会的・慣習的な性役割の存在を感じているだろう。より積極的にデートに誘うのは男性側であり、男性の提案を受けてイエス・ノーを言うのは女性側である、といったように。この、社会的に強いられた性役割が往々にして、非対称なリスクと弱者性をもたらす。例えばその一角として、日本でも今後問題にされてくると思われるのが「デートレイプ」に関する問題である。 日本においてデートレイプという言葉の浸透度はまだ極めて低い。リベラルでさえ「言葉そのもの」を知らないことが多い。デートレイプとは知人や恋人の間など、社会的には相互関係のある人の間でのレイプである。交際している相手に対して、精神的な圧力を加えたり、薬物を用いるなどして、否定の意思を表示できないようにして行われる性交も、デートレイプに含まれる。ファレルの『男性権力の神話』は1993年が初版だが、その時点でアメリカでは
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