ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (88)

  • 恐怖を科学する『コワイの認知科学』

    怖いとは何か? 怖さを感じているとき、何が起こっているのかを、脳内メカニズム、進化生物学、発達心理学、遺伝子多様性からのアプローチで概観した好著。 喜びや悲しみ、怒りなど、人の心は様々な情動に彩られている。なかでも「恐怖」は根源的なものであり、より生理的に近いように思える。怖いものをコワイと感じるから、危険や脅威から身を守り、生き残れてきたのだから。こうした漠然とした認識に、科学的な知見を与えてくれるのが書だ。「怖いもの」に対する脳内での反応や、恐怖の生得説・経験説の議論、怖さの種類や抑制メカニズムを、研究成果を交えながら解説してくれる。 たとえば、「ヘビはなぜ怖いのか?」の研究が面白い。もちろん、ヘビ大好きという人もいるにはいる。だが、一般にヘビは「怖い」ものと嫌われている。 いきなり「なぜ(why)」と問いかけると、聖書の原罪における役割や、ヤマタノオロチ伝説など、文化や哲学のアプロ

    恐怖を科学する『コワイの認知科学』
  • 巨人の肩から眺める『現代思想史入門』

    ガルシア=マルケス『百年の孤独』で、数学だけに異様な興味を示す天才が出てくる。まともな教育を受けたこともなく、あらゆる文明から遠く離れた廃屋に一人で暮らし、すべての情熱を数学に注ぎ込み、一生をかけて二次方程式の解法を独力で見つけだす。 男は天才だが、愚かなことだと思う。ただ一人の思考だけで、まったくのゼロから、二次方程式の解の公式を導くまで才能を持っているにもかかわらず、それだけで一生を費やしてしまったのだから。男は幸せだっただろうが、もし教育を受けていたならば、その思考はさらに先の、もっと別ところへ費やすことができただろうに。 「こんなこと考えるのは私だけだ!」と叫びたくなるとき、このエピソードを思い出す。オリジナルなんて存在せず、要は順列組み合せ。デカルトやサルトルといった哲学者でさえも、完全に無から生み出したわけではなく、時代の空気に合わせ、過去の知的遺産をまとめたり噛み砕いた、知の

    巨人の肩から眺める『現代思想史入門』
  • 知の科学へようこそ『教養としての認知科学』

    知的システムと知能の性質を研究する認知科学の入門書。人はどのように世界を認識しているか? より知的な存在を作り出すことができるか? 「考える」とは何か? そのとき何が起きているのか? といった疑問を抱いている人にとって、格好の入り口となる一冊。 なぜなら、この領域は下記のごとく広範囲で学際的だから。むしろ、「知の科学」はつかみどころがなさすぎて、いったん扱える範囲に切り分け、それぞれの専門分野から光を当てないと、攻略すら難しい。 人工知能(ニューラルネット、コネクショニズム)★ 神経科学(認知神経科学、脳科学) 哲学  (心の哲学、認識論)★ 心理学 (認知心理学、進化心理学、文化心理学)★ 言語学 (生成文法、認知言語学) 人類学 (認知人類学、認知考古学) 社会学 (エスノメソドロジー、ナラティブ分析) 書は、青学・東大の人気講義を書籍化したもので、「知の科学」を多角的に紹介している

    知の科学へようこそ『教養としての認知科学』
  • 動いているコードに触るな『失われてゆく、我々の内なる細菌』

    プログラマの格言に、「動いているコードに触るな」がある。ビジネス環境の変化に合わせ、巨大なシステムを維持・改善していく上で、ほぼ原則といってもいい。 その意味はこうだ。長いこと複雑怪奇な状態なのに、なぜか正しく動いているプログラムに対し、不用意に手を入れると、思いもよらない不具合が出る(これをデグレードという)。一見冗長で、まわりくどく無駄なことやっているようなので、よかれと思って直す。すると、触った部分とは関係なさそうな別の場所・タイミングで、予想外の動作をする。結果、因果が特定できないまま解析が長引くことになる。きちんとリソースを充てて改善するならともかく、「なぜ上手く動いているか」が分からないまま改修するのは、非常にリスキーなのだ。 人体に常在し、ヒトと共進化してきた100兆もの細菌群を「マイクロバイオーム」と呼ぶ。このマイクロバイオームの多様性を描いた書を読むと、抗生物質の濫用に

    動いているコードに触るな『失われてゆく、我々の内なる細菌』
  • コピーが経済を回す『パクリ経済』

    結論を一言にすると、「イミテーションはイノベーションを加速する」。 模倣が創造を促すといえばその通りだろう。だが、世間一般の通念は違う。音楽や映像、書籍や製薬などの業界を見る限り、著作権や特許権でコピー禁止の「常識」が形作られている。クリエイターの努力が簡単にコピーしていいのなら、誰もわざわざ新しいものを創ろうとしなくなり、最終的にはその産業が壊滅してしまうという懸念が背景にある。 書はこの「常識」に異議申し立てをするものだ。ファッション、アメフト、料理、金融、音楽といった分野に目を向け、コピーがイノベーションを促進しているだけでなく、成長の鍵となっている証拠を次々と指摘する。この事例が面白い。単なる反証ではなく、それぞれの歴史的経緯を踏まえながら、どのように折り合いをつけてきたかを解き明かす。 たとえばファッション。メジャーブランドが新作を発表すると、すぐさま模造品が出回るが、そうした

    コピーが経済を回す『パクリ経済』
  • 料理を好きに自由にする「料理の四面体」

    読んだら覚醒した。料理が好きに自由になるスゴ。 たとえばオレンジページの「絶品ベスト20レシピ」があるとしよう。すると、その20品しか作れない。20だって凄いのだが、いかんせん替えが利かない。材や調味料が欠けると作れない。つまり、わたしにとって料理とは、「レシピ通りに切ったり火を通すプロセス」に過ぎなかった。 それだけでない。実は、書に出会う前に、衝撃的な料理べた。 一つは「大根のコンソメ煮」もう一つは、「白菜サラダ」だ。「大根のコンソメ煮」は、面取りした大根をコンソメスープでひたすらぐつぐつ煮込んだやつ。「白菜サラダ」は適当に切った白菜にドレッシングをかけたやつ。 なんだぁフツーと言うなかれ。わたしがガツンとやられたのは、「大根は出汁+醤油か味噌で」「白菜は鍋物」しかなかったから。大根とは根菜だから人参や玉葱と一緒だから、コンソメ煮も美味しい。白菜とは葉物だからサラダになる←そ

    料理を好きに自由にする「料理の四面体」
  • 『世界システム論講義』はスゴ本

    「なぜ世界がこうなっているのか?」への、説得力ある議論が展開される。薄いのに濃いスゴ。 世界史やっててゾクゾクするのは、うすうす感じていたアイディアが、明確な議論として成立しており、さらにそこから歴史を再物語る観点を引き出したとき。「こんなことを考えるの私ぐらいだろう」と思って黙ってた仮説が、実は支配的な歴史観をひっくり返す鍵であることを知った瞬間、知的興奮はMAXになる。 たとえば、「先進国(developed)」と「途上国(developing)」という語に、ずっと違和感があった。「後進国」は差別的だからやめましょうという圧力よりも、この用語そのものが孕む欺瞞を感じていた。 なぜなら、この語の背景として、近代化・工業化が進むというプロセスがあるから。なんなら、進化のメタファーを使ってもいい。産業構造が一次から高次に転換するとか、封建社会から資主義社会に"進化"するといった欧米の経済

    『世界システム論講義』はスゴ本
  • 『時間SFの文法』決定論/時間線の分岐/因果ループ

    面白くて危険な書。 「時間SF」とは、特殊な時間世界を設定した上で、時間旅行のような特殊な経験を描いた作品を指す。タイムトラベルとかループものといえばピンとくるだろう。 著者は、古今東西の小説映画、アニメにおける時間SFを読み解きながら、基的なアイディアや物語パターンを整理する。その上で、現代の時代感覚と照応するアイロニーやニヒリズムをあぶりだす。様々な定義や区分けを行っているが、代表的なものを書き出してみた。 タイム・トラヴェル型(意図した時間に計画的にジャンプ)タイム・スリップ型(否応なしに強いられた時間移動)シャッフル型(ジャンプ先がランダム)歴史改変型歴史不変型並行世界型生き直しパターン再生パターン反復世界型逆行もの(時を遡上する)異時間通信もの(メッセージが時を超える)偶然世界型(些事の積み上げの中に分水嶺が潜む)改良偽装型自己増殖型時の果てを望む(時間の外へ) ハインライン

    『時間SFの文法』決定論/時間線の分岐/因果ループ
  • 『分析哲学講義』はスゴ本

    「哲学が何の役に立つのか?」という疑問が愚問になる時がある。 それは、否が応でもせざるを得ない思考の格闘が、ずっと後になって哲学と呼ばれる活動であることを知ったとき。似たような思考の罠はハマった先達がたくさんいて、そこで足掻き、抜け出すために様々な議論の道具、視点、レトリック、そして観念そのものが成果としてあることが分かったときだ。 書を読むと、自分で見つけて取り組んできた「問題」に、ちゃんと名前があり、応答(≠解答)があり、さらに批判と解釈が続いていることに気づく。このせざるを得ない問答に、たまたま哲学という名前がついているだけであって、役に立つ/立たない以前の話なんだ。もういい齢こいたオッサンなのに、この格闘は終わらない。なしですませられるなら羨ましいが、それは畜生にはニンゲンの悩みがなくていいね、というレベルだろう。考えることを、やめることはできない。 語りかける講義調で、ときには

    『分析哲学講義』はスゴ本
    agrisearch
    agrisearch 2016/01/13
    「哲学やってよかったと言えるのは、「変なのは自分だけじゃない」ことが分かったこと、上には上がいること、今の考えを極限まで進めると、どんな世界が見えるのか分かることだ。」
  • 人は脳で食べている『味わいの認知科学』

    べる」を深めると科学と文化になる。「おいしい」とは、舌の先から脳の向こうまでをひっくるめた経験であり、歴史文化的背景をも含めた現象なのだと考えさせられる。 超ブラックな映画『未来世紀ブラジル』では、レストランの場面が印象的だ。客はメニューから選ぶのだが、必ず「番号」で注文する。メニューには肉やサラダの画像が並んでいるにもかかわらず、料理の名前がない。決して「ステーキを下さい」と言ってはいけない。なぜなら、「ステーキ」なんてものはもはや存在しておらず、「合成した何か」だから。客は番号で注文し、「合成した何か」を口に入れ、「おいしい!」と叫ぶ行為を楽しむ。この未来では、事は過去の遺物であり、料理を名前で呼ぶことはタブーなのだ。 書を読みながら、このシーンが頭をよぎった。わたしたちは、「おいしい」ものをべているというよりも、むしろ「おいしいと思うもの」をべているに過ぎないのではない

    人は脳で食べている『味わいの認知科学』
  • 常識を書き換えろ『植物は<知性>をもっている』

    進化について学ぶにつれ、わたしが間違った理解をしていたことが分かってきた。それは、「生命は、微小サイズから複雑化し、運動能力と知性を備えた最終形態がヒトである」という理解のことだ。左から右に引かれた矢印に、微生物、植物、昆虫や動物、そしてヒトを並べたイメージに囚われて、「単純→複雑」「汎用→専門」といった方向に進むことを、「進化」だと思い込んでいたのかも。 そうではなく、現時点で生きているあらゆる生物は、進化の点からするとエリートなのだ。サイズやフォルムに違いはあるが、それは生き延びるために採った戦略の差異による。 たとえば微生物を「遅れた」「下等な」ものと見るのは誤りだ。生命誕生以来、最も長期間生きてきた微生物こそ、超エリートといえる。スゴ『小さな巨人 微生物』は、この誤解を解くばかりでなく、その優秀さを見せつけてくれた。微生物とは、サイズを小さくすることによって、高い代謝活性と増殖能

    常識を書き換えろ『植物は<知性>をもっている』
  • 『見えない巨人 微生物』はスゴ本

    読めば世界を見る目が変わる、一冊で一変するスゴ。 タイトルの「見えない巨人」は絶妙のセンス。肉眼では見えない微生物を、「巨人」と形容するのは変だな? と手に取ったのが運の尽き。「発酵」「病気」「環境」の三つの分野から一気に読ませる面白さと、自分の目を疑う知見にワクワクさせられる。読了したら、きっとタイトルを二度見する。そして大きく納得する。微生物は、生物のなかで最古・最多・最多種で、最速で進化しつづけ、地球生命圏を支え・利用するだけでなく、地球という惑星そのものと共生する、「超個体」の生物だということが、分かる。 ミクロからマクロまで、自由に視点を動かしながら、地球草創期から未来まで、歴史を自在に駆け巡り、マリアナ海溝から宇宙空間を縦横無尽に行き来する。酒やパンといった身近なものから、宇宙からコレラを監視する技術、耐性菌のメカニズムを借用した最先端の遺伝子工学など、興味深い斬り口がたくさ

    『見えない巨人 微生物』はスゴ本
    agrisearch
    agrisearch 2015/12/22
    「遺伝子の水平伝達」
  • あなたの論文を学術書にする方法『学術書を書く』

    最初に答えを言うと、「良い編集者を持て」になる。 あなたの修論や博論は、どれほどユニークで面白かろうと、そのままにはならない。だから、潜在的な読者を見つけ、物理的なという形に仕上げ、配・流通に載せて、最終的に買って読んでもらうために、いくつかの準備や手直しが必要となる。その一番の方法が「良い編集者を持て」なのだが、そんなに簡単には見つからない。書は、こうした「ユニークで面白い論文」と「優れた学術書」の橋渡しをしている編集者が、どういう点に気をつけて、何をアドバイスしているかを、実際の出版事例を用いながら教えてくれる。 最も重要で、かつ全体を貫く勘所は、「誰が読むのか」だと言い切る。ふつうなら「何を書くのか」というテーマが大事ではないかと思うのだが、そのテーマですら、「誰が読むのか」によって揺らぐという。専門性の高い限定された研究対象を論じるのであれば、自ずとそれに興味をもつ読者も限

    あなたの論文を学術書にする方法『学術書を書く』
  • 『病気はなぜ、あるのか』→適応戦略と進化のミスマッチ

    風邪をこじらせたとき、とにかく体温を下げるのはダメで、頭を冷やして安静にしておく。これは知ってた。だが、処方された抗生物質は、症状が治まったとしても「すべて飲み切る」。これがいかに重要かは知らなかった。 なぜなら、半端な服用は、抗生物質に耐性がある細菌の生き残りに手を貸していることになるから。このとき身体は、細菌のサバイバル戦略の最前線になっているのだ。発熱への対処も同様で、細菌にとって不適切な環境を生み出しているのに、解熱剤で下げてしまっては元も子もない。これらは進化医学からの知見で、身体の防御機能と細菌の適応戦略になる。 「病気は、どのように(How)して起きるのか」については臨床医学の世界になる。もちろん病気の原因もそこで追究はされるものの、その病気を引き起こしている至近要因までになる。そもそも、「その病気がなぜ(Why)あるのか」という究極要因まで踏み込むのが、進化医学になる。発熱

    『病気はなぜ、あるのか』→適応戦略と進化のミスマッチ
  • 身体のリバースエンジニアリング『人体 600万年史』

    完成品を分解したり観察することによって、動作原理や設計・仕様を調査することをリバースエンジニアリングという。これを「人体」に適用したのが書になる。 しかし人体は「完成品」ではないし、設計図からデザインされたものですらない。その時々の環境に応じて「生きる」「殖える」ことを目的とし、変化を重ねてきた。人の身体には、パリンプセストの羊皮紙のように何度も消しては書かれてきた跡が見えるという。「私たちの身体には物語がある」と断言する著者は、そうした人体と環境の変化を、ときには精緻に、ときにはドラマティックに明らかにしてくれる。 非常に面白いのは、「人の身体はなぜこのようになっているのか」というアプローチから迫ってゆくうち、「人は何のために生きるのか?」への回答がなされていること。人類の祖先との身体構造の違い―――長い脚、高い鼻、大きな頭といったパーツから始まって、なぜべ物を喉に詰まらせるのか(気

    身体のリバースエンジニアリング『人体 600万年史』
  • 『思考の技法』はスゴ本

    哲学するための装備を整え、著者自身の戦歴を踏まえながら自分のモノにする一冊。カタログ的なツール集というよりも、もっと大掛かりで強力な、知の増幅装置に近いイメージ。 「意味」「進化」「意識」「自由意志」といった、手ごわいテーマに対し、手ぶらで対峙しないための装備と考えればいい。オッカムの「かみそり」ではなく「オッカムのほうき」、藁人形論法ではなく「グールドの二段階藁人形」など、一般の思考道具よりも威力のある、77もの装備が手に入る。 たとえば、必要以上に多くの仮説を立てるべきでないとするオッカムの「かみそり」よりも、「ほうき」の方がより凶悪だ。なぜなら、自説に都合が悪いエビデンスや統計情報を掃き出して「なかったことにする」ほうきだから。著者ダニエル・デネットは、暗闇で犬が吠えなかったことが手がかりとなった、シャーロック・ホームズのあの推理を思い出させる。知的に不誠実な人が、不都合な事実を隠し

    『思考の技法』はスゴ本
  • 『アジア史概説』はスゴ本

    「交通」から見たアジア史。 文明の原動力を、陸塊の形態に還元したマクロ史観の大胆な試みとして、ジャレ・ド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』[レビュー]があるが、宮崎市定『アジア史概説』は、これを「交通」に還元して俯瞰する。西アジアのペルシア・イスラム文明、東アジアの漢文明、その間のインドのサンスクリット文明、そして東端の日文明───各文明は互いに交通という紐帯によって緊密に結び付けられており、相互に啓発しあい、競争しあい、援助しあいながら発展してきたダイナミズムを、一気に、一冊で読み通すことができる。 あたりまえなのだが、ざっくり歴史を古代/中世/近世と分けるとき、文明は軌を一つにして変遷しない。にもかかわらず、西洋史のスケールに囚われてしまい、アジアの各文明とのタイムラグを見落としてしまう(もちろん、ヨーロッパが最も「遅れて」いた)。現代を“支配”している欧米の価値観で振り返るとき、この

    『アジア史概説』はスゴ本
  • 銃は世界を変えてきた『銃の科学』

    実弾を撃ったことがある。ベレッタという拳銃だ。発射のたびに伝わってくる炎とインパクトと熱気から、銃を撃つとは要するにコントロールされた爆発なんだと実感した。この体感を、メカニズムと歴史から説明したのが書になる。 著者は元自衛官で、銃のエキスパートでもある。自身の経験を織り交ぜながら、銃の起源と歴史を紹介し、さまざまなタイプの銃の構造と目的の違いを明らかにし、弾薬、雷管、薬莢など弾丸の話、弾道学の基礎を説明する。いわば銃の入門書ともいうべき一冊で、同著者による『狙撃の科学』や『重火器の科学』そして『拳銃の科学』など、銃のシリーズにつながっている。 いちばん興味深く読めたのは、銃の歴史がそのまま戦術の歴史になっているところ。火竜鎗やマドファといった原始的なものは、とにかく敵の方向に弾を飛ばせばいいというもので、狙って命中させられるような代物ではなかったらしい。銃身や撃鉄、弾込めの方式などの改

    銃は世界を変えてきた『銃の科学』
  • 科学哲学の教科書『表現と介入』

    たとえば超ひも理論について、分かってるふりをすることはできる。入門書やらWikipediaをナナメに読んで、知ったかぶるのも可能だ。だが、どうしてもできない。既存の物理学で説明できない問題を解決するためにひねり出された仮説にすぎないから。入門書を一冊読んだだけで「10次元空間でのDブレーンがね……」と賢しらに語る奴には、おまえ見たのかよ! と突っ込みたくなる。 見たこともないくせに、信じられるか? この問いを発した瞬間、自己矛盾に陥っていることに気づく。なぜなら、わたしは、電子の存在を信じているから。Dブレーンも電子も、どちらも見たことがない。理解を助けるモデル図は何度も目にはするが、「これがそうだ」と指差されたものはない。にもかかわらず、電子が「ある」ことは信じられる。見たこともないくせに、なぜ? この、科学にとって「ある」とは何かを突き詰めたのが書だ。著者はイアン・ハッキング。タイト

    科学哲学の教科書『表現と介入』
  • 『なぜエラーが医療事故を減らすのか』はスゴ本

    「バグを排除しようと圧力をかけると、バグが報告されないプロジェクトになる」 この寸言は、よく忘れられる。シックス・シグマや日経ナントカに染まった管理者が、バグを目の敵にし、バグゼロの号令をかける。不具合が表面化すると、たまたまそこに詳しいだけの担当を犯人扱いし、なぜなぜ分析を強要し、ccメールや全体会議で晒し者にする。 なぜなぜ分析とは、「なぜそれが起きたのか?」「その原因の原因は?」と、原因を幾重にも掘り下げる手法のこと。5段階も遡及すると、たいてい「私の不注意でした」となり、対策は「意識を入れ替える」という小学校の学級目標になる。反面、もっと深刻な「仕様変更が電話口で伝えられていた」とか「アジャイルの名のもとにテストが省略されていた」などは放置される(なぜなら、「人」を原因にしたいから)。 こんな冗談みたいな施策を続けていくと、スケープゴートになった人はどんどん心をすり減らし、不具合の

    『なぜエラーが医療事故を減らすのか』はスゴ本