仲田天使。のBACK TO THE 80's! @nakadatenshi 70年代、チビッコの頃、デパートの最上階にはこんな食堂があって、家では食べれないお子様ランチやクリームソーダに胸が高鳴った。活気あふれる店内は沢山の人で賑わってて、今思うとささやかだけど、贅沢で幸せな時間だったんだと今はわかる。昭和なあの頃。 #70年代 #昭和レトロ pic.twitter.com/2TOPlAiAlF 2020-06-24 23:19:32
製版する時に光らせるランプが怖かった。インクを乾かすためにはがきを床じゅうに広げていた……。SNSどころか携帯電話もメールもない時代、年の瀬の家族の年賀状作りに、欠かせないものがあった。家庭向け印刷機「プリントゴッコ」。最近、めっきり見なくなったが、今も販売しているのだろうか。製造元の理想科学工業(東京都港区)を訪ねた。 【写真】プリントゴッコで作った年賀状(理想科学工業提供) ■当初は「知育玩具」 発売は、1977年。創業者で社長だった羽山昇さん(2012年に87歳で死去)は当時、スクリーン状の版にごく小さな穴をあけてインクを通す「孔版印刷」に力を入れていた。印刷には、はんこのように出っ張った部分にインクをのせる「凸版印刷」、金属板の凹部分にインクをのせる「凹版印刷」、水と油の反発を利用した「オフセット印刷」などの方式があるが、羽山さんは、スピードとコストの面で「孔版」に利点があると確信
今年5月、古書を扱う東京都町田市の高原書店の閉店が、SNSを中心に大きなニュースになった。一軒の古書店の終焉(しゅうえん)がこれほどの話題になるのは異例のことだ。一体どんな書店だったのか。週刊エコノミスト8月6日号よりお届けする。【エコノミスト編集部・北條一浩】 町田店は売り場面積200坪の大型店 高原書店を知る人がまず思い出すのは、あの「大きさ」だろう。4階建てで総売り場面積は200坪(660平方メートル)。これが最後まで残った店舗で、1974年の開店以来、10を超える店舗を次々に展開、20坪程度から180坪、200坪の大型店までさまざまなタイプがあった。 高原陽子社長が語る。「創業者の高原坦(ひろし)は店を広げるだけ広げ、61歳で逝ってしまいました。本には良書悪書の別などない、そしてどんな方にも来ていただきたいから、とにかく売り場面積が必要だというのが彼の思想でした」 古書店については
「dj honda」誕生 大衆路線へ 本業よりグッズに注目「いいじゃん」 「dj honda」を知っていますか。ブランド名は知らなくても、この「h」マークで思い出す人もいるのではないでしょうか。まさに私がそうでした。同僚からブランド名を言われた時はなんのことかわかりませんでしたが、「h」マークを目にした瞬間、すべての記憶がよみがえりました。「hondaさんに会いたい」。そう思いダメ元で送ったメールには、なんと返事が……。平成の世を静かに席巻した「dj honda」を追いました。(朝日新聞記者・山下奈緒子=昭和61年・1986年生まれ) 思春期ど真ん中パーカ 中学2年生の秋、周りの子が着ているような大きめのパーカが欲しくて、親にねだってジャスコ奈良南店(閉店)で買ってもらいました。確か5、6千円はしたはず。ベージュで厚め、左胸にはさりげない「h」マーク。 カジュアルなのにゆるくない。さりげな
不思議ネット とは 不思議.netでは5ちゃんねるで話題になっているスレを厳選してお届けするサイトです。普段5chを見ない人でも気軽にワクワクできる情報サイトをころがけて毎日絶賛更新中!
» 【検証】30年前の雑誌の資料請求ハガキを送ったら、返事が来るのか確かめてみた / 記憶術・視力アップ・ニキビ対策など 特集 今では情報収集の主流はインターネット。多くの人がスマホを持ち、知りたい情報はすぐにネットで検索しているに違いない。しかし今から約30年前は、ネットが普及しておらず、テレビ・新聞・ラジオでしかタイムリーな情報を得ることができなかった。雑誌が担っていた役割も大きく、特にアイドルの情報は雑誌がメインと言ってもいいくらいだった。 最近古本屋で、1986年のアイドル誌『BOMB(ボム)!』と、1989年の『ORE(オーレ)』を手に入れた私(佐藤)は、あることを思い立った。それは、この雑誌に付いている資料請求ハガキを送ったら、どうなるのか? ということ。そういう訳で早速記憶術と視力アップ、それからニキビ対策のサービスを提供する会社に、資料請求してみた! ・石川秀美さんの水着姿
スズメ @nonosuzume 私事ですが1末に父が亡くなりました、色々と終わり気持ちの整理がつきそうです。私の父は無名でしたが絵描きでひたすら絵を描き続けた生涯でした!フォロワーの皆様良かったら私の父の絵をほんの一部ですがちょろっとで良いのでみてやって、こんな絵描きがいたのかぁと思ってくださったら嬉しいです。 pic.twitter.com/C8YrUTAhZw 2019-02-04 07:51:59
2018年11月末、駄菓子業界に激震が走った。 東京都荒川区「あらかわ遊園」のほど近くで、長らく子どもたちに愛されてきた駄菓子もんじゃ店「こどもの家 きくや」が、およそ50年の歴史に幕を下ろしたのである。 ▲在りし日の「こどもの家 きくや」の姿 ここは、駄菓子店であると同時にもんじゃを提供するお店だった。単なる駄菓子店でさえ減少する一方なのに、こと「駄菓子もんじゃ」を出すお店となるとさらに深刻の度合いを増す。 と、ここで「そもそも“駄菓子もんじゃ”ってナニよ!?」という声が聞こえてきそうなので、簡単に説明させてもらう。 一般的な駄菓子店では袋詰されたうまい棒やふ菓子といった問屋から仕入れたものが売られているが、そうした駄菓子が流通する前は、お店で簡単にこしらえたものが駄菓子として提供されていた。 そうしたもののひとつがもんじゃ。 ▲きくや店内の様子。アルコールも置いていたが、ついたての奥は
たなか 共振 @halfbrain86 空耳アワーの応募はハガキで強気だなー歌詞とかどうしてんだろと昔から思ってだけど、ジャニスで補っていたのか。コーナーも危機じゃないか。 2018-11-17 11:34:58
「スパイダーマン」といえばアメコミヒーローの人気キャラクターとして有名ですが、1978年から1979年にかけ、日本で特撮テレビドラマとして放送されていたという過去があります。これはアメコミの人気ヒーローであるスパイダーマンを主役に据え、正式な契約の元で作られた特撮ドラマですが、内容は原作コミックの映像化ではなく、東映が独自に創作した脚本で、原作には登場しない巨大ロボやスーパーマシンが登場するというものでした。この東映版スパイダーマンに登場する巨大ロボ「レオパルドン」について、原作コミックを出版するマーベルがムービーで紹介しています。 The giant robots of the 1970’s Japanese TV Spider-Man | Earth’s Mightiest Show Bonus - YouTube 「70年代の日本のテレビ番組に登場した、空を飛んで戦うロボットを知って
調べて無事解決したので、メモがてら描いておきましょう。 線路タイプA ゲジゲジみたいなやつ要するにこういうことです 直線と破線を組み合わせるだけでした・・・。 直線を二つ作り、片方をゲジゲジにします。 「線」をクリック、「破線」にチェック。 線分、間隔、線幅を調整して、あとは直線と組み合わせて完成。 線路タイプB ごま塩みたいなやつこれも破線と組み合わせます。 黒い直線と白い直線を作成し、白い方をタイプAみたいに調整して完成。 組み合わせの力ですな・・・ イラレは絵を描くというよりは図形を組み合わせるソフトです。 頑張ればエクセルやパワポでも同じことはできてしまいますね。 ちなみに組み合わせといえばこの動画好きなんで見てください(笑) [youtube] [/youtube]
鬼畜系サブカルチャーの終焉/正しい悪趣味の衰退 虫塚虫蔵 日本悪趣味史概説 では90年代の「悪趣味」とは何だったのか? さいごに 付記「日本悪趣味文化の歴史的変遷」 日本悪趣味史概説 鬼畜や悪趣味は数十年間隔で定期的にブームになる。3つ挙げるとすれば、大正末期から昭和初期にかけてのエログロナンセンス文化、戦後混乱期に濫造されたカストリ雑誌群、そして世紀末の『危ない1号』*1を頂点とする鬼畜ブームである*2。 3つのブームは一見似ているが成立背景が異なり、特に世紀末の「悪趣味」は街が清潔になって汚穢が見えなくなった事の裏返し、怖いもの見たさがあった。 昭和初期も『グロテスク』(1928年-1931年)というインテリ向けの元祖鬼畜本が存在していたが、当局より幾度となく弾圧され発禁処分になったことでも知られている*3。 しかし戦後を迎えると、それまでの激しい言論統制や出版規制から解放され*4、同
シリーズ・中央線の名居酒屋 vol.5 「やきとり 戎」(西荻窪) 西荻窪、通称・ニシオギ。 この街に住む人も、そうでない人も、 不思議とこの駅は「ニシオギ」と略称で呼ぶ。 ひらがなで書くと同じく6文字の東中野は「ヒガナカ」などと呼ばれないのに、不思議だ。 ここ3〜5年くらい、中央線沿線の駅のなかでもっとも注目されてきたのは、西荻窪という気がしている。 土日も快速が止まる中野や吉祥寺の持つメジャー感とは異なり、お隣の荻窪よりもディープな文化があるというイメージ。 個性的な個人経営のお店が多く、高円寺や阿佐ヶ谷とも、共通した雰囲気を持っている。 奇しくも西荻窪・阿佐ヶ谷・高円寺は、土日に中央線快速が止まらない駅だ。 高円寺に比べると落ち着きがあり、知的&芸術的なムードが漂うものの、根っこにある熱量は高円寺と同じか、あるいはそれ以上にも感じている。 ただ、高円寺はそれをダダ漏れにすることを恐れ
この前デパートに行ったときにランドセルが置いてあるのを見て、「カッコイイ…!」となぜか足を止めてしまった。そのときにふと思ったのだが、なぜ大人はランドセルを使わないのだろう。頑丈だし、それなりに荷物も入るし、見た目も革張りでカッコイイ。 「ランドセルは小学生が使うもの」という固定概念があるから誰も使わないだけで、実際は使ったら便利で使いやすいかもしれない。 ということで大人がランドセルを使ったらどんなことを感じるのか、一週間ランドセルで生活してみることにした。 大学中退→ニート→ママチャリ日本一周→webプログラマという経歴で、趣味でブログをやっていたら「おもしろ記事大賞」で賞をいただき、デイリーポータルZで記事を書かせてもらえるようになりました。嫌いな食べ物はプラスチック。(動画インタビュー) 前の記事:色んな豆乳で豆腐を作ってみたら抹茶とアーモンドが美味すぎた > 個人サイト ジャーニ
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