みたいなのあったら聞かせて 本でも映画でも趣味でも便利グッズでも。 できたらポジティブな方向で
山口県周防大島町で行方不明となっていた2歳男児を発見し、大きな注目を集めたスーパーボランティア・尾畠春夫さん。現在、広島県呉市でボランティア活動を続ける尾畠さんに、週刊現代の齋藤剛記者が「被災地に行く理由」と「家族の話」を訊いた――。 前編『スーパーボランティア・尾畠春夫さんが語った「壮絶なる我が人生」』はこちらから⇒https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57170 健康保険証は11年無使用 私は65歳から本格的にボランティア活動を開始して、最初は新潟の中越地震のときかな。災害があるとすぐ現地に向かいました。それこそ全国を回りましたね。 東日本大震災のときは、南三陸でがれきの中から思い出の写真などを見つけ、被災者に戻す「思い出探し隊」の一員として、約500日間ボランティア活動をしました。このとき、酒をやめました。それまで自分は浴びるほど飲むタイプでした。
内向型の人は、どんな心持ちで社会と接しているのでしょうか。つらい?孤独?寂しい?旅と読書とアートを愛する「筋金入りの内向型」ブロガーのチェコ好きさんが、自身の体験を振り返り、「内向型として生きること」をつづります。 小学校5年生のとき、新しいクラスで私は友達ができなかった。 でも、そのことを特に心配しなければならない事態だとも思わなかった。 私は、休み時間は極めてマイペースに、図書室で好きな本を読んだり、ノートにマンガを描いたりして、一人で遊んでいた。修学旅行などでは班を作らないといけないので、その時はどうしようかなあくらいは考えていたが──まあ何とかなるだろうと、非常にのんびり構えていたのである。 これだけでわかるように、私はいわゆる内向型の人間である。そしてこの気質は変わることなく、内向的なまま会社勤めをしつつ、物書きとしてなんとか31歳までやってきた。以下の文章は、そんな私と似た、内
【小屋ブームの火付け役】Bライフ 高村友也(たかむら・ともや)さん/1982年、静岡県生まれ。東京大学哲学科卒業、慶應義塾大学大学院(哲学専攻)博士課程単位取得退学。2009年、小屋を建てる(写真:本人提供)Bライフ を送る高村さんの小屋(写真:本人提供) 小屋内部・台所(写真:本人提供) 小屋内部・テーブルと薪ストーブ(写真:本人提供) 好きな時間に起きて、好きな時間に寝る。欲しかったのは例えば、そんなささやかな自由。しかし社会人ともなると、至難の業だ。仕事がある。生活費を稼がないといけない。でも視点を少しずらせば、それが可能になることを「発見」した人がいる。高村友也さん(36)だ。その答えは「小屋」にあった。 【写真】高村さんの小屋の外観や内観はこちら 小屋ブームの火付け役のひとりともいえる高村さん。これまであまりメディアに出ることがなく、今回、小屋を訪ねることはかなわなかったが、取材
無個性化した社会なんて、魅力的じゃない 日本では“価値ある人物像“が固定化している。乙武洋匡が語る「自己肯定感を持つ方法」 ボクは、自己肯定感の低い人生を送ってきました。 …突然すみません。あなたは自分のことを「価値のある人間」だと思いますか? 財団法人日本青少年研究所が発表した2017年の調査データによると、高校生に「自分は価値のある人間だと思うか」という質問をしたところ、「そうだ」「まあそうだ」と回答した日本の高校生は44.9%。アメリカ・中国・韓国ではいずれも80%台だったのに対し日本は約半分という結果になったそうです。 実際日本の若者の多くは、ハッキリした「自己肯定感」がないのでは? それはなぜなのでしょうか。今回は、2013年に『自分を愛する力』(講談社)を上梓した乙武洋匡さんにお話を伺ってきました。
20年来の友人が二人いて年に1,2度一緒に旅行するわけだけど、周囲の評判はあまり芳しくない。 スケジュール次第なので自分も含めて3人でいくこともあるし2人で行くこともある。 日本の知人には理解してもらえないことを認識したので極力伏せているのだが、最近では外国人にも理解してもらえないことも認識した。 連中に言わせると40過ぎのおっさんが一緒に旅行をすることは異常らしい。 一応言っておくとゲイではないけど、二人ならツインの部屋に泊まることに抵抗はないし三人でも同様で旅館なら同じ部屋。 だからといって別に一緒じゃなきゃ嫌というわけでもなく、シングル3部屋のこともある。 こんな距離感を理解できない人が世の中にはかなり多いっぽくて悲しい。 コンパニオンを呼ぶとか風俗方面の邪推をされがちだけど、それも違って一緒に旅行している間はそういうのはなくて。 一緒に旅して観光地めぐって温泉入ってアホみたいにバイ
(2018年11月10日 更新) 僕をミニマリスト認定してくれた笹崎武蔵さんが昨日のTwitterで『ミニマリズムから外れているから、あなたはオリジナルの行き方を極めてください。』と言われ、ショックを受けたものの、これで肩の荷が下りた。 そんな楽になった話でもしたいと思います。 今日2018年5月5日の朝ブログは、『ミニマリスト脱落』について語りましょう。 作業場のBGMは、葉山宏治さんの超兄貴〜兄貴のすべて〜をかけようと思います。 それじゃ、行ってみよう! "Here we go~!" 必要なモノがたまたま多すぎて、ミニマリズムから外れてしまった。 努力をすることに善悪はない。大事なのは『過程』です。 心は楽になった。身体が苦しんでも、それは一時的なものだ。 過去記事。 必要なモノがたまたま多すぎて、ミニマリズムから外れてしまった。 最近、買い物ばっかりやっています。 最近、多いのですよ
僕には何の価値もない 僕は人生で何度もこう思いました。僕には何の価値もない、生きていてもしょうがない。友人関係はうまくいかない、異性には相手にされない、クラスでハブられている、仕事はうまくいかない、起業は失敗した、約束を守れなかった、成果を出せなかった、フットサル一つ上手にやれない、みんなの楽しい合コンを楽しめない、躁鬱病みの発達障害者だ…。 人生を通じて、四季折々の理由で僕は「自分には価値がない」と決めつけてきました。この「自分には価値がない」という断定は、ある意味僕の人生の原動力でもあったと思います。僕になんて何の価値もない、だから死んでもいいのだ、むしろ死にたいのだ。それは時に異常な行動力をもたらし、このアップダウン地獄みたいな人生を生み出しました。 さて、そんなわけで「私にはなんの価値もない」と考えていらっしゃる方、多いと思います。「そんなことないよ」なんて言っても心はピクリとも動
僕たちは「好き嫌いを言うな」と幼少の頃から教えられる。 食べ物の好き嫌い、人の好き嫌い、いずれも好ましくないこととされている。 好き嫌いを言うことが単なる我儘とされる社会は何となく息苦しく感じられる。 初出 2017/9/28 人との付き合いは厄介なものである。 相性が悪い人もいるし当然に好き嫌いもある。 真っ当な社会人ならば、特にサラリーマンならば好ましく思わない人とも付き合っていかなければならない。 人はひとりでは生きていくことができない。自分以外の人たちと色々と関わり合ってしか生きていくことができない。有史以来人間という生き物に課せられた十字架、それが人付き合いというものである。 僕がいやだなあと思う言説は「嫌な人と付き合うことで成長し人格の陶冶がなされる」といった類のものである。あるいは嫌な人とも付き合えるのはその人の器量が大きいことの証であるといった類の物言いも嫌である。 この手
※ADHDの症状は個人差があります。得意・不得意なことは人によって違います。 私も気を付けているつもりなのに、ボンヤリしては、うっかりする日々。 はじめまして。ブログ「ひびわれたまご」管理人の、志乃と申します。発達障害の一種、ADHD(注意欠如多動症)を持ったママとして執筆活動中の、イラストレーターです。 発達障害を抱えながら育児をする中で感じた、現代社会における「生きづらさ」についてなど、「少しでも"楽"に"楽しく"生きる」をモットーに、様々な記事を書かせていただいております。どうぞ、宜しくお願い申し上げます。 ネットの世界では、人生がよく終わる 「履歴書に空白期間があったら就職は難しい」 「最初の就活に失敗したら終わり」 「堅実な道から一度でも転落したら人生終了」 そのような言葉を、ネットで目にすることがあります。 もちろん大げさに書いている部分もあるのでしょうが、私が以前うつ病を患い
好きじゃないことを仕事にしてる人。それでいいんです。 第一希望の職種に全部落ちた。もう受かるところならどこでもいい、片っ端から面接受けて、やっと内定もらった会社は、就職活動をはじめた頃には絶対に考えられなかった名もない小さな会社。毎日朝が辛い。仕事の話を生き生きと聞かされるのが嫌で、学生時代の仲間とも疎遠になっていく…。 好きじゃないことを仕事にしてる人。それでいいんです。 好きなこともいずれ飽きる。 1日でやることは「生活」と「趣味」と「仕事」。 生活改善。サイドボードとオブジェと照明で劇的に変わる 。 趣味はやっぱりいい。 暇と退屈は違う。 仕事 難解にして永遠の課題にどう取り組むか。 安易な転職はよくない…と思う。 「好きを仕事にするのは素晴らしいこと」という思いを捨てよう。 好きなこともいずれ飽きる。 安心してください。どうせその子たちも仕事が嫌になります。好きな食べ物でも毎日だと
『世界一「考えさせる」入試問題』 幸せ…。『世界一「考えさせられる」入試問題』という本を読みました。ハーバードやケンブリッジなどの超有名大学の入試で出題された問題と、その答えを集めて一つの本にしたとのことです。といっても、答えは人それぞれ的な問題ばかりですが。 その本の中に 「幸せとはどういうことですか?」 という問いがありました。 この問いに対する解答(もちろんこの著者の答え)は以下の通り。 もっとも幸せな瞬間は物理的な満足だけが得られたときではなく、愛する友人たちに囲まれていたとき、創作を終えたとき、偉い人に評価されたとき、親切にして誰かに微笑んでもらったとき、ソフトボールでファインプレーをしたとき、水面に映る陽光のきらめきのような一瞬を目にしたとき。もちろんそこに物理的な喜びが含まれることもあるが、本当の幸せは物質的な満足感に加えて、もっと深い感情的な意義が感じられたときである。その
いつも通りの、単なる思いつきによる新企画です。 誰にも相談されてないのに、勝手に人生相談に乗ります。 「ブログに書くネタが無いからでは?」とか、邪推するのはおやめください。 さて、さっそくまいりましょう。 とあるブログで「あなたは何のために生きていますか?」という問いを目にしたのです。 今回の企画は、あくまでも「勝手に人生相談」ですので、特定の誰かの相談に対して答えたものではありません。 単なる「ひとりごと」です。 私の口からポロッと出てしまった、鼻唄のようなものです。 特別に深い意味など無い、そう捉えていただけると幸いです。 何のために生きるのか? う~~む……。 ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ 難しいね! 見当もつきません。 若い頃はね、私もあれこれ考えてたんですよ。 「人生とは何ぞや?」って。 共同玄関、共同便所のボロアパートの4畳半の部屋に閉じこもって、ず~っと考えていま
僕ぐらいの年齢の人がする話は大体が「結婚」「子供」「仕事」が第一であり、そういう人を目の前にすると話すことがない。「結婚」にも「子供」にも「仕事」にも縁がないからそういう話をされると「あーそうですか」と聞き流すしかなくなる。マジどうでもいいと思いながら(ブログでもそういう話題を扱っているものはまず読まないが、逆に「結婚」「子供」「仕事」に疑問を呈している話題なら読んでコメントすることも多い)。 同世代たちに「結婚」「子供」「仕事」以外の話を振ると乗っかってくれたりすることもあるが、その先がない。なぜなら「結婚」「子供」「仕事」が第一だから。例えばゲームの話なんかを振っても懐古話に終わってしまい、この先のことでもう盛り上がれないわけだ。ゲームはもうやってない、と。旅行の話をしても、仕事が忙しいか家族がいるからもう旅行する余裕はない、となる。彼らはもう別のステージに立っていて、かつてのような会
会社員を辞めた理由&父親という仮想通貨の要点まとめ ・今働いている経営コンサル会社を辞める 約10年前に父親が起業し、3年前に正社員として雇い入れられた。 僕は、事務作業やセミナーの設営準備、犬の散歩などをしてきた。 ・3年間働いた末、「働きたくないし、働く必要がない」という賢明な判断を下した 専用ソフトウェア導入により、作業時間の短縮・効率化が図られたゆえ、会社への負担が大幅に減った。 そして元より、僕は単調的・創造的作業のみならず「やるべきことをこなす」というプレッシャーが苦手であるから、働くこと全般を諦めた。 これからは「責任」の埒外から、父親の負担を軽くすべく作業する。 ・定額給与10万円コース 毎月の労働時間が0でも、10万円だけ支給され続ける。 家賃、光熱費、スマホ代、ネット代は、会社で支払ってくれる。 お手伝いをした場合、閑散期・繁忙期の区別なく、インセンティブ(数万円~)を
思うところがあって、お礼の手紙を書いてみたいと思う。 すごく長くなったけど、どうしても全部吐き出したかった。 子供の頃、ヒーローに会ったことがある。 毎日、小学校でいじめられていた私の狭い世界を、一瞬で壊してくれたその人は、有名なスポーツ選手だった。 いじめが始まったのは、小学校の中学年。たぶん、三年生の後半だったと思う。 いじめの内容は、スタンダードなものだった。 バイキン呼ばわりして、私や持ち物を避ける。 机の上に筆箱を出しっぱなしにしていると、休み時間に奪われて、それで菌のつけ合いがはじまる。 遠足の時の写真が教室に張り出されると、私の顔だけポスカで塗りつぶされる。 お風呂に入ろうが何しようが、臭いだの汚いだの言われる毎日だったけど、途中からエイズとか言われるようになった。 その時期、ニュースでエイズが取り上げられるようになったから、男子が面白がって言いはじめて、クラス中に広がった。
ニートやひきこもりとなる人たちが増加していることは社会問題だと捉える向きがある。 同時に個人の資質の問題だとする言説も多い。コミュニケーション能力の欠如だとか精神疾患によって表れた行動だとする。 いずれにしても現代社会が生んだ社会病理だという見方が大勢を占めている。 ニートやひきこもりが顕在化したのは社会が豊かになったことの顕れである。 昔から働かない人やフラフラとして生活が定まらない人は一定数存在していた。夏目漱石の『それから』の主人公は「高等遊民」を気取っていた。今で言うなら立派なニートである。生家が裕福で働かなくても生きていけたというだけの話である。 社会全体が物質的に豊かとなれば、働かなくても何とか生きていける人たちが増えてくるのは自明のことである。 ニートやひきこもりが「社会問題」とみなされるのはその社会を覆っている労働観をはじめとする価値観によって決せられているだけのことである
26日の深夜0時〜1時に放送された『ニッポンのジレンマ』を観ました。 www4.nhk.or.jp 大好きなphaさんが出ていたということもあって楽しみにしていました。 実況みたいな形でたくさんツイートもしたので、まとめて記事にしたいと思います。 https://twitter.com/tantan4423/status/934442176586563585 今回の回は働く事について議論する回だったので僕としても非常に興味がある内容でした。 いろんな価値観を持った人と議論しているのは好きですので、こういう社会的な問題について話すときは各分野の専門家みたいな人を揃えた番組をもっと作って欲しいですね。 今を生きている人間が今を生きていない事実 https://twitter.com/tantan4423/status/934442353019969536 この番組の形としては、別会場で行われた
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