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日本語に関するdaumanekoのブックマーク (3)

  • 明治時代からあった「つんどく」 - アネモネ手帖

    明治時代を舞台にした小説を書いていると、何気なく書いた単語が当時使われていたのかどうか、とても気になってくることがあります。 あまりにも馴染みのある単語だと、昔からあるに決まっていると思いこんでいて、疑問に持つことさえないので、だいぶ地雷を踏んでるんだろうなあ……と思いますが、それでもできる限り気をつけて調べています。 明治東京逸聞史 (1) (東洋文庫 (135)) 作者: 森銑三 出版社/メーカー: 平凡社 発売日: 1969/03 メディア: 文庫 クリック: 1回 この商品を含むブログ (3件) を見る これは私が愛用している資料の中の一冊で、著者の森さんが、明治の新聞雑誌から興味のある記事を集めたです。 つんどく 明治34年『学燈』 「書籍つんどく者を奨説す」という一文あり もうこの時代からあったのか……!と思うと感慨深いです。 田尻北雷博士という方がこの言葉の生みの親だとか。

    明治時代からあった「つんどく」 - アネモネ手帖
    daumaneko
    daumaneko 2014/02/03
    「オジャン」という言葉は明治時代から使われていたんですね。戦後からだと思ってました。
  • 安易な「気付き」には身構えた方がいいよなあ、という話: 不倒城

    「そうだったのか!」「今まで俺が信じていたことは間違いだったのか!」という感覚は、それが自分の根幹を揺るがすようなものでない限り、実はとっても気持ちいい。 固定観念に触れない程度の気付き、というものは快感だ。覚醒欲求、とでもいうのか。それとも真実欲求、とでもいうのか。どんなジャンルでもそうだが、大体の人は「勘違いしていた自分からの脱却」「正しい知識を得たことによるレベルアップ」という感覚にわりと弱い。 という話を、以下のようなリンクを読んで考えた。 「間髪をいれず」が殺された日 そうなんですよね。 上記の記事を乱暴に要約してしまうと、「来言葉は変化するものであって、「正しくはこう!」などということを希求することに意味などないのに、知ったかぶって「正しい日語」などというものを主張する輩によって言葉狩りが発生してしまう」という問題提起になる、と思う。 この問題提起については、私は全面的に賛

  • 「お世話になっております」の世界 - ohnosakiko’s blog

    仕事のメールの冒頭に必ず「お世話になっております」とつけるのは、何故なんだろう。 世事に疎い私だが、最初にそのメールをもらったのは、非常勤で行っている私立学校の教務からの事務連絡だった。こちらはその学校に講師として雇われている、つまり「どちらかというと、こちらがお世話になっている」という感覚があったので、少し戸惑った。 たとえば生徒の親が講師に「お世話になっております」と言うことはあっても、学校側が講師にそれを言うのは変じゃないか? 私は労働力を提供して報酬を貰っているのであって、別に学校を「お世話」したことはないわけだし。 そう思っていたところ、別の勤務先の常勤講師の人から電話があった。その人も冒頭で「いつもお世話になっております。◯◯校の△△です」と言った。私は急いで「こちらこそお世話になっております」と返した。 常勤講師は組織に属する人だから、この場合は学校を代表して喋っているのだろ

    「お世話になっております」の世界 - ohnosakiko’s blog
    daumaneko
    daumaneko 2013/11/14
    これは、個人と個人の関係というよりも、組織と組織の関係ではないでしょうか?お世話している側とお世話されている側という解釈ではないと思いますよ。
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