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小説と文芸批評に関するebmgsd1235のブックマーク (1)

  • 批評の練習帳 批評禁止令の下で

    前回の記事(「「編集者」の時代としての「平成」」)で、「平成」という無の時代を表象=代行する批評家として東浩紀を挙げたが、そう言えば山城むつみを忘れていたことに気がついた。そう思ったら読みたくなり、『ドストエフスキー』と『小林秀雄の戦争の時』を読み返した。読んだらやはりおもしろくて、以前より印象が良くなったが、しかし根的な問題は変っていないとも思った。 山城の批評は、ポール・ド・マンの批評を日において最も誠実に受容し応用実践したものと評することができる。ただしその誠実さは誠実であることにおいてかえって不実な盲目を孕まざるを得ない。それはちょうど、中村光夫が田山花袋を批判して、作者と作中人物の区別ができていないことを指摘したこと(この指摘自体は正しいかどうかは疑問があるが)を連想させる。山城は作者としてのドストエフスキーや小林秀雄を全面的に肯定するところから批評を始める。それはまさに文芸

    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2018/07/09
    「高等幇間」にクス。セクハラにおける刹那・半獣主義という強度って!仮想人物化ゆえ「現在ほど小説家が批評を気にしないで心安らかに小説が書ける幸福な時代はかつてなかった」舞台があのコットンクラブに違和感。
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